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ほんとこう、余計な事する人いるよね

たまたま、これまたアルファベット4文字の言葉が目に入り。

何だこれは?と調べてみたら…。

何というかまぁ、呆れるというかなんというか。

ラベリングに当たる言葉の場合、浸透してしまうとどうしても分断というか。

人間の価値観や理想って、どんなに良いものを作ったとしても、相反する側が出来てしまい、時として分断されるし、衝突もするもの。

また、イジメの原因も、そういうラベリングが関わるケースもあるんですよね。

深い所に触れない。

実際を知ろうとしない。

でも、そういう話、そういう言葉があるからと、一方的に相手を傷つける。

子供がイジメをしてしまうのは、その子のパーソナルな部分に、

そういう大人の有り様の影響

というのも、間違いなく絡んでると思いますよ。

子供に取って理想的を語る反面、そういう子供でも触れかねないネットでは相反する物はおかしいだ、変だ、間違ってるだという大人たち。

ワイルドではなく、やれやれだぜぇ。


最初にちょっとだけ嫌味っぽく

良くも悪くもと言うか。

文章を書くのって、国語や現国の成績なんかも絡むし、それでは測れないけど、やはり文章化する能力が必要なもので。

なので、その辺の不得手はやっぱり出てしまうんですよね。

また、ネットの場合、そういう意図が無かったとしても、不特定多数が目にできる場所に自論を展開するような物です。

そこを考慮せず、自由や権利という言葉だけに乗っかって挙げてしまうからこそ発生するのが、

炎上

という。ネットの世界でもやり方ってやっぱりありますし、自由が過ぎると捉えられたら、知らない誰かに叩かれるというのも、実は当然だったりする。

なので、メディアの記者よろしく、下調べや自身が学ぶ事も必要になってくるわけですが。

まぁ、そこは個人の○○との難しさがあるのも、また当然なんですけどね。

とはいえなぁ。

都合が良いってのは、ある種のネガティブなので、増えられてもストレス加速社会になるだけなので。

アレコレ問題視して触れる割に、根本を考えず。

喉元過ぎれば熱さを忘れると言わんばかりに、旬が過ぎたら触れられなくなるなんてのはもう、止めにしたほうが良いと思うんですけどねぇ。


実は身近に事例がある事だったので

今回目についたのは、DINKSと言う言葉。

結婚しても、子供を作らない選択をした方をそう呼ぶという、ね。

なんだよこれ。

そもそも昔から「様々な事情があって、そういう選択をせざるを得ない人達もいる」という、ね。

望んでても、人間の体って思った以上に複雑で、治療すら叶わない。

そういう人たちも居るので、選択するだけでは括れないというか。明らかに大して知りもしない人が勝手に作った造語じゃね?みたいな。


実際問題として、従姉にそういう、ね。ケースがあるんですよね。

不妊治療をして、高齢ではあったけど、なんとかなった。

治療すらも叶わず相談の上諦めた。それをパートナー側の親も受け入れてくれるどころか、寧ろ気遣ってくれて良好な関係が築けてる。

という、2例のケースが。

また、ね。

父方か?母方か?と言う部分では偏ったので、親戚同士が集まる席で、過剰なほどに孫かわいいするのは、ちょっとこう色々考えようね?という微妙な空気すら流れもします

当事者同士の親同士が兄弟姉妹なのに、慮れずにやりすぎる、ですから。

ほんとこう、色々難しさがある環境というのが、不思議と身近にあるんですよ。

こういうのを知ってると、

子供を望んでも諦めるしかない人も居て、選択するとはいえ、その理由に踏み込むと、人の心の傷に繋がりかねないとも思います。

望んでも叶わない。生まれつきで先天的とは言え…。

ほんとこう、妙なラベリングにすらなる言葉を作るなよ…

個人としては、どうしてもこう、そういう人間のいい加減さって許せないというか。

見える範囲が基本的に狭いのが人間なんですよね。

身近にそういうケースがないことには、そういう理由にたどり着けないとか。

それが悪いのではなく、そうあるのが当たり前。

