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アウトサイド ヒーローズ;エピソード15-10
ファザー、ファインディング アウト イン ロスト メモリーズ
「20年前の事件、ですか……?」
受付でアポイントメントを取っていることを伝えると、数分後にやってきたのは線の細い男だった。年の頃はキリシマと同じくらいか、あるいはもう少し年下かもしれない。
メイシ・カードを交換した後、男は“社内用”とのラベルが貼り付けられたタブレット端末をしばらく弄り……やがて「ふう、む」と小さく唸った。
「ないですねえ。やっぱり……」
「“やっぱり”? どういうことです?」
メモ帳を準備して、待ち構えていたキリシマが顔を上げる。若い社員は端末の画面表示を消すと、自らの後頭部をさすりながら申し訳なさそうに話しだした。
「いやあ、その……うちの業務用データベース、20年前に更新されたそうで、それまでのデータを調べられなくなってるんです。僕自身、入社2年目でして。当時のことは、何も……」
「そりゃ、そうでしょうねえ……」
探偵も頷く。この状況では、まだ若い社員を責めるのは酷というものだ。
「しかし、困ったな。こっちの要件は、全部伝えてあったはずなんだが……」
もちろん、“御社から圧力を受けた新聞社があって……”などと、殊更に書いたわけではない。
ただ、“20年前の”フリークスサイダー“殺人事件をきっかけに両親をなくした娘が、行方不明になった父親を探している”、“娘の一家は第9地区から来たと聞いている。御社にも何らかの記録が残っていないか、お話を聞かせていただきたい”……と率直に、かつ“御社をマークしてるわけじゃありませんよ、あくまでその他大勢の中の一社というだけですよ”というニュアンスをこめたメッセージを送りつけただけだ。
これで取材を受けるなら、よっぽど“何かある”のだろう。あるいは強面の警備体制とは裏腹に来るもの拒まぬ、よほどオープンな組織なのか……と、探偵たちは半ば怖いもの見たさの心境で社屋に足を踏み入れたのだが。
「申し訳ありません……」
若い社員はぺこぺこ謝りながらも、時計を気にしてひっきりなしに視線を向けていた。
「本来、取材を引き受けた上の者が間もなく到着するはずなのですが……」
「あっ、あなたは担当の方ではない?」
「ええ、まあ、その……私の上司なんですが。もう30年以上勤めているはずなので、多分、20年前の事も覚えているかと思うのですが……」
若手社員がもごもごと話していると、騒々しい靴の音が近づいてきた。
「いやあ、すみません、お待たせいたしまして!」
野太い声が響く。若手社員の背後からやって来たのは、作業着を着た恰幅のよい男だった。
「部長……」
「はいはい、失礼しますよ」
初老の男は部下を押しのけるようにして、探偵の目の前に割り込んだ。
「ええと、話を聞きたいという探偵さんは、そちら……?」
細めた目の奥から、油断ならない眼光がキリシマに向けられる。探偵は穏やかな物腰のまま、警戒心に満ちた眼差しを受け止めていた。
「はい。第4地区で探偵をしております、キリシマと申します。こちらは助手でして……」
「その、ドーモ……」
キリシマのアイコンタクトに気づくと、ユウキがぎこちなく頭を下げた。レイジュ電工の部長は「ほう、そうですか……」と短く声を漏らすと、探偵とその助手を爪先から頭の天辺まで、舐めるように見やる。
「ちょっと……!」
悪意が透けて見えそうなほど、あからさまな視線。ユウキは居心地悪そうに顔をこわばらせ、その場に固まりついていたが耐え切れなかったようで、思わず声を上げた。両手は固く握りしめている。いつでも殴りかかれるように身構えているのだ。
探偵は助手をなだめすかしたい気持ちをひと先ず脇に置き、不良娘が不意に暴れ出さないようにと祈りながら、交渉を続けた。
「ええと、すみません、部長さん。それで、お願いしていた20年前の事件についてなんですけどね……」
「ああ! はいはい、例の件。そうねえ……」
部長を名乗る男は、気のない相槌を打ちながら遠慮のない視線をこちらに向けている。そして視線は宙へ。しばらく目を走らせた後、ことさらわざとらしく深いため息をついた。
「やれやれ、申し訳ないですが思い出せませんねえ。20年前は我が社も経営方針を巡って大きな変化があった年だと覚えております。去って行った社員も多かったので、もしかしたら……と思ったんですがねえ。申し訳ありません」
