半か丁か

年甲斐もなく肘を怪我してしまった。私は子供の頃からカサブタを剥がさずにはいられない人間だった。その癖を生傷を負わなくなった今では忘れてしまっていたが、大人になっても変わらないことを、この肘の怪我で知った。カサブタが優しく傷を癒そうと育つ度に、その恩を忘れ剥がす。その度により酷くなる傷口。早くこの肘の傷を治さなければいけないと思い、私は何度も己のカサブタ剥がしたい欲と戦った。しかし、見事に全敗した。私の肘の傷は日に日に悪化していった。
今では人には見せられないほど悲惨になってしまった。その傷口を会社の人に見られないようにクールビズでもあるに関わらず、長袖を袖まで下ろして着ている。例年すぐにクールビズの波に乗る私からしたら異様な光景だ。そのせいか、部署内でその私の姿を見た社員たちは「課長は腕にファッションタトゥーでも入れたのではないか」と噂し、社内の話題づくりに一役買っている。
我慢では解決しないということを学んだ私は、カサブタ剥がしたい欲を運否天賦に任せることにした。カサブタを剥がしたくなったら愛用のマグカップにサイコロを2つ入れ、回して伏せる。中のサイコロの合計が偶数か奇数か予想し、当たっていた場合カサブタを剥がすことが出来る。いわゆるカサブタ剥がしを賭けた半か丁かを行っている。しかし、そもそもカサブタを剥がさないように始めたはずのこの賭博は、賭けに勝てばカサブタ剥せるという矛盾を孕んでいる。
そして、今夜も訳も分からない賭けは始まった。私は勢いよくマグカップにサイコロを流し伏せる。
「半か丁か。」
ここで決めなければ私は一生長袖人生だ。傷を治したい私としてはここで賭けに負けなければいけない。しかし、カサブタを剥がしたい私は勝てと言う。私は一体何と戦っているのだろうか。なぜカサブタを剥がしてしまうのだろうか。私の傷を癒そうとする優しいカサブタをなぜ私は剥がしてしまっている。いや待てよ、私はそんな恩を仇で返すような人間ではない。仕事で同僚がプレゼンの準備を手伝ってくれた時はコーヒーを差し入れし礼を伝えるし、子供の頃に祖母からお誕生日プレゼントを貰った時はお気に入りのカブトムシをお返しするような優しい心の持ち主だ。
私はずっと私がカサブタを剥がしていると思っていた。しかし、カサブタが私を剥がしているのではないか。分かったぞ、敵は存外近くにいる。いつからかカサブタに自分の意思を操作され、私が剥がされていたのだ。カサブタのがなぜ私を剥がすのか。その目的は分からないが、敵と分かればこの賭けに負けるわけにはいかない。
「半か丁か。」
私は凄みを利かせた声でカサブタに迫った。
「半だ。」
勢いよくマグカップを持ち上げた。
「お前の負けだ。」
私は雄叫びを上げながらカサブタを剥がした。

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