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心の中で始まる「のんびりしていいか判定するレフリー」への言い訳タイム
ある土曜日。
高校に向かう娘と一緒に家を出て、8時半からピラティスレッスンを受けてから、近所のファミレスで朝ご飯を食べました。
(焼き魚定食に目玉焼きをつけるのが好きです)
食べ終えたら、そのままドリンクバーでお茶やコーヒーを飲みつつ、読書やドラマ鑑賞などしてのんびり過ごします。
ああ、しあわせ…。
と、心から感じるひとときです。
この時間のために、日々の仕事や家事を頑張れていると言っても過言ではありません。
でも。
次の瞬間、心の中で言い訳タイムが始まります。
「今週は仕事を頑張ったし」
「夕飯も全部手作りしたし」
「家は一応片付いてるし」
「仕事も溜めてないから今日はやらなくていいし」
「作り置きのおかずは明日(日曜日)作るし」
「だから、これくらい(のんびりしても)いいよね」
と思えるまで、この言い訳タイムは続きます。
でも、わたしはいったい、誰に言い訳してるんだろうか? とふと思いました。
誰に許されないと、
「週末にファミレスでお茶をのんびり飲む時間」
を心置きなく楽しめないんだろう…と。
どうやら、自分の中に前からいる、
「のんびりしていいか判定するレフリー」
に言い訳しているようなのです。
この人からOKをもらえないと、安心してのんびりできません。
とはいえ、このレフリーは最近はだいぶやさしくなったので…
わたし
「今週も頑張りました!(自己申告)」
レフリー
「OK! のんびりしていいよん」
くらいのゆるさです。
わたしは心のどこかで、親として、そして働く人として、
「ちゃんとできているか」
「今はダラダラしていいのか」
このレフリーから判定されているような気がしています。
たとえば、先日のひな祭り。
ひな祭り当日、娘は友だちと「雛人形出した?(出してもらった?)」という話になったそうです。
我が家は今年はたまたま、珍しく早めに飾っていました。
(去年は確か、受験前後のバタバタで出せなかった記憶があります)
娘
「みんなあんまり(雛人形を)出してなかった。○○ちゃんの家は出したって」
わたし
「そうなんだ。今年は出すの間に合ったね」
そうこたえながら、なんだかホッとしている自分に気がつきました。
「おお、よかった、とりあえず季節の行事を取りこぼさずにすんだ。(ひな祭りについては)クリアしたかも」と。
(心のレフリーが👍しているイメージ)
ちなみに、社会人としては、
「みなさん週末もアクティブに活動しているのに…こうしてただダラダラしていますわたし」
という後ろめたさが比較的いつもあります。
わたしはこれからもきっと、週末などにのんびり過ごすたびに、心の中のレフリーに「のんびりしてもいい言い訳」をしてしまうのだろうと思います。