嫌いな人に
✳︎肉声バージョンはこちらからどうぞ
母がテストの採点のパートから帰ってきた。「ただいま」を言い終わるとすぐに、どこかに電話をかける。
「…全く話してもらえないし…………席を離してもらえませんか………」
途切れ途切れに聞こえてくる言葉。人間関係の悩みだな、そう思って声を掛ける。
『どうしたん?トラブル?』
「お母さんのことが嫌いな人がいるんだけど、その人と席が隣なの。お昼ご飯のときもこっちを見ないように食べるし、全く会話がないから居心地悪くて。」
母の言い分だけなのでなんとも言えないが、その人の態度はいただけないなあと考える。私にも、似たような経験があるからだ。
よくよく話を聞くと、その人は母の服装が気にくわないらしい。
「いい歳してスカートなんてよく履くよね、私そういう人嫌い」
スカートを履く母の目の前で、その人は友達に愚痴るそうだ。
『その人は、みんなに冷たいん?』私は尋ねる。
「ううん、お母さんにだけ。馬が合わないのよ。」
そう答える母は、諦めたような困り顔で味噌汁を啜る。“馬が合わない”、そう表現した母に内心驚く。
私はお局に嫌がらせを受けたとき、正直『早くくたばれ』と思っていた。何の非もないのになぜ嫌な気持ちにさせられなければならないのだと、憤慨していた。
母はそれをしない。この人は私が思うよりも、強い人なのかもしれないと感じる。お母さん、今日のあなたはちょっとかっこいい。
母も、母に嫌味を言うその人も、お互いを「嫌いな人」と認定している。でもその行動に差がある。
間接的に不快感を味わわせようとする人、馬が合わないと傷つきながらも割り切る人。
「嫌い!嫌い!お前なんかいなくなれ!」
そんな態度をとったって、お互いメリットなんて一つもないのだ。悪態をつくことで、その場では気が治るかもしれない。でも、その醜態を見ている人がどこかに必ずいるのだ。
私は母を、弱い人だと思っていた。全面的に病んでいる人だと思っていた。
失礼しました、お母さん。
あなたのおおらかな心は、まだ確かに残っている。あなたの寛容さ、見習います。
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