Sayaka Mochizuki
そういう予定ではなかったのですが、今日、モネの睡蓮に出会いました。 正確には、きっと今までもどこかで観てきたし、それなりにというのは失礼ですが、美しさに見惚れて「素晴らしい」と思ってきたことだったのでしょう。 でも、これまでは表面的に居合わせただけで、今まで何も捉えられずにいたのだと、そう思わざるおえない、そんな気づきを書き綴りたいと思います。 出かけた先・大山崎山荘美術館に、モネの睡蓮が存在していたことすら知らず、突如あらためてその絵画と向き合うことになり、 唐突に私の生
友人が、誕生日にエサレンマッサージのセッションをプレゼントしてくれた。 セッションの終わりを告げられたとき、今がいつどこで、自分が誰なのかすら霞むくらい、何時間も熟睡した後のようにだいぶ遠のいたところにいて、日頃無意識に構えている内面の奥の方から、するするとほどいてもらったことを感じていた。とても柔らかくて、あたたかい意識の状態を味わいながら、しばらくマッサージベッドの上でぼんやりさせてもらっていたところ。 友人は私に、「さやちゃんのお腹といっぱい会話して、とっても面白く
髪型のあり方は洋服より、その人の印象を決定づける。 吉本ばななさんが日記で語っているのを読んだ時に「ほんとうだ」と思った。 にも関わらず、 大きな引っ越しをしてから、また通いたいと思える美容室に出会えなかったことも大きいけれど、髪型というものに特に関心を持たなくなって久しい。 扱いやすく、整っていればよい。 それが楽で、いつしかそういうものになっていた。 しかしながら、気に入らないのは困るし、落とし所が見つからないなぁと思っていた。 「ファッション」 「おしゃれ」 という
15歳で受験を理由にやめてから、 音楽は聴く楽しみとなって20年あまり。 二年ほど前にピアノを弾き始めました。 聴きたいなと思う音楽が、 いつからかピアノばかりに。 思い出したのは実家で置物になっているアップライトピアノさんのこと。 そんなに好きなら、自分で弾いた方が楽しいのでは? 久石譲のsummerを弾けるようになりたくて、 実家に帰るたびにコツコツ練習を重ねてしばらく経った頃、 久しぶりに会った友人がピアノを始めていて、 ピアノ話で盛り上がり、 その友人が企画
というあだ名をもらうほど、 ごはんが好きである。 出来るだけごはんを美味しく炊きたい、という切なる願望がある。 玄米を内釜式の圧力鍋でもちもちに炊くのが好きで、 しかし実家の電気式の琺瑯ジャーで炊く”パラっと、且つ、もちっと”した感じも捨てがたく、 最近出会った原種と言われる粒の小さい玄米は、白米のように炊飯器で炊けて、しかも美味しい、 などなど そういう発見に日々、喜びを見出している。 もちろん、その炊いたごはんを美味しく食べたいから、ごはんの美味しさが活かされるレシ
2020年、とある疫病の流行で、地方取材がとても少なかったこと。 その事実から、この仕事の形にどれほど楽しみを抱いていたことかを教えてもらう。 少ないがゆえに味わってしまう、ツツジの花の蜜を口に含むようにじっくりと理解した。 初めまして、と仕事でその日お会いした方の、人生で大事にしてきた言葉に触れられる。その現場に立つことができる。 やっぱり、この仕事がもたらす喜びは果てしない。 写真の仕事は、その状況においてもっとも写真として魅力的に伝えられる情報を捉えること。 上空か
新年が始まった日。 一通のメッセージを受けて、彼女の命が続くことを願っていた、ちょっとした緊張状態に終止符が打たれた。 一年以上前、最後に会った品川のカフェでブランチをした光景を思い出す。 メッセージのやりとりを思い出す。 どんなに肉体が追い込まれても、強い瞳と明晰な心で、いつもたくさんの言葉を紡いだ彼女。 その姿そのもので、みんなにすごい勇気を放っていた彼女。 あの人の命が続いてほしかった、 とか、 そう願ってしまう自らの心模様とは、一体なんだろう。 巡る思いを味わい