いい加減化けの皮が...
そろそろ全部剥いじまってもいいんじゃねぇの? byコアラ
剥がれるというか、なんというか。
ボロボロと色々剥がれてきちゃってるなぁって感じが強くなってきてます。うん。
まぁ、自分で自分の化けの皮がって話すのもおかしいとは思うけど、少しこう、書いてみようかなぁとか思います。
物心ついた頃から
そもそもとして、感覚とか直感とか、まぁ所謂インスピレーションみたいなので基本的に行動を起こす、考えてるという感じでした。
そこに、色々知識やら概念やらが、化けの皮としてペタペタペターみたいな。
ほんとこう、どうしてこうなった?
って、自分でも不思議なくらいですが、感受性の部分やら、性別についての認識やらが、本当におかしいんですよ。自分で言うのも変、って言う事すら建前で、本音は真面目に変とか、おかしいなんですよ。
うん。
HSPなんかに触れてる内容も、どちらかというと本音より程遠い感じです。ただ、それだけだと個人の我儘でしかないので、色んな視点の切り替えが出来るのを活かして、客観的かつバランスを取るようにしたら、今まで書いてるような記事になってしまう、という感じです。
本音ですか?
聞かない方が良いと思いますよ(ニッコリ
って感じです。
まぁ、書くのは本音寄りの話なので、結局見聞きする羽目になるのですけど。
感受性についてのお話
もう、日常生活が既に破綻しかけてる=幼少期から嫌でも繕ってたものが繕えなくなってきてるという感じが強くなってきてます。
なので、HSPなんかはアレコレもっともらしい事書いてるようで、本音とは遠い部分を客観性とかそういう観点から書いてたりするので、結構ネジレとか歪みが発生してて、考え込んでたりするのが実情です。
正直に言わせてもらうと、
もう、分かってるから、やめてくんない?
です。本当の所はね。ただ、これは言ってしまうと、何がどうあれ個人の我儘でしかないんですよね。だから、そうならない様に色々情報を探ったり見たりしながら、私的感情は入れない様に心掛けてました。
まぁその、1歳時点でねぇ。
二歳下の弟を妊娠してるという事に気付いてるかのような、行動やサポートを言葉にして伝えなくても自然とやり始めてた、そんな感じなので。
最初はね。
この話もにわかに信じられなかったんですよ。なので、母が亡くなってからは聞ける相手もいないし、自分の記憶に残ってる部分も、幼少期から自己暗示をかけるくらいにあったというのを思い出すまで、すっごく悩んでたんですよ。
そういう感受性由来の部分も、自分で強く否定するようになってたんですよ。そんな事はありえない、普通じゃない、だから分かってても認めてはいけない、そもそも分かってるというのは傲慢であり、傲りだからやってはいけない。
こんな感じでね。
なのでまぁ、周囲に合わせる為とはいえ、実は自分で自己暗示かけて認知を歪めに行ってたというのも、意外と実情だったりします。
こんな感じなので、周囲を取り込みすぎ、相手の感情を自分の感情として処理しすぎと言われて当然だなぁ、って最近ようやく認められると言うか思えるようになってきました。
そして、その認められるようになってきたという状態が、繕って来た化けの皮が剥がれて来てる、という状態なのもまた実情という感じです。
ほんと、おかしいですよ。
とはいえ、全部が全部感じ取れるわけでもないですし、完璧にやってのけるなんてのも無理な話なので、こういう感覚的に解ってるみたいなのは、これからも自分で否定していくんでしょうけど。
本当に面倒くさいですよ。
HSPがとりあげられて流行を起こしてますけど、そういう部分を幼少期に自分で気付いて、後押しになるアドバイスを母からもらって、自分で向き合いながら親や大人以上にコントロールして来た身からすると、何でこんな面倒な部分を喜んで取り入れるのかわかんないです(苦笑)
時代が変わった、多様性の時代になった。
( ゚Д゚)ハァ?
