これが現実...
HSPブームと共に、自分がHSPだと公開したけど、絶対ないわ...って人達が結局のところ...
右上参照。
まぁ、個人的にHSPって言葉で共感を与えておいてからの、ワイドショー起用なんだろうけど。
ワイドショーって情報の話題性を追い過ぎる部分が多々見受けられるから、悪いものを感じ取り過ぎてみるだけでも苦痛を受けるレベル。
仕事だから、なんてやれるようなものでもなく...
そして、この人も確か自分もそうだと動画で言ってたんだけど。
これって言う。
はぁ、頭痛い。
結局はブームにのっただけ
そうかどうかはわからない。
では、無いんですよ。
こういう部分が裏に隠れてる事に容易に気づきます。
なので、口で言うだけでなく行動で示さないといけないと言うか。
結局、HSPってどんな概念で、どういう人達なのか?に触れさえもしてなかったんでしょう。
当人たちが公開した時には訴えなかったけど、真偽不明のまま言うとそれはそれで障りがあります。
なので、敢えてみないようにしてスルーしてましたが。
結局、ボロだしてしまいましたね。
そういうボロ対してすら、相当な予防線張るんですよ。色々感じ取り過ぎるし、それ故に失敗した時の跳ね返りがどうなるか?を予想だけでなく、現実という環境からすら感じ取ってる。
そうしておかないと、うっかりボロを出した時の跳ね返りのダメージって大きくなりますからね。
はぁー。
ため息。
あわせて言っておきます。
こういう人達が公開したから。
ブームだけでなく、ここに乗った人は申し訳ないけど。
違うんじゃない?
いや、違うでしょう。
というのも、今回挙げた件だけでなく、人前に出る中で問題にならない程度にはボロを出してますし、そのボロに対しても微細な違和感を感じとるが故に、飾ってるのか?本質に近いのか?みたいなのも感じ取れるんですね。
なので、上辺だけの言葉には乗らないっていう話でね。
有名無名は関係ありません。
有名無名って、真実とか本当を保証する担保になる事はまずないですし。そうあるというのなら、扇動されてるだけです。厳しい言い方かもしれないけど。
そして、虎の威を借りる狐です。
有名人が言ってる、自分も当てはまる、なのでその人の言葉に同感、共感してネームバリューを借りる。
そんなんじゃ、感受性が高いって言えないんですよ。
感じる=感情や思考としての感じるじゃないですから。
違和感って言葉にしてますけど、どちらかというとハッ!と気づくかのように体が反応してるというのが正しい感じなんですね。
ただ、それを言ったところで感じ取れない人には伝わらない。
だから、分かりやすく伝わりやすくなるように、これなら妥当かな?っていう言葉を当てはめて伝えてるっていう手段を取るわけで。
こういう手段の講じ方も、感じとれるが故に出来てしまう事でもあるんですよ。
はー。
ため息...。
申し訳ないけど
上辺で繕う程度だと、そこから発生する些細な違和感すら感じ取って気づきます。
まぁ、たった1回のミスで...みたいに言う人も居るかも知れませんが。
ミス以前に、うっかりとは言えやらかした時に何が自身に向かってくるか?という部分で、完璧は無理でも可能な限り避けようとします。
傷ついた人の、怒り、悲しみ、苦痛。
事前にそういう物が向かってくるのを感じ取るんで、自然と避けるんですよ。
個人的には、過去、現在、未来、関係ない程にどうしても感じとるというか、伝わってくると言うか。
とはいえ、それは自身が想像してる可能性があるので、敢えて表に出す事だけは控えます。実際問題として、HSPについて記事を書くに当たり、書くのをやめたり、出したくても出せない部分があり過ぎるというくらいにあって。
生きづらいなんて、自分の物だけでなく、他者の物まで拾ってしまう。
この辺がカウンセリングでの話に繋がると言うか、他者の感情を取り込みすぎるだけでなく、それを自分の物として処理してるなんて言われてしまう事になってるんですね。
気を遣いすぎ、人が良すぎと言われる正体もそういう部分があります。
それだけでなく、言葉にして伝えても”感じ取れない人には経験が出来ない部分にもなるので、どうしても伝わらない”
生きづらいとか。理解されないとか。
そんなのイチイチ悩む物ではなく、大前提です。それを幼い頃から否応なしに、周囲に居る他者からぶつけられて来ただけでなく、現実世界という凄く大きな環境から感じ取らされてるし、中には嫌でも経験させられるという物もあります。
だからもう面倒臭すぎて、こんな部分要らないんですよ。
生きづらいなんて当たり前。
感じ取り方が違い過ぎてて、どんなに言葉を尽くしても相手が客観視を使えず、自分の価値観や経験から無かった事としようとするから、伝わらないし、理解されないのも当たり前です。
それだけでなく、都合の良い部分は過剰という程に評価したり、褒めたり、持ち上げたりして、言い方悪いけど利用してくるんですね。
そのくせ、都合の悪い部分は無かったことにしようとする。
これが日常で、当たり前レベルなんです。
受容なんて幼い頃にしてもらえなかっただけでなく、今では受容してもらってるという事にしてるという感じで、一歩踏み込んでこちらも相手を受容してるという部分もあります。
それ程に、色々感じ取り過ぎてしまうんですよ。
正直、個人的には、HSPブームで名乗る人が増えてる現在って、寧ろ絶望する世界なんですよ。
HSPが住みやすい世の中とか言ってる人達が、人間に対しての呆れほか色々を更に強めてくれてるんです。迷惑極まりない。
感受性や、感じとりの部分の差だけでなく、それを受けてどう判断しどう行動するか?というのは、感受性の外の話になるので、それこそ人それぞれ多種多様なんです。
だから、共通認識なんてまずとれない。
とれたとしても、それはマジョリティとマイノリティという多数か?少数か?っていうだけの話にしかなりません。
そして、多数であれば絶対に正しいなんて事は無い、というのは歴史が証明してくれてます。
何をどう感じ取ってるんですか。
まったくもう...
まとめ&あとがき
やれやれ。
ホントにヤレヤレです。
久しぶりに書くことが出来たと思えば、こんな内容になってしまう自分に嫌悪を感じつつも、流石に今回のはなぁ。
流しきれないと言うか、何と言うか。
HSPブームに乗っかるだけでなく、有名人だからって虎の威を借りる狐が如く借りて語ってた人達も、なんだかなぁですよ。
一体、何を見て、何を聞いて、何を感じ取ってるのか...
まぁ、知ろうともしないまま、都合の良い部分だけを見て乗っかってしまってたのだと思いますけどね。
なんていうか、有名人が言ってたとか、本があるからとか、そういう扱いは自分で説明できる言葉やバックボーンが無いっていうか、ね?
自分の言葉で説明するという事は、自分で責任を持つ事でもあります。
なので、言い方悪いかも知れないけど、他人に乗っかって、最悪他人の責任にすればいいという、無責任さの表れではないでしょうかね。
と、なんやかんや言いつつ。
やっぱり疲れてるんだなぁというのも実感しなくもなくて。
その疲れというのも、頭や体が疲れてるのではなく、もっと深刻な部分が疲れてると言うか。
なので、ため息も出てしまうんですよ。
ね。