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書くリハビリ 不安を落ち着かせる為に

はやってしまって、つい言ってしまう。

最近、そういう事も増えてるのですが。

「正直、不安が飛び交いすぎぃ!!」

うん。

それも、無意識下にある不安というか。

自分自身ですらも気づけない、でも、心の底では不安を感じてる。

更には、無意識下にあるものの、そうあるからこそ知らぬまに自身が気づいてる。でも、認識が出来ない、認められない。

そういう、やっかいな不安。

それが、感染症のパンデミック以降、日に日に悪化してる。それこそ、気づかない内に蝕む病魔の様に、社会どころか、世界を徐々に蝕んでる。

ちょっと大げさかもしれないですが、そういう部分を感じてしまうんですよ、ね。


とりあえず、まずは深呼吸でも

個人として、結構幼い頃から、

「確かに前に進むのも大事、でも前に進むためには一旦休むのも大事」

という事を、結構スケールが大きい規模に当てはめて言ってたりしますが、そこはこう、ね。

感受性の違い故に、「何いってんのお前」と言われるわけなのですが、こういう部分でもちゃんと理由があるんですよ。

自分で気づかない内に、不安や焦りを感じてしまっている。

こういうのを、自分ではなく他者からも感じ取ってしまいます。

正直、ね。

不安を煽りすぎなんですよ。

やりたいことをやるのは良いけど、結果として誤解や曲解を振りまいてる人も多いです。

そういう部分からの影響として、不安を和らげに行こうとしてしまう人は更にそれ以上。

だからこそ、余計に、一歩立ち止まるような気持ちで、お茶をずずっとすすって、ホッと一息をついて、気持ちの波を抑えるようにリラックスする。

そういう時間が必要かな、と思います。

結局ね、不安って自分で制御出来る人と、人に支えてもらったほうが良い人という感じで、一概に不安と言っても対処法って人それぞれだし、そこに自己啓発本みたいなのを挟むと、気づかない内に悪化をさせてしまいもするもんですよ。

現状、日々の生活で時間がないだけでなく、まだまだ行動範囲としても大きく制限されてるのでムツカシイとは思います。

ただ、それでも、ね。

窓際に立って陽を浴びてると「なんだか、温かいなぁ」と感じる事ってあると思います。そういう時に、ね。

椅子でも持ってきて、お茶やコーヒー、紅茶ほか何かしら、可能であれば熱すぎない程の暖かさがある飲み物で。

ほっと一息。

あー、温かいなぁ。

ただただ、陽の光、それが持つ暖かさ。それに身を委ねる時間を作るのもいいんじゃないかなぁ?と思います。

うん。

と、優しいことかはわからないですが、それっぽいことを言いつつ、次は厳しいことになるかなぁ。


目を背けてはいけない

思い通りにならない、理想が叶わない。

そんなのは当たり前です。というところは目を背けてはいけないと思います。

楽しい、にしても、ね。

現状は、目を背けるかのように、楽しいことに過剰に傾倒してる。

そういう状態に陥ってる、と感じさせられる人って多いです。

本当に、真面目に言わせてもらいますが、現状の様々については、

「なるべくして、なってるだけ」

です。

そんなはずはない、そんな事ありえない、ではないんですよ。

当たり前の様に幅広く、当たり前のように深い所まで見えてしまう身としては、

「現状、ことの流れという結果の積み重ねから、こういう状態になってるだけ」

です。

そこには正しい間違い、良い悪いすらもない。というか、一方的な視点ではそう言い切れないほどの複雑さが絡み合ってる、という方が合ってますかね。

そして、厳しいことを言えば、

「その複雑さから目を背けてる人が大多数、だから無駄に不安を煽られたり、混乱に陥ったりしてるだけ。」

です。

誰かの責任じゃない。自分自身の責任もあるんです。

個人としては、謂れがどうあれ「どうせ聞いてもらえないから」と、見えてるのに声を上げなかった自分への責任がある

そういう実感から、少なからずこれから先が変わるように、と。

色々言ってしまってるのは、そういう、ね。

同程度の感覚を持ち合わせてないと、大げさにしか感じ取られない話でもあるし、それ故に色々経験しすぎたので回避という行動を取り続けたわけです。

そういう、自分自身の責任と向き合ってからの、様々な記事だったりもします。

うん。

ホントね。

正しいとか、間違いとか。良い悪いとか。そういう事関係なく、突き詰めていくと目を背けないほうが良かった事がある。

そういう後悔は自分を苦しめもするので。

気づいた時には、目を背けない事も大事なんですよ。

というか、言うだけで世の中良くなるようなら、今頃こんな状態になってないんですよね。

そういう現実からも目を背けてるようだと、苦しむだけでしかないと思いますよ。


あとがき

とりあえず、サラッと簡単に。

他にも思いつくものがあるのですが、書いてたらまた長くなりそうなので、ね。程々にして。

まぁ、その、ね。

不安と向き合うのは難しいのですが、それが軽くなるからって無責任になってはいけないと思います。

確かに誰かに支えて貰う事も時には必要になります。1人だけでは苦しいので。

かと言って、自分自身が向き合わず、誰かに支えてもらってるだけだと、いずれはぶっ倒れるし、見捨てられます。

それが、人の世。

また、別な要素としては、自分が向き合わないことには不安への耐性や免疫のようなものが出来上がりません。

結果、誰かに頼り続けていかなきゃいけなくなる。

楽をするばかりだと、楽をさせてくれる人を見つけられなければ、苦しむだけです。

そうやって他者には求めるのに、自分は与えたくない、面倒なのは嫌だ、楽なのが良い。

うん、無責任って話にならないですかね?

というか、感受性高くて人以上に感じ取れるようだと、その分背負うものって多くなります。

だから、自分で対処できなきゃ、生きづらいどころではなく、即座に潰れます。

というか、辛いだ、生きづらいだを簡単に言うようだと、暗示にかかるし、その暗示には自分ではきづけないものなので。

また、先々が長いような年齢だと、今以上の混乱が訪れないなんて保証はないです。

なので、今は自分を鍛えておくチャンスという、ね。

考え方を変えてみると、ポジティブな状況にできなくもない。

そう思います。

それでーはー。



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