ここ数日のあれやこれ
こういう事書いてみようかなぁ?というのはあれど。
いやいや、マテマテってストップをかける自分も居る。
個人的にはいつものやつ、なんですけど。
まぁ、一つの事に絞らないで、ごちゃごちゃ書いてみるのもいいかなぁという感じでやってみますかね?
という事で、適当に流していこうと思います。
HSPとか感受性とか
流石に酷い物を見たよ:(´ºωº`):
って事もあったんですけど、それはそれって感じでね。深くは触れないようにしようと思います。
ただ、やっぱり変なんですよね、今の扱われ方っていうか、ブームっていうか。
申し訳ないけど、ツッコミどころ満載って内容が多すぎです。心理学上の概念として学んでなくても、感じとるって部分でね。
なので、人間社会の悪い癖が思いっきり出てるよ、アイタタタという感じでもあって。
生きづらいとか言ってたら本当に生きていけないって感じでね。個人としてはもう幼稚園に上がった頃から、出来る範囲で生き残るために出す出さないのコントロールしてたくらいですよ、必死に。
それ故に、メンタル病んでしまったっていうか。自分と違うというだけで、嫌悪だったり、イライラだったり、怒りだったりを嫌でも向けられてきたし、相談しようにも自分が既にぶっ飛んでるというか、何気ない日常で悟りすぎみたいに言われるもんだから、相談できる相手に出会ったためしがない。
考え方がもう既にそこは通り過ぎてますからって感じで、周囲が追いつけずに困り果ててからの「感受性が高いんだね」っていう言われ方をするという状況すら発生するくらいです。
子供の頃から嫌と言うほど、今になってもそれは変わらず、みたいなね。
なので、多様性とか言うけど、都合の悪い多様性は臭い物に蓋って感じよねみたいに言ってしまうんですよ。
正直、生きづらさのラベルでもないし、敏感だ繊細だ言っても、HSPを理由に周囲に配慮させるとか有り得ない話です。
そんな事しなくても、周囲より感じ取れるわけですから、自然と察知したり気づいたりして上手く受け流せる事の方が多いはずなのに、ね。
音楽について
マヌルネコのうた、マヌルネコォ!!
だけに留まらず。
THE YELLOW MONKEYのJAMだったり、少し前に触れたうっせぇわ繋がりで「踊」だったりについて触れてみようかなーって思いつつ、触れないままズルズル日が過ぎてる感じですねー。
JAMについては、歌に意味があるというより歌を通して、僕はこう感じてるけど、君はどうかんじてる?みたいな、問いかけって感じの曲でもあって。
誰かの考えや言い分に乗っかってるだけで、自分で考えられない人が増えつつある現状だと感じてるので、この歌が必要なのでは?みたいな感覚があるんですよ。
なので、それが一つ。
「踊」の方は、なんていうかなぁ。
MVなんかみてても、踊る、ではなく、踊らされると、いう方が強いんじゃないかなぁって個人的には感じてます。
まぁ、うっせぇわも結構ドぎついというか、社会への不満というより、社会に対する挑戦の方が強いというか、そんな感じな印象で。
新曲として発表された「踊」も、うわぁ、そうきたかぁって感じですかね。
クラブで使おうにも、寧ろ人が下がると言うか、上がったテンションが落ちる可能性もあるかなって思います。相当に上り詰めてても、そういう選曲ミスって途端に場をしらけるのもクラブですし、そう言う時の反応って相当に冷たい物があります。
とか語れる程度には、客層のほとんどが留学生や仕事で海外から来た人で、DJのプレイを楽しみに行くクラブではなく、とりあえず酒と音楽ではっちゃけるぜ!みたいなクラブでDJしてた経験があるんですよ(身バレコワイケド
そういう経験もあってか、半端ならKO、ってフレーズから始まるのも、ちょっとコンプレックスを意識してると言うか、世の中の色々に踊らされて傷ついて一度は倒れ込む、みたいな曲にも感じ取れるんですよね。
っていうか、MVはそうとしか見えないかなぁ、個人的に。
性別関連の色々
LGBTではなく、SOGIEで通せないとダメかなーって感じですかね。
結局は、マジョリティ、マイノリティ関係なく、性自認って誰しもやってるもので、自分自身と体の性別が一致しる=性自認が普通ってだけである、みたいなね。
その上で、恋愛対象やパートナーについては、異性同性、それすらも問わないとかそういう話なだけなんですよ。
それをねぇ。
たまたま見かけた、聞きなれない造語なんですけど、トランスジェンダリズムとかいう表現にして、騙されない!みたいな人が居て、( ゚Д゚)ハァ?ってなりました。
ほんと、世の中を知らなさすぎるというか、LGBTの問題とは違った形でも色々あるんですよ。
人が生まれるというか、母親の胎内で育つ過程で必ずしも完全に男性か?女性か?に分かれ切らない事もあれば、実際にそういう症状というか疾患もありますし、こちらはこちらでLGBTとは違った複雑さを持っています。
って書くのも難しいというか、下手すれば申し訳ございません!って土下座ものの難しさがあるというか。まぁ、人それぞれ思う所、感じる所があって、すれ違うのも当然なんですけどね。まぁ、だからこそ難しくて、下手すれば土下座なんですよ。
そういう意味では、性別について普段は隠されてる部分に目を向けると、思いのほか難しい部分、当たり前を押し通そうとすると確実に誰かを踏みにじる事になるみたいな要素があるんですよね。
というか、多様性だ権利だ自由だ平等だ。こういう言葉って何の為に生まれるんだろうなぁ、人間って愚か。
ぷぃぷぃしそうです。
まとめ
とまぁ、書こうと思えばいくらでも書ける。
でも、基本的に自分の意見は言わずに飲むと言うか、そもそも自分の考えに客観性を取り入れるために、自身を否定する自分みたいなのも飼ってるのもあって、ほぼほぼ自分でストップかけて考え直す事の方が多いです。
ここの所、そのストップが効かなかったのは、ストレスを強く感じてたと言うか。
まぁ、HSPだなんだについては、もう専門家に任せた方が良いと思いますよ。
ボロしか出てないですし。
そもそも、感じとる、感じる、知覚するって誰でもやってる事であって、それが高すぎる人=HSPなんだけど、その高い低いの区切りとか、感じるって要素は目視とかできないので判断のしようがない、そういう意味での基準が無いという話だと思います。
っていうかまぁ、いちいち言われなくても気づくのがHSPというか、感受性が高いってタイプになろうかとおもいますが、どうしてこうなった感がやばすぎるぅ。
無駄な事やってるなぁ、とも思いつつ、個人的には幼少期からのアレコレみたいな、琴線ってものに近い部分があるので、孤立しようがおかしいと思われようが、訴え続ける事になるのかなぁ、って感じで自分の事だけど他人ごとみたいな側面もあって。
ただ、いい加減にしてくれませんかね?とは思います。
その他については、書いてる事まんまですかね。
って、まとめがまとめじゃなくなりつつあるので、この辺で。