見出し画像

片付けは、すればするほどうまくなる? 「片付け筋」の鍛え方

わたしは、片付けをするときに、その一度の長さよりも回数の多さを大切にしています。
片付けはすればするほどうまくなると感じているからです。

具体的には、1時間がっつりあちこちを片付けるより、10分くらいで「引き出し1つ」とか「棚1段」だけ片付けることを、ほぼ毎日続けています。

その理由は…

こまめに片付ける

前回の片付けからの時間が短いので、今回の片付けまでにそのモノを使ったかどうかを確認しやすい

使わないモノが明確になる

捨てる判断がしやすくなる

ということかなと思います。

これを繰り返していくうちに「片付け筋」が鍛えられていくような気がします。

そして、わたしにとって片付けることは、それを捨てる捨てない関係なく、そのモノと「目を合わせる」ような作業だと感じています。

たとえるなら、職場で同僚とすれ違って、
「おつかれさまです、久しぶりだね~」
とあいさつしあうようなイメージ。
その人のことを「思い出し」、そして、「この人と今度ゆっくりご飯にでも行きたい!」のか、「あいさつだけで終わり」なのかなどを確認することに似ています。

モノとも、人との関係のように「これからも続けていきたい」のか、「疎遠になっているだけで、大切」なのか「そろそろお別れの関係」なのかを確認していきます。

わたしがこんな風に感じるようになったのは、新型コロナウイルスの影響で職場がリモートワーク中心の働き方になり、直接会うのは1年どころか2年ぶり、という人もいるような状況になったからかもしれません。

あまりに間があいてしまうと、この人とはどういう距離感だったかな…と思い出すことが難しいことがあります。ほぼ毎日会っていたからこそ、この人とは距離が近いと感じていたのだなぁ、と思うことも。
逆に、それこそ3年くらい会っていなくても、まるで昨日まで一緒にいたかのように違和感なく話せる、まったく距離が変わらない大切な友人もいます。

こんな風に、モノにも自分との距離感がそれぞれあると思っています。
片付けを頻度高く繰り返すことで、その距離の変化に敏感になり、片付ければ片付けるほど上達していく。
スポーツなどのように、毎回の片付けも「練習」だと考えると、回数を繰り返すことでうまくなっていくからです。

たとえば、前回の片付けのときには捨てられなかったものも、次に片付けるときには、「あれ、これはもう使っていないな」とか「もう、手放してもいいな」と判断ができることがあります。
そんなときは、「自分の片付けの判断レベルが変わったんだな」と感じます。

そして、「前回捨てられなかったこれを捨てられるようになった自分」は、とてもささやかな変化かもしれないけれど、前回の片付けのときとは確実に変わった自分。
「片付けの腕が上がった自分、いいね!」と思える、ただただうれしい時間になっています。