感受性って武器がありますけど、正直言葉の意味を追わずに、私的感情を優先し過ぎる人が多いのに、どこが多様性なんですか?っていう。
こういうのもね?上手く言ってても、言葉で取り繕ってるなーってのが感じ取れてしまうんですよ。今回だけ明かしますけどね。
結局、マジョリティ=多数派の意見持ち出して、少数派は否定するばかりなのは変わってないじゃんっていう。
やれやれ、なんですよね。
性別についてのお話
性別についての悩みを抱えてる、と書いてますが、説明しやすく、分かりやすくなるように、性同一性障害や性別違和、MtFとか言葉を使ってるだけで、実際のところというか、厳密というか、自分自身では全然違うものって感じです。
何がどう違うのか?って感じなのですが。
物心ついた頃から、男性とか女性っていう概念は全くもって響かない、なので自分の中に入ってすら来ないし、何を言ってるの?みたいな感じ。
んじゃ、実際どうなのよ?って所ですが、もう感覚的に自分は女性側って感じで、体の性別がそうだからといくら突きつけられても、それは私には当てはまらないからって状態でした。
なので、散々怒鳴り散らされようが何しようが、特段意識しない行動=歩行やその時の姿勢が、自然と男の子らしくない、女の子っぽいになってしまうというのが本質っていうのかな。
おかげさまで、色々トラウマできましたけどね。4歳5歳の頃にそれで両親が喧嘩してしまうというのも割りと頻繁にあって。最悪お皿飛んだりしてましたし。アニメだけじゃないんだなぁ、って今では思ったりもしますけど(笑)
私自身の認識としては、体の性別はポテトチップスの袋、中身がチョコレートって感じで間違ってしまってるというだけです。
某面探偵よろしく体は子供、頭脳は大人と何ら変わらないのさ(笑)
そういう意味では、よくあるタイプの「女性らしく」とか、その拘りもわからないです。
身体は選べないから仕方がないけど、自分らしく=自然に女性らしくになるんじゃないの?違うの?としか思いません。
この辺はね。自分らしくではなく、女性らしくになってる人は、根底部分では体通りの性別で認識してるけど、それを拒否してるだけという風に感じてしまいます。
なので、個人的には別と捉えてて、同類ではないっていうか。
そもそも、こういう人達からもうっすらと「男性が放つ無意識下からの圧力=恐怖」みたいなのを感じてしまうんですよ。SNS上の言葉とか表現に乗ってる感情みたいなものとしてね。
自分で言うのもなんだけど、小4辺りから水泳の時間に上半身を晒すのが嫌になり始めたというのの正体がコレなんですよ。
ただ、相手にしてもらえないから男の子として生きていかなきゃならないし、かと言って怖がってたら怒られるだけだしって状態で。
中学時代は相当にきつかったし、気が強い同級生がくるだけで突然泣き出したりしてましたもん。そのくらいあっても相手にしてもらえないし、下についてるだろってセクハラもされるし。
マジつらでしたよ。
なのでまぁ、LGBTって言葉が広まりだして、性同一性障害とか性別違和を表に出す人増えましたけど、寧ろ自分と同類がほぼほぼ見つからないってのは悩みでしたね。一時期だけですけど。
あと、LGBTってもう若干時代遅れっていうか、性自認と性的嗜好は何がどうあれ誰でもやってる、持ってる物って事でSOGIE(ソジー、ソギ)という言葉や概念、それで活動する団体も増えて来てるのが現状ですよ?というのも付け加えて。
あー、あとね。
LGBTって言葉で、一部のMtFの人が言ってる権利を表現しないでね?
トランスジェンダーだけじゃないし、そもそも、性自認が女性ってなら戸籍法で示されてる事をやりとげて、戸籍変更したうえで女性として生きていけばいいだけなので、それはもう権利じゃないんですよ。
トイレとか更衣室とか。
そこを、権利って言葉で踏み込むとか、性自認が女性なのに怖いとか、やめて!とか普通に感じないのはおかしいですからね?割とマジで。
そんなの、普通に拒否してる女性が多いでしょうよ。
で、性自認が女性って、その女性側じゃないの?なんでそうなるの?
って事で、釘もさしておきますね。
ということで、話を変えて
好きに言えばいいじゃん?
