アウトサイド ヒーローズ;エピソード14-9
ティアーズ オブ フェイスレス キラー
“ナナ”と名乗った少女は数ブロック向こうでレンジに気づいていたようだった。
寂れた安宿通りにパタパタと足音を鳴らしながら走ってくると、レンジの前で立ち止まる。
「おはようございますっ!」
「ああ、おはようございます」
瞳を輝かせ、元気いっぱいのあいさつをする少女に、レンジは面食らいながらあいさつを返す。
「びっくりしたよ、こんなところで会うなんて」
「私もですよー!」
“ナナ”はニコニコしながら返した。
「これってもしかして……運命、なのかな? なんて! あはっ!」
「そんな、大げさな……」
上機嫌で笑う少女に、あいまいな微笑みで返すレンジ。
「ところで、どうしてこんなところに? この前と、随分印象が違って見えるけど……」
先日出会った時には赤いドレスにヒールの高いサンダルを合わせて、少し背伸びした少女……という印象だった。けれども今朝は朽葉色のロングスカートに同じ色のショールを組み合わせている。
「あっ、気づいてくれたんだ! えへへ……」
“ナナ”は照れ笑いを浮かべながら、スカートを指先でつまんで見せた。
「今日の“お仕事”で着なきゃいけないんだけど、変な恰好だよね」
「うーん、いや、変なわけじゃないけど……」
年寄っぽい、とはさすがに言えなかった。介護の仕事か何かだろうか、大変だなあ……などと、仕事のたびにヒーロースーツを着込むことを強いられているレンジがぼんやりと考えていると、少女の持っていたハンドバッグから呼び出し音が鳴り響いた。
「ごめんなさい! ちょっと待って……」
“ナナ”は慌ててポーチの中を漁り、携帯端末を取り出す。端末機の画面をちらりと見て、少女は目を丸くする。
「あっ、いけない、そろそろ時間みたい」
「そうか。じゃあ、気をつけて」
「うん。ホントはもっと、おしゃべりしていたかったんだけど……」
少女は手を振ると、もう一方の手に携帯端末を持ったまま走り出した。しばらく走ると振り返って、大きく手を上げる。
「お兄さん! また、今度ねーっ!」
弾むような声で叫び、ぴょんぴょんと飛び跳ねる“ナナ”。通りには、往来する人の姿はなかった。けれども路地に面した宿の窓から、こちらを見ている視線をいくつも感じる。寂れた界隈でこんなに大きな声をあげる娘がいれば、気になるのは当然だろう。
恥ずかしさに顔を赤くしながらレンジが手を振り返すと、少女は嬉しそうにもう一度跳ね、路地の奥に消えていった。
路地に駆け込み、携帯端末の画面を確かめる。“あの人”の携帯に取り付けた電子タグの信号は……レーダーサイトの中心から離れ始めていた。
追いかけてこない……当然だ。こちらが追いかけている側だもの。そんなこと、あるわけない。
それに、“仕事”の事を知られるわけにはいかないから。ほっとする半面、さみしいな、とも思う。
「……ふう」
少女は安宿の壁にもたれかかって息をついた。周囲に人の気配はない。
“想定年齢は20代前半”、“明るく、元気に振舞う”、“開放的でオープンな印象を見せる”、“積極的に、周囲の反応など気にも留めぬほど、行動的に”……
先ほどまで頭の中に響いていたささやき声も、“あの人”の姿が見えなくなると聞こえなくなっていた。
普段は息苦しさを感じることもあるけれども、今はもっと聞きたいと思ってしまう。“あの人”の求める姿を、もっと知りたい。……何故だろう。“あの人”からは、ねっとりと絡みついてくるような、嫌なものを感じないからだろうか。
そうだ、この出会いは、やっぱり運命だったんだ。
少女は端末機をぎゅっと握りしめる。どうしよう。さっき会ったばかりなのに、また会いたくなってる。
目を閉じて、深呼吸。早く“お仕事”を終わらせて、また“あの人”に会いにいくんだ。
「よし!」
端末機を操作して、無線タグ追跡アプリを閉じた。
これから会いに行く相手の事を思い浮かべると、すぐに頭の中で“声”が囁きはじめた。声は大きく、渦を巻くように頭に響く。
“想定年齢は70代中盤”、“病弱な印象、儚げ、庇護欲をそそる存在”、“穏やか、話を聞く役割”、“励ます、相手を肯定する”……
少女は“声”の指示に自らの体を任せた。ショールを頭に被ると背中を丸め、頭を重く垂れる。目深にかぶった布の間から覗く顔からは若さと活気が消えていた。手袋に包まれた細い指先が小刻みに震えている。若い娘は今や、すっかりくたびれた老婆に変貌していたのだった。
「けほっ……ああ、うん、うん……」
軽く咳払いをすると、張りがある高い声はすっかりしわがれて枯れていた。
この姿を求める相手に会うのは、これで三度目だ。もうそろそろいいだろう。そうすればようやく、この一連の“仕事”も一段落を迎える。もうすぐ、もうすぐ……
