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経験から語ってみる7(案外、外側に
前回の続きという感じにはなりますが。
どうしても発生してしまう、感受性の差における色々。
その難しさを実感しつつも、ちょっとある事が引っかかってしまい。まぁ、引っかかりがあるのも、割と昔からというか。
所謂離人感のソレとにてるというか、なんというか。
何かしらの差を感じた時に、自分の立ち位置が周囲から相当遠くに立ってるというイメージが勝手に思い浮かぶという、錯覚めいたものが発生する事も結構あるんですよね。
自分に対する客観視みたいに自分の中から出て外側からみる、ではなく。
例えるなら周囲は太陽の位置だけど、自分は少なからず他の太陽系惑星のどれかの位置、というような感じです。
ということで、昨日の内容も踏まえ、
これまた自分で読み解いてみようかな?と思います。
難しさがある理由
簡単に言えばタイトルに書いた通り、案外外側に立ってるんだな、という気づきというか、感じとりというか、そういう部分があります。
まぁ、カウンセリングでも、現実を深い所で見つめすぎといわれたので、そりゃそうだなんですが。
でも、こういう部分って、今まで否定するしかできなかったんですよ。
というのも、何かにつけて色々違ってるだけでなく、それで評価されたり、叩かれたりと日常的にするもんだから、兎に角あいつはなんか変だ、ってなりそうなのですが、そうなってくれない。
それ以上に、普段から気づきや感じ取りがおかしいのは把握してるのに、それで感じ取った物を私の方から表現すると途端に物凄くバカにされる事も多かったです。
お前オタクだしなぁ、中二病おつwwwとか。
いやいや。人の頭の中なんて覗けないのに、何で一方的に決めつけるのか?と問いかけたところで、だってそうとしか思えないからっていう感じで、なんかこう都合が悪いのか、意見を潰しに来るような言動、態度をとられるんですよね。
言い替えるなら、自分たちが気付いて指摘するのは良いけど、お前が自分から主張するのはダメ、そんな感じ。ジャイアンかよ!っていうか。
こういう状態になると、何でか外側、しかも遠い位置に立ってるような、イメージというか、錯覚と言うかそういうのも発生する事があるんですね。
なので、なんかこう、特別とか特殊ではなく、外側に立ってる異端なんじゃないか?と自分で考えたりもします。
ただ、それは人間社会で生活する上では不要な部分だったので、敢えて見ない気づいてないフリをして、抑え、隠してたんですよね。
同じ日本語使ってて、単語レベルだと解釈一致もする、それだけでなく普段から良くも悪くもおかしさを指摘される。
それなのに、主張は許されないって、そりゃ精神病みますわよ。うん。
そこに表れたのが
HSP=感覚処理感受性という言葉でした。今のブーム以前に知って、少なからず触れてみたら、
あー、なるほどね!そういう事ね!そして自分だけじゃなかったのね!
と言う感動を覚えつつも、とはいえこれを周囲に押し付けるわけにも、理解させたり聞き入れさせるのも、相当に骨が折れるのは見るに明らかだったので、自分を落ち着かせるための言葉として内側に持っておくことにしたんですよ。
それから数年後......。
一体どういうことだってばよ?
