なぜ小説なのか 2022.10.19
創作を広義で捉えるとかなりのものがそれに当てはまるだろう。
創作をしていたい。
わたしはその中でも小説を軸にこうした言葉で表現することを選んでいる。
ではなぜ言葉で表現するのか。
ただ少しだけそれが得意なだけ。
確かに言葉を紡ぐことは面白い。
あまり考えずにここに書くのは苦にもならないし自分でもなかなか面白いなんて思えることもある。
しかし、小説となるとどうだ?
アイデアはいいと思う。
思いついたときの喜びは何物にも代えられない。
いざ書き始めてみると、それはどんどん色褪せていく。
書き終えられないものもあるし、終えたものも読み返そうとは思わない。
要するに自分の作品を愛せないのだ。
自分が愛せない作品が誰かに愛してもらえるわけがない。
では、なぜわたしは小説を書くのか。
何かを表現していたいから。
なぜ?
熱くなりたい。
何かに夢中になりたい。
しかも能動的に夢中になりたいらしい。
それくらいに精神的に豊かで安定しているということ。
くそめんどくさいやつだぜ、わたし。
よくよく考えてみると、読書、英語学習、書くこと、どれにもコミットできないのはどれも夢中になれないからか?
こうして書いている時間もボーっと推しの映像を見たりSNSを見たりする方が楽しいんじゃないか?
そうできないのはなぜなんだろう。
答えがわからないから、ありそうな場所を探している。
でも、そんなのないんだよ。
わかってる。
わたしが一番面白いと思うものは、わたしを知ることなんだって。
新しいわたし、懐かしいわたし、いつも同じことで悩むわたし、変なわたし、恐ろしいわたし。
わたしは何よりもわたしが好きだ。
わたしを知れば知るほど好きになっていく。
だからね、今までよりも何かを好きになるハードルが高くなっているんだよ。
目が肥える、舌が肥えるのと同じように心も肥えるんだ。
そんな心が肥えたわたしが愛せる作品を書こうよ。
多分それは、わたしにしかできないと思うから。
書ききれなくてもいい。
その日のわたしが面白いと思うことを書けばいい。
わたしを楽しませるために書いてみよう。
今日の名言 生きるってわたしを感じることだ。