基準のないチェックリスト
HSPという言葉を追ってみると、色々出てくるんですよ。
どうしてこうなったの......みたいなものって。
その中の一つにあるのが、チェックリストだと思います。これが、おかしい=妙、なんですよね。あくまで、心理学上の概念なので診断基準とかは無いというのは知られてるだけでなく、チェックリストを紹介してる人も認知してるだけでなく、そう書いてたりします。
それなのに、そのリストに照らし合わせて自身がHSPだと判断する。
どういう矛盾なんでしょうね?
そういう部分にも触れてみたいと思います。
申し訳ないけど、こういうのも都合が良いように扱っているという心理が働いてると思いますし、心理学は学んでないですが、そういう感じ取りから人の心理の動きみたいな部分にもどうしても行きついてしまうんですよ。
と、前置き長くなりましたが、触れてみたいと思います。
特徴とチェックリスト
診断基準は無いとは言われるけど、特徴があってそれがリスト化されてる!
とか言われそうですが、特徴はあくまで特徴。研究をされる中で得られた”だけ”の結果で、全てを網羅しきれてるわけではないんですよ。
そういう、お仕事もしてきてます。品質管理の為の分析だけでなく、そういう管理の元になるための研究みたいな仕事とかね。
そして、詳しくは言えませんが「基準の為の会議のメンバー」という仕事もしてきてます。○○基準の△△について、みたいに基準の中の1つの項目だけについて、ですけどね。
こういうのって現に目にする耳にする事があるんですよ。扱う問題が大きすぎると「第三者委員会」という外部からのメスを嫌でも組み込まれる、時にニュースになって問題視される事についても、必ず外部の目や意見って入るんですね。
なので、一研究者の名前をいくら出しても、説得力ってすごく薄いんです。研究成果が世に出て認知され、形を成して扱われるには、正当性や平等みたいなのを担保にするため、その人以外が必ず組み込まれます。
世知辛い世の中ですが、ちゃんと責任持つところは持つんですよ。そうじゃなきゃ、世の中の仕組みなんて途端に崩れて、大戦争ですよ。
特徴だってあくまで特徴。そういう特徴を持った人が多いので、ここを基準にしよう、というレベルまで行ってないのが実情です。
ましてや、チェックリストの中には、感じ取るが故ではない別の項目って入ってるんですよ。
一瞬で、あまりのおかしさに目が点になって、眩暈がするくらいに思考がとまってしまったなんて事もあります(笑)
そういうリストってね。作るのは良いけど適当にやってしまうと、妙であるという事に気付くだけでなく、気づく人の中には、何故こんな項目が入るのか?を掘り下げようとする人って出てくるんですね。
そして、色々情報を探ってると、奇妙さが見えたり、それに気づいたりもするんですよ。気にして調べてるから。
そういう人からすると、HSPの最近のあるあるブームでは、そのおかしさを多くの人が語りだしてるからと気が大きくなってるのか、頭隠して尻隠さず、馬脚を露す、そういう諺にもなるような事をやってしまってるし、これはアカンよなぁって感じるんですよね。
基準が無いのに、どうやってチェックリスト作るのよっていう。
いくら第一人者だからって、名前出しても世の中の道理を知ってれば説得力は薄い。成果としての論文はあくまで行われた研究だけの結果や成果で、それを世の道理にするには更なる手順が必要です。
また、勝手に名義という個人の権利に関わるものを持ち出してるので危うい。
そう言う危うさは親告罪というんでしょうかね。名義を持ってる個人が訴訟起こさないと罪には問われないので、それが悪い事だと気づかずに横行する。
そもそも、研究してる博士も、こういうHSPという概念を面白おかしく扱ってもらう為に研究してる訳じゃないのに、勝手に名前を出されるっていう被害者みたいにもなってると思いますよ?現状って。
名前を持ち出すのに、なぜこういう事を研究して、成果として挙げて来てるのか?みたいなね、研究する側の心理に近づかないまま振り回してるのって、すごく無責任かつ相手の真意を踏みにじる行為だとも思います。
という事を訴えても、取り下げないんでしょうけどね。
とはいえ、取り下げずに訴え続けるというのは、愚行であり、現実から目を背けると言う事でもあり、いずれ真綿で首を締めるになる。
だから、止めた方が良いよ、そう話すんですよ。
リストの項目とそのおかしさ
中には確かに、特徴として上がるものちゃんと明記されてる。
でも、明らかにおかしい=妙、これはない、という項目も織り交ぜられてるというリストも散見されます。
どういう項目か?という所ですが、
感じ取る事が起因、要因ではない、明らかに別の要素から発生してる心理や行動、そういうのが項目に挟まってるんですよ。