ナ〇トもびっくりな展開が訪れるだなんて思いもしてなかったです。
と、この辺は普段書いてるので、今回は無しで。
まぁ、自分の内側に持つだけでも、相当な安心に繋がったと言うか。
加えて、それまでは感受性が高いとは言われても、周囲もそれを説明できなかったので、こっそり考え込んでたんですよね。なので、そういう部分でも色々謎が解けたという感じで。
大袈裟と言う事はない、というくらいには個人的にはホントに救われたと言うか、安心出来たと言うか。周囲に知れ渡らなくても、これで更に一歩深く自分に向き合えるなぁ、という自信のような感覚も覚えたんですよ。
なので、概念の提唱だったり、研究だったり、それを元に形を作ってくれてる人には感謝です。
何がどうあれ、感じとり方が違うという事は、理解する難しさってあるんですよ。
HSPと言う言葉が知れ渡ったところで、人間自身がその言葉ではないので、理解しろと言っても、それ以外の多くを占める行動や言動、態度から理解されない、否定されるというのは当然なんですね。
だから、周囲に全部を理解してもらう必要はないんですよ。
自分と違うからという理由だけで、良い所も悪い所も相手の気分次第で、日常的に指摘=干渉されるって相当なストレスしかないので、そこの理由付けに使えるの言葉として定着してもらうのが、まず最初かなぁって思います。
あいつはそういうタイプだから変わってるらしい、で必要以上に絡んでこない環境が出来上がるだけで、相当に楽になるんですね。一応は。
逆に、繊細で、敏感、生きづらいとか、「どのくらいなんだよw」っていじめの原因になりかねないんです。変に絞ってしまう事で、ただただ変わってるではなく、特別なヤツになってしまうわけで。
広まってしまえば小学生なんかでも覚えれば使いますし、そんな表現してたらむしろ、イジメの的になりかねないと思います。
なので、必要ない、そんな表現しないで、ってね。
そういう理由からも訴えてるんですよね。
所詮は一見
百聞は一見に如かずといいますが。
その一見すら、経験や体験には敵わないでしょう。
実際に目にしても、おかしすぎて理解できない。だから都度都度指摘してくる周囲が正にそれです。
同じように感じとる、という経験や体験、体感が伴わないので、理解できないんですね。
それをですよ。
本だ、動画だ、有名人だってさぁ......。
チェックリストも相当に怪しいというか。ぶっちゃけ、調べが足りてないからか入ってない項目が多すぎると思います。個人的に。
ホントこう、個人差があるとはいえ、ね。
申し訳ないけど、頭隠して尻隠さずとか、馬脚を露すになってるんですよ。
周囲と違う、周囲に馴染めない、違うんですよ。全くもって違う。
普通に、同じように生活してるのに、何かの拍子に他者から違いを指摘されるんです。当たり前レベルの部分について。
また、周囲と否応なしに違う部分が出てくる物の、同じ部分すら普通にあります。なので困惑します。
今までスルーされてて普通だと思ってたら、周囲が総じてそれはおかしいだろ?って突然言ってくるのも日常のあるあるですから。
違う部分は違い過ぎるけど、それ以外は同じで普通。
同じ部分があるからこそ、違う部分も語れる。
そういう物でもあるんですよ。
外側に居るからこそ
内側も見えるなら、内側から見えない外側も見える。
そういう感じなんです。
物の例えみたいな感じなので、そんな事ないだろ!とか、構造上の問題とか、そういう話はご遠慮ください。
ホントこう、幼い頃からそういう感覚を感じる時があるんですよね。
目の前にいる家族や友人が、凄く遠い所に居る人に見えてしまって、それはそれで色々感じてました。成長の段階で慣れが出来ましたけど。
この外側に居るというのは、良くも悪くも色んな指摘をされるだけでなく、普通がどうしても外れてしまうという意味から、個人として私は異端だと表現したりもします。
自分は、おおよその人の普通から外れてしまうので異端なんだ。そういう身だから、外側から見る事も少しばかり出来るんだ。
そういう感じなーのですが。
異端って言葉で表現しても、自分を特別扱いしようとしてるだろ!と、ホント話を聞かないですね?をやらかされるんですよね。
まぁ、最初の方でも言いましたが、
自分たちが指摘するのは良いけど、どんな表現であれ自分から主張するとダメ。
なんでこう、なるの!!
飛び跳ねたくもなりますが、こういう部分も、如何ともしがたい差の証明=極端な少数になる事での、多数派の圧力という話にも出来る部分なんですよ、ね。
あとがき
なんかこう、魚の小骨が喉に引っかかる様な、微妙な感じがありますが。
まぁ、何とか形にはなったのかなぁという感じにしつつ。
なんかこう、変なイメージとか、必要以上に悩まないけど唸ってしまう事と言うのも多いので、モヤモヤ~が払拭出来たと思えば、また新しくわいてしまう。
そんな事も多いです。
まぁ、その辺のボヤキみたいなのは、分けるとして。
感受性って感じとるという目に見えない部分です。
また、人間誰しも持ってますし、それって自分の体で発生する物なので、体感や経験として、個人の中では強くなるものなんですよね。それ故に自分の経験が基準にもなる、と。
それを自分だけでなく、他者からも感じ取れるので、余計に混乱したりもするんですよね。
なんでこう、なるの!!っていう。
とまぁ、モヤモヤが新たに湧く様な事もあったので、少し別の角度からまた書いてみようかなぁ。
と言う事で、今回はここまでです。