こういう事もよく言われます。
まぁ、自分で言うのもなんですけど、抑えすぎでもあるのは事実なんですよね。
ただ、そうしないと人間社会なんて生きてけないですし、もし今より早い段階でほころんでたら、間違いなく自死する事になってたと思います。
そのくらいに扱いづらいんですよ。
絶対とか100%なんてのは存在しないですし、いくら感受性の部分で感じ取れたとしても、そこから得られた情報に対しての判断ミスなんかも、よくやってしまいますし。
感受性も武器とか道具みたいなもので、使い方間違えれば他者を傷つけもしますし、そうなれば因果応報で自分にも返って来ます。
そもそも、少数派過ぎて叩かれる、否定される事がほとんど。通院しながら小出しにしてみても、案の定と言わんばかりに否定されますし、そういう部分の考察やそれに伴う自信のアップデートを相当にやり込んでる、なんて普通は思わないでしょう、特に他者に対しては。
それをやってしまってるのを、言動とか行動で見せてしまうのも、残念ながら否定される事に繋がる要因なんですよね。
こんな感じなので、座右の銘に矛盾って持ってたりします。
世の中がそうあろうとする流れをつくるなら、それに対して私は矛盾を突きつける側にいつも立ってるって感じなんですよ。
で、そちら側に立ってしまうと、これまた世の中から自身も矛盾を突きつけられるという感じ。
なので、自分は正しいなんて思わないし、絶対にはなり得ない。そしてまた逆もしかり。
なんで、正誤や善悪という、善悪二元論みたいに、1か0かではなく常になぜそうなってしまうのか?それはどういうことなのか?考えて想像するように。
そういう戒めにするための、矛盾、ですね。
今でこそ、こういう風に言葉に出来ますが、感覚的に幼少期から自然とやってた事でもあって、それ故に長い期間自身に捌ききれない程の膿を貯めてしまって、精神的に病んでしまったという感じです。
まあ、ね。
そういう意味ではもう。
人間としての自信が無いだけでなく、人間という存在に飽きてしまってるみたいな一面もずっと持ち続けてたりします。
なんかこう、面倒くさいヤツよねぇ、自分でも嫌でもそう感じざるを得ない。そうあるからこそ、自分でもある。
我、思う故に我あり。
なんちゃって!
まとめ&後記
ということで、なんかこう色々書いてみました。
まぁ、最近ちょっとこういう部分でも飽きが来てるというか。
想像力とか考える力とかの欠如みたいなのも、結構昔から感じてて、それゆえに遠まわしになってしまうけど、自分を可能な限り抑えつつ訴えてみたりもしてましたが。
ほんと、諸行無常なんですよ。
うん、難しいって感じです。
正直、現状なんて、だからあれほど幼い頃から訴えてたのに、という事がいっきにおっかぶさってきてるって感じなんですよね。
なので、色々騒いでる世の中見てると、イライラしたりカチンときたりもしますし、呆れもします。そして、もうこれ何度目なのよ、もう飽きたよってのが一番深い所にあったりもします。
そのくらい、感じとる色々って面倒な事がおおいんですよ。
ぶっちゃけ、先日かいたHSPの未来将来とか、申しわけないけど現実の方がみれてなくて、HSPって言葉を当てはめてる自分たちしかみえてないから、その程度で物を考えてても無駄だし、寧ろ後世には邪魔とか悪になりえます。
現状、若い人達がしわ寄せ受けてるのって、今の年配の人達が同世代のころから、同じように考え訴えてたはずなのに、自分たちを律したり正したり戒めたりが出来なかったが故に発生してる事なんですよ。
そういうのを感じるだけでなく、私の場合40年程度だけど、割と外側から見て来てるので、結果として同じ事を繰り返すという想像ができるだけでなく、そういう可能性を持った世界線に立とうとしてるみたいなのを感じてしまうんですね。
だから、言葉やら概念やらを当てはめる前に、ちゃんと知る、しらべる、学ぶ、考えるってした方が良いよ、と。
そして、人の振り見て我が振り直せ、とかも言ったりするんです。
相手を否定して罵るのは簡単な事です。
大して考えないまま、感情に任せて、口を動かして言えばいいだけなので。
でも、それをやってると、老害って言ってる人達と、やってる事は
全くもって変化がない
そんな事ない、というのは感情論でしかないです。その感情を0には出来ないでしょうから、少しでも抑えて冷静さを維持しつつ、何故そんな事を言う人間が出てくるのか?みたいな所を考えてみてくださいな。
まぁ、私自身、割と外側から見てた、周りに同類が居なかった、だから声がよわかった、そして何も変えられなかった、私も過ちを犯してる側なので偉そうなことは言えません。絶対にやれみたいにね。、
ただ、少しずつでも考えるようにして、少しずつでも動かして行って、そして変わるのが時代です。
言葉だけで、時代なんざホイホイかわりゃしないって。
してたら、今頃苦労なんかしてないですからね?
ということで。
いくら感受性が高かろうが、こうやって失敗もするんですよ。
でも、感じ方が違うから、違う物を残す事くらいならできる。
それに希望を託すしかないんですね。
そこそこの人数が集まった程度でも太刀打ちできるもんじゃないです。
冷静になりなはれ。
ということで。
うわ、くっせー!恥ずかしくないの?この人!
自分で言うなですけど、少しでも届いてくれるといいですわ。
それではね。