なので、言葉を作る、海外から流用する、という事をする時には慎重さが相当に必要とも言えなくもない。

話題性なんて、提供する側にしか利益がなくて、提供された側は実は不利益だったって事も多いのに。

都合のいいところだけを見て、都合のいいことだけを言う。

ほんと、やれやれですよ。


どうしても相反する

話題性や情報発信。

そして、優しさや思いやり、配慮。

これは、どうしても相反する物というか。

如何せん何事も少数派。

というか、自身が持つ違いのせいなのか嫌でも少数派になってしまう身としては、

事が起これば人の心の傷になりそうなものを取りあげ善悪の断罪をする。

でも、それも過ぎると知らんこっちゃないと言わんばかりに、自身が与える傷には見向きしない。

配慮だ、自由だ、権利だ、人権だを大切にしたいのか。

それとも、話題性をもって面白おかしく過ごしたいのか。

相反する矛盾を唱えてるのに、自分を顧みれず、排他的と言わんばかりな言動をする人間って、何がしたいんだ?と。

個人としては、ネットすらも、悪い意味でのテレビ化が始まってるというか。

優しさとは、なんぞや?

配慮とは、なんぞや?

と、嫌でも考えさせられてしまうんですよ。

だってその、出来る人とは言われるものの、アイツみたいに出来ないという言い訳としての対象という扱いすらされる身でもあります。

周囲が勝手に、そういう人とか、それどころではないほどに過ぎてる人と見られるだけ、ではないんですよ。

ちょっと特殊なものを持ってると、ね。

ほんとにね。

文明を扱ってるのではなく、扱ってるつもりで、実は振り回されてる。

そういう見方も必要なのでは?と思わざるを得なかったりします。


個人としても

性別違和というか、トランスジェンダー、トランスセクシャル、ほか。

様々な言葉で表現出来てしまいますが、スタートラインが、

生まれたばかりの赤ん坊と、対応する母親、そして周囲にいる経験者の有様を見ての、自身の将来という、ね。

男の子、女の子の区別がついてなかろうが、自然とそれが自分に取っての幸せだと感じてしまったので、体の性別に対し、内側の性別が一致しない。

そういう人間なので、仕方なしという割り切りは出来てはいても、どうしても子供を産むと言う部分には、何かしら感じてしまう。

今回、DINKSなんて言葉を意識してしまったのも、そういう子供を産む産まないにしても、様々な理由があるのに、なんでそう表面上だけで括るような言葉作るんだよ…と、一瞬で色んな感情が沸き起こったから、と言う理由が一つとしてあります。

疑問を感じたり、懸念するのもね。

LGBTQにしろ、NEET=ニートにしろ、好き勝手に弄くりすぎてて、当事者が抱えるものに踏み込まないまま、言葉をおもちゃにする様にあきれて久しいだけでなく。

そこには明らかに、悪意。

優劣と言う部分からの、見下し、蔑みというものが、隠しきれてないって人が多すぎるくらいなので、疑問に懸念は当たり前だったりします。

ほんとこう、動物としての本能と言わんばかりに、そういうつもりはない、すらもすっぱ抜くほどに、不思議と感じ取ってしまうんですよ。

無意識とか、無自覚と言う部分すらも。

そして、感じ取ってしまうとはいえ、感じ取ってしまうのは、

感じ取れるほどに外に出してる他者がいるから

という、突き詰めると真綿で首を締めるではなく、「しめて差し上げます」にもなる、と。

感受性が高いというのは、そういう事なんですよ。

良い悪い、どちらか一辺倒ではないのは、自身がもつそういう部分すらもそうある。だからこそ、完璧とは言えずともなるべく制御しようと。

自然と幼い頃に、皆と同じになるように、目立たないようにしようと。

そういうタイプだからこそ、無駄に造語作って、なんやかんや都合の良い部分だけが見えるように語ると言うのは、もう止めませんか?と。

イジメも、誹謗中傷もなんで起こるかというと、そういう動物としての優劣や、そこに人間だからこそ生まれる感情と言葉があるからこそ。

追求して、突き詰める、煮詰めるすると、どうしてもそういう方向に行くんです。

でも、イジメにしても、誹謗中傷にしても、問題視というより、善悪の断罪や自己の正義という部分への快感に毒されてるだけでしょ?

