【小説】少女と風(1/1話)
ある少女がひとり、海を眺めていた。
レモン色の陽射しが、水平線を照らしている。
ふいに、少女の耳に声が届いた。
「知ってる?あの海の中にはね、全部があるんだよ」
はっとして辺りを見渡すものの、生き物の気配はない。
「全部?」
少女は思わず聞き返し、じっと耳を澄まして答えを待つ。
すると再び、声が聞こえた。
「そう。もう二度と戻らない命も、いま生きている命も、これから生まれる命も、その命に向けられたひとつひとつの思いも、全部」
声が彼女の耳元を通り過ぎ、髪を微かに揺らす。
少女は小さくうなずいて、再び水平線に目を凝らした。
「ああ。だから海はこんなにきれいなんだね」
そうつぶやいた声は、誰の耳に届くこともなく、空気に溶けて消えていった。
それから少女は、長い間そこで海を眺めていた。
やがて月が昇り、海面に銀色の影を落とすころ、あることに気がついた。
「あれは、風の声だったんだな」
少女は小さく息を吸って、目を閉じる。
次の瞬間、彼女の心は風を捉えて舞い上がり、トンビのように高く高くのぼっていく。
海の青と丘の緑、波の白さと剥き出しになった岸壁の荒々しさが眼下に映る。圧倒的なその強さの中に、何かが無数に蠢いている。
それは、小さな小さな命たちだった。
「あの声の主が見ている景色に違いない」と少女は思う。
数億年の昔からこの場所を駆け巡っていた風は、この海と、ここで生きていたものたちの姿を見守り続けていたのだ。
風に乗って運ばれていった少女の心は、元の海辺に戻ってきて軽やかに着地する。少女は、彼女を包み込んでいた風を抱き寄せるように手を伸ばす。
「ありがとう」
あなたの見ている景色を見せてくれて。ここにずっといてくれて。
少女はゆっくりと立ち上がり、歩き出す。
その背中をそっと押すように、また風が吹いた。
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