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理想とかけ離れた自分自身と向き合うのが怖い
色々な方のnoteを読んでいると、ありふれた日常の出来事やそこで感じた思いなどを色鮮やかに語っていて凄いなと思う。
私には出来ない。自分の日常について語るのが圧倒的に苦手だから。
自分しか見ない日記の中でさえ、友人との思い出の記述は少ない。何かのコンテンツに対する感想や、分析ばかりだ。
この間実家で中学生の頃の日記を見つけたが、その頃の私も大半は推しについて語っており、友人との思い出はただ「○○と遊んだ。楽しかった。」という味気ない感想で終わっていた。
何故なんだろう。映画を観たあとは、この感情を残しておかなきゃ…!という気持ちになるのに、自分が主役の日常に対してはその気持ちが湧かない。
友人との会話でだって、推しの話は熱量を持って出来るけど、自分の話をするのは苦手だ。
おそらく私は、自分自身と向き合うのが怖いんだと思う。
映画や小説の感想をまとめることも自分自身と向き合う作業ではあると思うが、それは自分自身の価値観や理想を探す作業であって、現実の自分と向き合うこととはまた違う。
社会の中でもまれて生きる現実の自分には欠点も沢山あって、理想の自分とは程遠い。弱くて失敗ばかりだ。そんな自分の見たくない部分を突きつけられるのが“日常”だ。
しかし自分の思い通りにいかない“日常”をずっと無視し続ける訳にはいかない。
映画や小説で自分の価値観や軸を探す作業は十分出来たし、そろそろ現実の自分に向き合っていきたい所だ。
感情というものを押し殺して蓋をしなければ生きていけない時期もあったが、今はそんな必要も無い。
ありのままの自分を受け入れてくれる人が居ることを知っているから、もう大丈夫。大丈夫だ。
弱い自分も醜い自分も、少しずつ自分自身に対してさらけ出していこう。
第1歩として、まずは日記に出来るだけ日常を記すようにしてみようと思う。失敗ばかりの自分も無視せずに。
この春から、頑張ります。
いつか何でもない日常をnoteにも書ける日が来るといいな。