「はあ……」
探偵は拍子抜けした声を漏らす。作業着姿の部長は深々と頭を下げた。
「すみません、お役に立てず」
「いえ、仕方ないですよ。他の会社さんにも聞いてみます」
「……えっ、これで終わり?」
あっさりと話をつけて引き下がろうとするキリシマ。ユウキが思わず声を上げた時、探偵は左腕の義腕で助手の襟首をつかんでいた。
「こちらこそすみません、お手数をおかけしまして」
「ちょっと! 離してよ! ……ぐっ、凄い力なんだけど!」
「助手君、帰るぞー」
探偵は手を離さず、助手をひきずるように歩いていく。「わかった、わかった! 歩くから、離してってば!」などと叫ぶ不良娘の声。レイジュ電工の部長は両目を細め、慇懃無礼な笑顔を作って来客を見送った。
「調査の成功を祈っております……」
“レイジュ電工”本社ビルから数ブロック先の街角。キリシマ探偵は左頬をさすりながら、ポケットから携帯端末を取り出した。
左手で端末機を握ると、通話回線が開く。……“隠し玉”の一つ、サイバネ義腕を使った接触式ハッキング。結局、現地では使わなかったが……助手にしこたま殴りつけられた頬を庇いながら通話するには便利なものだ。
「もしもし、サワイさん?」
「『……キリシマ君か』」
すぐに回線が開き、探偵に情報提供した記者が応える。
「『そういえば今日だったね。取材は……』」
「ああ、今終わったところだ。……あいてて」
「『大丈夫か? ……まさか!』」
心配して声をあげるサワイ記者。探偵は固い拳で殴りつけられ、未だに熱をもっている頬をさすりながら、むくれてそっぽを向く助手を見やった。
スカジャンの背中に棲む聖獣、“フライング・ホワイト・サーベルタイガー”が真っ赤な舌と鋭い牙を剥きだしながら、こちらを威嚇している。……やれ、やれ!
「いや、これは転んだだけだ。そんなことより、取材の結果だが……」
探偵の説明を聞くと、老記者は通話回線の向こうで「ふーう……」と息を吐き出した。
「『まあ、そういう答えになるだろうね。いや、相手がいきなり思い切った手を打ってこなかったことに、ひとまず安心するべきか……』」
「その、サワイさんを疑ってるわけじゃないんだけどさ……」
「『うん?』」
「相手はその……どれだけ“マジ”なんだ?」
思い切った調子でキリシマが尋ねる。ユウキも怒りをひとまず納めて、通話端末の近くにやって来ていた。
「『“マジ”? 知り合いの記者から聞いた話だと、新聞社に圧力をかけたのはほぼ間違いないみたいだけど……』」
「いや、そうじゃなくてさ……」
キリシマはぼさぼさの頭を無造作にいじる。企業のえげつない振る舞い、そんなものはこれまで嫌というほど見ていた。マスコミへの圧力、そんなものは珍しくもなんともない。
だが、だからこそ気になることがある。……その目的だ。
「記者さんに圧力をかけたこと……それと、20年前の事件について、何も言わないで何か隠していること……会社ぐるみでやってるとして、その目的は何だ? って思ってさ。社員の関係者が巻き込まれた事件をもみ消そうとするってのは……」
「『ただ単に、社員の子どもがミュータントだったとか、ミュータントの子が生まれたから奥さんを追い出したとか、そういうことでは外聞が悪い……って理由ではない、ってこと、だね?』」
「ああ。……あるいは、もっと大きな問題が絡んでるんじゃないか?」
「『それは……』」
記者は通話口の向こうで、しばし黙り込む。探偵は空白に耐えきれず、ヘラヘラと笑った。
「ハハハ……別に、何か根拠があるわけじゃない。思いついたから言ってみただけなんだが」
「『ありうる、かもしれない。実際、去年は軍の技術開発部でクーデターまがいの事件が起きていたからね。……だが、現時点じゃ何とも言えないんだ。20年前のミュータントへの風当たりは、今よりずっとずっとひどいもんだった。だからそれが原因で記者に圧力をかけていたとしてもおかしくないし、今さらそれを暴露されたくない、って気持ちが起こっても、何もおかしくない……』」
「でも、どっちにせよ“レイジュ電工”がアオさんの一家に関わってるのは間違いない……」
「『まあ、ね……ただ、君が言う“目的”の重大さがどうであれ、相手にとって暴かれたくない過去であることは事実だろう。……20年前と同じように、何か、仕掛けてくるかもしれない。充分、気をつけて』」
(続)