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20代の"小娘"が社長を泣かせてしまった話

もう20年以上前のこと。中国の工場から雑貨を輸入し、日本のスーパーやホームセンターに卸す小さな商社に勤めていた。社長は私よりも20歳近く年上の女性。当時、20代の私にとってはもう完全な「大人」というかなんというか、正直なところ何を考えているのかわからないところがあった。

その社長を泣かせてしまった。

小さな小さな会社なので社長との距離が物理的にも精神的にもものすごく近くて、直属の上司=社長のようなものだった。私はまず社長の裏表の激しさに閉口した。

取引先で「あら、社長サン、いつも素敵♡」なんて露骨に媚びたかと思えば、会社に戻ってきた途端、「あのタヌキジジィ、発注いつも少ない。ほんとケチだね」と悪口をまくしたてる。取引先だけじゃない。社内でも同じことをする。私には社員Aさんをさんざん下げて私を上げ、Aさんには私の悪口を言いまくっていた。

小さな会社なので、わかりやすい二枚舌はすぐにバレる。
「社長があなたとよく飲みに行くって言ってたけど、そんなに行ってるの?」
「まあ、社長が誘ってくるから断れないし」
「社長の話だと、あなたがよく誘ってくるって」
「そんなわけないよ(笑)。社長の愚痴を聞いてばかりだもん。私から誘うわけないでしょ」
「社長は、あなたがたびたび誘ってきては、遠慮なく飲み食いするので困ると言ってたよ」
「ハ? ガンガン注文するの社長だし、割り勘にしましょうと言っても『社員に出させるわけにいかない』と言うのは社長だし!」
「『たかりぐせがあるんじゃないか』って」
「ちょっと、やめてよ」
 という具合。これくらいならまだ笑えるが、当人の人格や生き方に踏み込むような発言もあり(「頭が悪い」「だから結婚できない」的な)、精神的な疲労感は次第に募っていった。

経費節約も厳しかった。当時、中国の工場への発注はFAXで行っていたのだが、ある時、社長が私が送った発注書を指差して言った。
「てん、てん、てん、てん、てん」
「⋯⋯えっ、なんでしょうか?」
「てん!」
発注書をよく見ると、卸先からの発注書をコピーして転用したため、ノイズのような微かな黒点が付いていた。
「てん、これもお金ね」
黒点を付けたまま国際FAXすると、その点まで読み込んでしまい時間がかかるため、料金もかかると言いたいのだ。
「てん、全部修正液で消してから送って」

通信費を節約したいなら電子メールを使えばいいのではないかと提案して実際に運用してみたが、「勝手なことをしないで」と叱られ、またAさんにたっぷりと私の悪口を言われてしまった。社長はパソコン音痴だった。

「冷暖房は終業30分前に消すべし」というルールもあった。30分間は冷気、暖気が持つからという理由だった。こうした細かい節約の一方で、推し俳優に「ベンツをプレゼントしたい」と言い出し、所属事務所宛ての手紙の代筆をさせられたこともあった。事務所から返事は来なかった。

今、書き出してみると、なんだかどれも大した話じゃないように思える。だが、当時の私には結構つらいものがあった。私が未熟だったのだろうな。

で、ここからが本題。こんなにタフな社長が泣いた話、私が泣かせてしまった話だ。

月曜日の朝だった。背後から社長が話しかけてきた。
「おはよう。昨日、選挙に行った?」
前日は衆院選があった。
「ああ、昨日は大雨だったんで、面倒だから行きませんでした〜。社長は行ったんですか?」
そう言って振り向くと、社長は涙をにじませていた。
「どうして行かない⋯⋯」
私は初めて社長の涙を見て、言葉を失った。
「自分で国会議員を選べる日本の素晴らしい制度、どうして行かない。中国ではその制度がない。行かなきゃだめ、絶対に、絶対に⋯⋯」

社長は中国から単身来日し、日本人男性と結婚したが死別。一人で会社を立ち上げた。そういう話も聞いていたのに、あの時、私は自分のことしか考えられなかった。今だったら男社会で1人で生き抜いてきた社長の苦労を少しは理解できたかもしれない。今だったらもっとうまく付き合えたかもしれない。今だったら⋯⋯そんなふうに思うけれども、よく考えると私、それほど成長していない。今だったら、どうだろうね。

あれから選挙には欠かさず行っています。投票所に行くたびに思い出します、あの涙。

社長はもう何年も前に事業を畳んで中国に戻ったらしい。

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