そう言わんばかりにしかみえないので。

余計な言葉はもう吐くな、と。

それは、すなわち、呪いなんですよ。

自分で自分を苦しめるかのように、呪詛をつぶやいてる人多すぎ大問題。

古い時代を馬鹿にする割に。

古い時代以上に、呪いの言葉を吐き出してしまってるのが、情報化社会の負の側面ですよ?ってね。

個人として、性別適合手術を望むのを止めたり、それを性転換という完全な性別の転換を含む言葉での表現を嫌うのは、

「子供を産むこと」

に対しての自身の感じ取り方と、そこから考えうる将来を考慮した上での、様々な理由があるからなんですよね。

そして、精神的に病んだだけでなく、そこの葛藤が強くもなったので、結婚すら考えなくなった、と。

そういう意味では、子供を産まない選択をしようが、理由は様々だし、理由次第では衝突しかねない難しい問題なのに。

それを良い物として扱うのは、無駄に傷つく人を増やすだけだと。

あろうがなかろうが、プレッシャーをかける人はかけますし、それと向き合うのは、かける側かけられる側の問題なので、言葉を作って外野がどうこう言うものでもないです。

ほんとこう、イジメ問題と同じなんですよ。

被害者、加害者という当事者でもないのに、加害者が悪いからと、外野から石を投げつける。

時には遺族がそっとしておいて欲しいといったのに、未だに持ち上げることすらあるくらいですし、ちょっとやっぱり反省はする必要あるのでは?と。

自分がやったやらない以上に、関係なくとも考えて、自身を振り返れば、少なからず外野にたってしまった事はあるでしょうし。

自分もそういう側だからこそ、今一度深く反省してみませんか?

と、思ってしまうんですよ、ね。


あとがき

ほんとこう、夜露死苦ではないですが。

日本人は4文字に弱すぎ大問題。

ニートにしたって、英国発のNEETで4文字なんですよね。

それを誰かが持ち込んだだけでなく、勝手なイメージ付を行うわ、問題視しながらも深堀りして異を唱える人は居ないわ。

LGNTQも最近になってQが追加されただけで。

LGBTで入ってきたけど、その頃から中身は大して知られていない。様々な人がいるので、一辺倒なイメージで括れない、纏められないのは変わらない。

ほんとこう、無駄に言葉を作ったり、話題性や話題と言いつつ、何がどうあって、どういう人達が話題にしてるか?という部分に触れないまま。

大して話題どころか、トレンドにすらあがらないのに、Twitterで話題とかはもう、詐欺とか騙しでしかないのでは?

なんですよね。

話題性なんてもう、ネットが普及しただけでなく、SNSすらなので、なるところでは自然と話題になるので、情報としての価値がないのに。

未だ、そうやって、自分たちが情報の主導権を握ってる、先駆者と言わんばかりの存在があるせいか、毒され過ぎだと思います。

一時期ネットでは、情弱=情報弱者というレッテル貼りも流行りましたけどね。

レッテル貼る割に、自分が得意とする部分しか知らない人が殆ど=知ってる範囲だけで強者として優越を誇ろうとする。

なので、炎上やブーメランという言葉も生まれたし、リテラシーを問題視して叫ばれもしましたが。

テレビ離れはもう古い。

ネットが汚染されてるというのが、どちらかというと正しいと思います。

自分に取って都合がいい情報、都合がいい言葉、都合がいい話題があると振り回されてしまう。

楽や欲にあっさり負けてしまい、その走狗になってしまうという。

走狗ってつかいっぱしり、みたいなね。そういう悪い言葉なんですが。

敢えて使ってみようか…って思うほどにこう、情報に踊らすぎてて、情けなや。

です。

考える力ってのは意外と大切なのですが、情報はそれを奪うためにすら用いられるものというのは、過去の歴史からも見られますし。

WW2での過ちから、日本は戦犯!みたいに言う割に。

情報をもって扇動もされてた、と言う部分には触れない。

情報はそういう要素を持ってるのが、知られる、バレるのは嫌だからと言わんばかり。

ほんとやれやれですわぁ。

そして、イジメって良くも悪くも、ストレス発散という要素もあるんですよ。

子供の叱り方が、怒の感情任せになりがちでもあるので、子供も子供で良い悪いとは別にストレス受けるもので。

それが巡り巡って、イジメにすらもなる。

深い所まで見据えての、悪循環を断つ。

コレが出来ないと、いくら理想を掲げても。

言うは易く行うは難しで、価値観が違う人にストレス与えるだけだから。

悪循環は止まらない。

さて、どうすれば良いんでしょうねぇ?

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