学校で上手く答えられずに考え込む、とか正にソレ。
こういうのって、問題に対しての回答が出てこない=答えられずに考え込んでる、っていう学力の問題でしょうに(笑)っていうね。
あとは、些細な事に驚きやすい、傷つきやすい、とかですかね。
傷つきなんてしませんって(笑)。
それに驚くと一言で言っても、見せる反応は様々です。見せた反応を言葉にすると驚くになるだけで、実際は五感に作用する刺激にはそれに合わせた眩しい、うるさい、臭いという所から、特に光や音は、眩しくて驚いた、大きな音が聞こえて驚いた、という感じで、刺激によってもたらされた反応がそういう言葉になってるだけという言い方も出来ます。
また、傷つくというのも感じ取ったもの、その物からは発生しないというか、言われた事が自分の感情や価値観に沿わないからそうなるという感じで。
HSPだなんだ関係なく、そう簡単には人から多少悪く言われようが、何でそんな事言うのか?というのも気づくだろうと思いますよ。感情がこもるほどね。
なので、簡単に受け流せる事が出来る物もあるにはありますし、寧ろそう言う物の方が多いと思います。また、個人の性格や価値観も絡んだ上での反応で、感受性だけに限る話でもない、という事にもなります。
私の場合それが少数派だからって事で、周囲が拾って集団化➡都合が悪いと叩きに来るみたいな、責任転嫁で攻撃されるってのを積み重ねたから病んだようなもので。
ほんと、申し訳ないけど中身が無い言い分ばかりで、ちょっと突くと感情あらわにして叩きにくるし。
そうやって普段は叩いてくるのに、都合の良いケースだと持ち上げて、任せられるのは、出来るのはお前しかいない!だからやってくれ!とか、マジ( ゚Д゚)ハァ?でしかなく。
そう言うのを、幼少期からやられてるんですよ。その時の記憶がイメージとして襲ってきて意識とか視界がブラックアウトしたりもします。要はトラウマなんですけど、不安だとしか言われなくて、未だに不安障害って扱いのままから進展すらありません
という身の上ばなしは置いといて。
そう簡単に傷つくなんてのは、自身のメンタルの弱さと、それに目を向けない無責任さの表れだと思いますよ。向けられた言葉でも、自分に責が無い物なんて、寧ろこちらも逆切れしますし、対抗もします。そして、普段は押さえて受け流す事が多いです。
という感じで、あくまで一例ですけど。
これが、HSPというか、感受性が高いとどうなるか?
問題に答えられないなんて、答えられないことで授業の流れと授業を行ってる環境に停滞が発生する事にサラッと気づきますよ。その停滞が発生する事で、問題を提示する側の教師に感情の変化が見られるし、クラスという自身が所属する部屋において、自分以外の生徒という他者の集中力が散ってしまう状態が発生し、気持ちが逸れてしまう事で明らかに必要のない行動をとる生徒が出てくる、というのも目を向けなくても感じ取ってます。
こういう部分に、瞬間的に気づいて「このままじゃ良くないな」と、笑われようが馬鹿にされようが、下手すれば面白おかしく振舞ってる様に見える程に「分かりません」って正直に答えて、停滞した流れを取り戻そうとします。
心理学上の概念として、感覚処理感受性とか、環境感受性とか、そういう突っ込んだ内容にまんま当てはまる行動をとるんですよ。
感覚的に感じ取って、環境を整えようとする。どちらも感じ取り過ぎて、自分だけでなく周囲への影響も考慮し、波をたてないようにしちゃうんですよ。
こういう感覚処理感受性とか環境感受性という心理学上の概念が出来上がってくれた事で、個人としては凄く説明しやすくなってるだけでなく、説得力みたいなのの後押しになってくれてる。
正直、研究してくれて、こう言う概念を作ってくれた人には、感謝したり頭が上がったりなんですね。
だからこそ、触れて欲しい、学んでほしいとか言うんですよ。突っ込まなくてもいいから、そう言うのに触れて感じて、考えて欲しいみたいなね。
長年説明してても、「自分はそんな事ないから(笑)」って感じ取れないからやってしまう一蹴、それをされ続けて来た経験がまんまリンクする程なんです。個人的に。
と、個人感情がたんまり入りましたが。
そもそも、チェックリストというものなんて、何かしらの狙いや意図があって作成される物でもあります。そこに、異な物が混ざればチェックリストが作成される環境におかしいものが混ざってる。そういう感じ取りもしちゃうんですよ。
確かに挙げてる項目は、普通の人が陥らない行動かも知れませんが、陥らない理由や要因が別にあるのに、HSPにある特徴につなげてその内容だと誤認させようと狙ってる。そんなリストになってたりすると思いますよ?