老婆は大儀そうに息をつくと、足をわずかに引きずりながら、薄暗い路地を歩き去っていった。
ナゴヤ・セントラル保安局。普段は使われていない会議室に設けられた、非公式の“マスカレード事件捜査本部”。
端末機の画面とにらめっこしていたカエル頭の男は「う、うーん」と唸ると、両腕を持ち上げて伸びをした。その途端、頬に冷たい感触。
「マダラ君」
「ひえっ!」
悲鳴をあげてとび上がる。慌てて振り返ると、紙コップを手にした機械頭の男が立っていた。
「根を詰めて作業してたから、気分転換に飲み物を……と思ったけど、驚かせちゃったかな」
「驚くに決まってるじゃないですか! メカヘッド先輩、わざとやってるでしょ!」
「ははは」
ぷりぷりと怒りながら、マダラは冷たい模造コーヒーが入ったコップを受け取った。ズズズ、とコーヒーをすするのを見て、メカヘッドも機械頭の隙間にストローをさし込み、ちゅうちゅうと黒い液体を吸い込む。
「ぷは。……やっぱり、いつ見てもすごい絵面ですよね、メカヘッド先輩が飲み物飲んでるところって」
「ほっときなさい、そんな事。ところで……」
メカヘッドはちょっとうっとおしそうな声でマダラに言い返した後、コーヒーの紙コップをテーブルの上に置いた。
「どうだい、進捗は?」
マダラも紙コップを手元に置くと、深くため息をつく。
「ダメですねえ。殺された人たちの共通点は相変わらず見つからないです。“ブラフマー”との関わりを探ってみたんですけど、よく分からなくて……」
「“ブラフマー”との関わりで言えば、ないってほうが珍しいだろう。殺された人たちの地位を考えるとね」
「そういうものですか。まあ、企業や経済や、税に関係する役人の人なら、分からなくはないんですけど」
メカヘッドは立ち上がると、“技術開発局次長”の顔写真をコツコツとつつく。
「例えば、だ。まだ市場には出せないような、実用するにはリスクのあるオーバーテク遺物が見つかったとする。事故は怖い、けど実証試験をしたい。そんなときに、アンダーグラウンドな機関が協力を申し出てきたら?」
「あっ」
マダラが気づいて、短く声をあげた。
「“ブラフマー”は何も、悪事をするための組織というわけじゃない。世の中にオープンにしにくいこと、企業間で秘密裡に処理したいこと、あるいは、大っぴらにしない方が利益になること……そういった諸々の事を内々に処理し、加盟する企業全体の利益拡大を図る……それも、ブラフマーの目標なのさ」
「それじゃあ、ブラフマーが関わっているからぜったいに悪事、ってわけじゃないんですね」
メカヘッドは首をすくめる。
「原則的にはそうだ……と言いたいところだが、企業が大っぴらにしたくないことってのは、大体の場合ろくでもないことの方が多いよ。この間の臓器培養工場も、そうだっただろう?」
「うっ、確かに……」
おぞましい秘密工場の光景を思い出し、マダラが暗い顔でうなずいた。
「それじゃあ、この人たちも、何か恐ろしいことに関わっていたのかなあ……?」
「どうだろうね。皆が皆、悪人だったわけではないと思う。ブラフマーに関わるのだって、ただ利用されるだけの被害者だってこともある」
マダラは顔を上げ、犠牲者たちの写真を一人ずつ見ていった。彼ら一人ひとり、それぞれに殺されるだけの理由があったのだろう。だろうけれども……
「利用されるだけ利用されて“ブラフマー”の暗殺者に殺されるというのは、あまりにも可哀そうな話ですけどね」
「そうだね。それに、どれだけ悪いことをした人間だろうと、殺されていいわけじゃない」
拳を握り、独り言のようにメカヘッドが言う。
「メカヘッド先輩……」
「……おっ? なんだい、俺の刑事としての顔を見て、尊敬を新たにした、みたいな感じ?」
芝居じみた調子でメカヘッドが言うと、マダラはあきれた様子で白けた目を向けた。
「いや、まあ……そこは信頼してるんですけどね。それ以外が信用できないってだけで……」
「おいおい、それってどういうことだよ」
マダラは答えず、コップのコーヒーに砂糖とフレッシュを大量にぶちまけ、かき混ぜると一息に飲み干した。
「……よし、リフレッシュできました! ありがとうございます。やるぞー!」
そう言って、さっさと端末機の前に戻っていく。メカヘッドは肩透かしをくらい、ちょっと残念そうにマダラの背中を見ていた。
「あ、ああ。……うん、俺も、もうひと頑張りするか」
そう言って、メカヘッドも端末機に向き直る。
“ブラフマー”が関わっているならば、証拠を手に入れることも難しいだろう。連中は徹底的に合理的に、自分たちに不利な証拠や手がかりを抹消する。それこそ、人の命など気にも留めずに。だけど、できることをやるしかない……!
(続)