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時事ネタを元に触れてみる

何やらまた、海外で研究されてた方がノーベル賞受賞ということで、ニュースになってますが。

それでも、その扱い方の中には、またかぁ…と溜息出るやら肩がガックリ下がるやら。

ホントテレビってどうしようもないし、テレビ離れが加速する理由分かってないよねぇってのを、まざまざと見せつけてくれると言うか。

その中で、取り上げられてたのは受賞する方が、インタビューで

日本は好きなことが出来ない、やろうにも邪魔されるだけ、だから海外に出た

と答えてるのを取り上げてましたが。

これ、アレですよ?アメリカで研究をされてた方なので、所謂リップサービスというか、あくまで演出としてのジョークとして言った可能性はあります。

そのインタビューの映像も、海外でされたものを使われてたんですよね。なので質問する記者も英語、受賞された方も返答は英語になってて。リップサービスだ、ジョークだというのは、そういう部分からの推測です。

それでもまぁ、本音かもしれませんが。

実際問題、生物、物理、化学という分野は、未だ戦後を引きずってるのか、

それは軍事研究だ!日本はまた戦争をするのか!

と、訳わからないことを口走る挙げ句、そういう事にしたいので研究する側の意見を聞かず感情的になって騒ぐ、という邪魔やちゃちゃがあるという様な話も耳にしなくなくて。

なので、日本を出るのはある意味当然だと思いますし、個人としては本気でそういう分野の研究をしたい人は海外にでるのは良いことだと思います。

いかんせん、研究してた時間が長いだけでなく、データも揃ってるし、勉強にもなれば、いい刺激になるからという理由からも外に出て見る、知るというのも一つの手という感じです。

うん。

それなのに、政治につなげてやいのやいの。

これ、しばらくまだ日本の研究って海外より遅れてしまうんだろうな、って思いました。

と、前置きが長くなりましたが、そういう部分からも感受性には触れられるので触れてこうかと思います。


日本では好きにやらせてもらえない?

うん、そのとおりだと思います。

そしてそれは、研究者がどうこうだけでなく、異なものがいれば出る杭にして叩けと言う感じでね。

何がどうあって、そんな事になってるのか?という現実より、大勢が同じことを口にしたなら、お前は間違いだ!と多数決ではなく、多勢に無勢で潰しにかかる風潮が未だ残ってるからなんですよ。

そういう意味では、研究者が研究しやすい環境だけ準備しても、置かれた環境次第では、研究に限らず目を摘まれかねないという根深い現実の方が問題だと思います。

そもそも日本の場合、未だにWW2の亡霊が居ると言わんばかりに、研究という分野でも軍事研究や戦争という言葉を持ち出す人すら居るという話もありますし。

というか、研究って実際は失敗の連続という感じで、成功するという方が少ないというか、論文を出してもそれで終わりではなく、それをひっくり返そうとする論文が出たりもするんですよね。

また、その失敗も失敗したから終わりでもなく、その他の分野でも使えるかも?と幅を広げるのが海外なんですよ。

だから、ワクチンを作った国なんかどうですか?

軍事研究やら軍事力に物を言わせてるような国ですよね?

うん。あっちは良いけど、こっちはダメというだけでなく、兎に角感情論からの邪魔って面倒なのが日本ならでは、なんですよね。

で、なんで私がこんな事を語れるのか?というと。

持ち前の感受性から違和感を感じて、目に見えやすい情報とは違うものを探すわけです。そうすれば正誤どうこう以前に、そういう可能性的に大いにありえるという物に出会うんですね。

そして、これを可能にしてくれる感受性は、

違いを認識されるのに、説明すると自分たちと違いすぎて異な物だからと抑えつけられる、そいうもの物なんですよ。

個人的には、口を開いて感じたことを言うことすら、邪魔されるどころかしつこく付きまとわれて、抑えつけられるんですよね。

かと言って、そうある人達が同じ立場になると、違ってない!と感情丸出しにして大暴れする。

トンデモない国、ニッポン。

なんですよねぇ……

ほんとこう、そういう研究って軍事から医療やその他に利用できるからと転用してて成功をしてる国の、なぜそうあるか?をちゃんと見据えましょうよ。

っていう、ね。

まぁ、あくまで可能性、ですけどね。


上辺だけでは、本当にダメ

HSPにしても、情報にしても、なんていうかその。

上辺しか見えてないの、直したほうがいいですよ?余計なお世話かもしれないけど。

HSPは感受性の話なので、気にしすぎて悩む、くよくよする、人にうまく馴染めないっていう様な個人の有り方の話ではないんですよ。

そこまで行くと、性格、価値観、個人の基準、置かれた環境、対人関係、生育歴、親の教育ほか、個人の色々が総合した結果ですから。

そして、繊細ってね?造形美とかそういう方面でも扱われてね?