だからこそ、5人に1人みたいな話が出てるのに、僕も俺も私もHSPだなんて言い出すような環境が作られてしまってる。
そんなに、自身って特別なんですか?
運動でいうなら、一流とは言えないまでもプロとしてその世界でやっていけるような人物なんですか?っていうのと同じです。
幼い頃から、価値観からしておかしい=間違ってるという事にされ、本来ならフォローしてくれる大人として傍にいる親からすらも否定され続けながら、それらを処理して、受け流して生きて来て、見えない無意識のストレスで潰れて精神病んでしまった私と同じレベルですか?
こういうのを自分で言うと、自分を持ちあげてると揚げ足も取られかねません。
でも、実際問題として事実だったり現実だったりもして、突っ込んで話すと臨床心理士の先生からすらも「それは過ぎてる」と注意される。でも、その注意されるのが、すみません普通なんですけど、どうしましょう?って問い返すような私みたいなのと同じタイプと言うんですか?って言いたくもなるっていうくらいに、無責任かつ横暴なんですよ。
ほんとにね。
そういう特徴やリストの項目を自分に結び付けるという、「自分の為に良いように利用してますよね?って突っ込まれて当然」レベルの行動をとる人のどこが、繊細で敏感な人になるんじゃい!って言いたくもなりますって。
というかですね?
そういう自分にしか目が行ってない=周囲がどう感じてるかなんて意に介さない、なんですよ。周囲=環境でもあります。ネットなんてツールを利用しようものなら、ネットその物が環境になります。
こういう事を訴えてるから、私の言い分が絶対とは言いません。そもそも言えないですし、断言できるほどのバックボーンなんてありませんから!って自分で主張する程度には自覚もしてます。
ただ、嫌でも周囲から「感受性が高い」と指摘されますし、その指摘が「申し訳ないけどそれが普通なんです」というのを経験してるので、それなりにはあると言えるとは思います。
という感じで、自身に対してすら裏付けをしておいて語るんですね。
言うだけでなく、記事を書くという行動で示してるというか。
って、また長くなったし、イライラとか感情がこもってるよねぇ、って自分で自分を突っ込みつつ、この件はここまでで。
そもそもHSPとかって
主張するようなものでもないです。
敏感だ、繊細だ、生きづらいだ言ったって、意に介さない人は居ますし、そんな事言うやつは弱い奴と断じて来る人もいます。
そういう人が良いか悪いか?が問題じゃないですし、そういう人達を悪として断じる事は出来ません。単純に価値観や性格が違うだけという個性の部分の話ですし、極まった話になりますが法で裁けるレベルではないわけです。
それなのに、そういう人を断じようとしたり、自分は繊細で敏感で、生きづらい人なんですとか言ってたら、自己愛性パーソナリティ障害を疑われますよ?
弱い自分を受け入れられず、そういう自分は可愛そうな人だ、もっと見つめてもらうべき。そういう特別な扱いをうけなきゃいけないんだ!とか、考えてませんか?
HSPなんて寧ろ、嫌でも色々感じ取って気づいて、受け流すことが出来ますからね?自分の弱さなんて。
自分に厳しく他人に甘いよね、とか。
自分に対してストイック過ぎ、鞭を打ちすぎ、とか。
自分を大切にした方が良いよ?とか。
すまん、これが普通だし自分を大切にしてないわけじゃないよ。自分も大事だけど、自分が居る環境を整えなければ、途端に自分が苦しくなる。そういう苦しさの方が辛いから、そういう行動にでるだけなんだよ。
結局何をどう言っても、自分に辿り着くから、自分を疎かにしてるわけじゃないんですよ。
でも、自分を大事にした方が良い。臨床心理士の先生に言われてしまって、ぐぬぬ......するんですよ(笑)
自分の苦しさなんて重々承知です。自分の事だから。
目の前にいる相手は、必ずしもそうならない、そうじゃない。でも、見えない別の人が同じ言葉を向けられてどう感じるか?そこで発生するものすら、イメージって形で襲ってきます。このイメージって映像が脳内で出来上がってるので、自身にとっては現実として襲ってくる物なんですよ。
こういうのが過ぎるってのはわかるけど、それを嫌でも自然にやってしまって、そういう人の苦しさとかは自分の感じてきた苦しさにリンクしなくもない。だからこそ、断固阻止とはいわないまでも、貴方が言うレベルにはとどめようとする。
自分でも、何をやってるんだ?って疑問持つくらいに、やってしまうんです。
話を戻しますが、そうやって自分可愛い、自分が特別なんていうのは、自己愛性パーソナリティ障害と言う方が近いと思います。あくまで、学のない個人レベルの判断ですけどね。
で、そうある人は治療が必要っていうか、申し訳ないけど世の中を都合よく扱う前に、自分で向き合う必要が有りますよ?っていう厳しさを向けてしまいがちです。だって、自分の状態を上手く制御出来てないのに、HSPって概念を自分の都合に合わせて捻じ曲げてるんですから。
そして、自分で向き合ってれば、そんなに自分に都合の良い話にしなくて済むという話にもなります。
そうじゃなきゃ、潰れて死んでますよ?親からですら、おかしいと罵られる、叱られる、注意されるばかりで、話を聞いて欲しいというだけでもノー、その連続でしたし。
こう言う私を「よくもまぁ道を踏み外さないで生きてこれたよね」みたいに、呆れて言う人も居ます。
そういう経験すらも積んできてるので、HSPかどうか?なんて今知って、ハマらない方が良い。
正直、今知られてるなんちゃってHSPは無かったことにして、原点に戻った方が良いレベルという風に感じても居ます。だからこそ、ごちゃごちゃ重箱の隅をつつくような事を言うんですよ。
うつ病ブームでも作られた言葉に、「なんちゃってうつ」みたいなのもあったりしますが、それと同義だと思います。
このなんちゃってうつも、攻撃される私は可愛そうだ、なぜ攻撃されるんだおかしいって自分で勝手に落ち込んでるだけでしたし。
そういうね、温故知新では無いですが、自他ともに見せた反応ってのを積み重ねて来てるので、今のHSPブームもまたやってるなぁ、人間進歩しないねぇって嫌でも「思わされるんですよ、他者から」っていうね。
そんな感じです。
まとめ
長くなったー!
しかも、感情てんこ盛りだー
またこれ、しばらく時間が立てば、何やってんだわたし、ってなっちゃうううう。
という自分の事は、面白おかしくジョークとして書きつつ。
本来は、治療と言うか通院で指摘された内容は、書いてはいけない=守秘義務にかかるんじゃないかなぁ?とかも思わなくもないです。
医師にあるなら、患者にも同等とは言わないまでも、求められなければ筋が通りません。対価と代償、鋼の錬金術師ではないですが、現実問題としてお金を支払うから物が買えるのに通じます=世の中の道理なんですよね、って話でね。
ただ、私も人間ですから掻い摘んででも、自身の正しさを書くために使ってしまってる。結局、突き詰めれば突き詰めるほど、何かしらの二元に偏って矛盾は生まれる物なんですよ。
だから「難しい」って言ってしまう。個人的に難しいというのは、そういう根本としての原理みたいな話に通じる部分があります。
まぁ、こういうのも、そのくらい言いたいことを言った方が良い!あんたは言わなさすぎる!みたいに、知ってる人からはつつかれるんですけどね。
多分、そこそこ補えてるんでしょうけど、これでも結構に感情丸出しな内容なんですよ。というのが、自分の言い分なんですけど、どうなんでしょうね。
まぁ、正直な所。
HSPの話は、それなりに形が出来るまで、研究してる方に任せてしまいません?とか思いますよ。
かといって、今の状態には物申しますけどね。研究してる方に委ねられたと感じ取れるまでは。
と、色々出るわ出るわで止まらないので、この辺にして。
それでは。