今にも壊れそうな細やかさをみせつつも、造形として美しいさまを見せてくれる

という、場合にも使われるんですね。

他にも折り紙細工であれば、折り目のブレが一切無くて、折り方も均一で整ってるとかも、繊細って言われると思います。

人の技術として、そういう繊細さがないと出来ないことなので。

なので実際は、弱くて脆いではないんですよ。

弱くて儚げにみえるけど、通ってる線や筋があって強くあるみたいな。配慮や気遣いにしても突っ込んでやるほど、気遣いがきめ細やかとか言われるんですね。

感じとりやすい敏感さも、得られる情報が多いので寧ろ隠して置かないとダメなんです。

刺激に弱いというのも違います。

刺激とか、影響とか表現してるだけで、それは感受性としての感じ取りになる、原因や要因というものです。臭いなら匂いの成分、音なら振動、光ならその波長や周波数、エネルギーという物です。そして人間なら無意識、無自覚のうちに漏らしてるもの、漏らしてる感情ほか色々あります。

そういう刺激や影響を、おおよそ多くの一般的より感じ取りすぎてて気づいてる、見えてる、聞こえてる、察してるというという感じだし、それだけでなく微弱、微細、微小という、感じ取れないものも感じ取ってるんですよ。

だから、敏感だとか言われるんでね。個人的にはそれも過ぎてて、鋭敏だったりとか、エスパーだ、ニュータイプだ言われるんですよ。

なので、ただ弱いだけなのって下手すると、脆弱ですから。弱さに頼りすぎてもダメなんですよ。

ほんとこう、自分がそうだ以上に、そうある人と会ったことすら無いでしょ?っていうね。

そうあれば、自分がハマれば間違いなく周囲にいる、その過ぎる人に負けてるからってあしらわれるんですから。


情報にも意味や、意図がある

事件についての警察からの公表、気象庁から発表される気象の状態からの注意や警戒。

そういう一次情報が大事なんですね。情報として。

今何が実際に起こってて、どの様な状態になって、どういう対応をすればいいのか?という必要な内容が入ってるんです。

それ以降の二次は、過分に人の感情が盛り込まれるだけでなく、それを利用して扇動しようみたいな意図も隠れてたりします。

最近だと、ニュースの見出しやタイトルが煽ってるということで、煽り記事なんていう言葉も聞かれるくらいに、煽りに来てるんですね。

そういう情報を真に受けてるようじゃ、人に振り回されてる状態そのまんまなんですよ。

それなのに、HSPについて書いてる内容を見ると、人に振り回されるのをやめたら楽になりました!とか、えー?どこがそうなんですか?って人も見かけます。

HSPという言葉とそれが自分に都合が良いものだからって、自分からハマって自分から振り回されにいってるのに、仕事や学校という面倒で嫌なところにだけ”人が振り回してる”を当てはめてるってもう、アカンで?

逆にこういうのは、感受性のレベルが高いだなんだ関係なく、気づいてるけど黙ってるって人も多いです。変に刺激して、関係が悪化するよりはマシですから。

ハマりこんでて気づけ無いなんてのは、普通の人でも気付けるレベルなことなのでね。

自分はHSPって言いつつ、それやってたら流石に、ね?

HSPって言葉が認知されて、豪語した途端に、お前が?言われかねないですよ。

うん。


あとがき

そーりゃ、現状の日本で本気で研究しようと思えば、出ていきますって。

海外の方が向いてるというのは、歴史として長いこと、学問で成功を収めるという環境があったので、より良い結果を仕上げようとしてたのも背景にあると思います。

パラケルススとか。

まぁ、全部が良い方に働いたわけでもないし、現状のレベルから見るとありえないのですが、それは現在の段階に来るまでの試行錯誤と失敗という、研究にはありきな話でもあるんですよね。

また、歴史や神話、宗教的な話を掘り下げて、利用できそうなら利用する=周囲を納得させられるような言説を作ると言う形でね。

掘り下げて、見つけた内容に自身の狙いを含めた言説を付けて利用する=性にゆるい神様が出てしまうという事になったというか。ゼウスなんかも、その辺で色々神話があるのは、こういう事情も無くもない。

これが正しいではなく、こういう話もあるからには、火のないところに煙は立たない。なので、過剰にハマるのではなく、あくまで可能性の一つとして知っておき、使えそうであれば利用するという、ね。

こういう部分からは、情報だけでなく古来は神話ですら利用されてたという現実もあるんですよ。

そして、神話であれば日本も変わらないところはあります。

うん。

感受性が高ければ、そういう歴史的な流れから、利用するものは利用するというのが情報もそうあるという所に辿り着けそうなんですけどね。

ネットがなくても、おおよその可能性だけでなく、嫌でも何度でも目にする事になり、これはもう…というくらいに固める事が出来たくらいなので。

感じ取って気付けるというのは時として強さにもなるし、そういう扱いも出来るんですよ。

うん。

ということで、ノーベル賞、研究、情報と触れながら神話まで、手を伸ばしてみました。

感受性ってね。

そういう類似するポイントに気づく事にも発揮されるので、世界を広く見据える、見つめる為の物にもなるんですよ。

ということで。


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