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書くリハビリ 共感、同一視の罠
それほどに見えてしまってるんですよ。
まぁ、個人としても。
自分がどの様な状態になってから、どの様に思考して、そして行動に出たのか?
という部分では、1対他という状況を嫌というほど経験してきてるので、どうしても見えてしまうんですよ。
所謂多数派の悪い部分について。
今回はそういうお話。
現実をちゃんと見てる?
こういう問をすれば、見てると答える人が多いわけですが。
これを書いてる私自身も間違いなく。
現実は見てるけど、主観になってます。
自分だからこそ、自分として、という自分の立場からの意見って主観なんですよ。間違いなく。
でも、何でか不思議と、周囲とズレるというか1対他になってしまう。
そういう経験をするだけでなく、考えたり、嫌でも周囲を察知したりで把握してるし、それは何故か?と何度と無く哲学的な事を続けて来た結果、
主観の扱い方が、兎に角ズレてる。
下手すると見るという目に映るだけの部分だけで、拾ってる情報が多いせいか、自然と主観と客観を並行して扱えてる。
更に言えば、そういう受け取った情報を整理しつつ、イメージとしての再生の部分もあるので、そこから更に追加で、可能性からの情報を拾い上げて扱ってる。
という感じで。
現実を見てるという部分でも、運動や学力のように、差がでてしまうものなんだなぁ、と。
漠然とそういう受け取りをしてたりします。
うん。
その上で、主観と客観の両方を扱ってもいます。絶対とか完璧は無理だけど。
そういう様々が重なり合った結果。
周囲からすると、おかしいとか、ありえないという言葉が出てしまうほどに、現実を見た上で情報の整理だけでなく、言葉としてアウトプットするさいの取捨選択を、その時その時という瞬間で瞬発的に行ってる、と。
ということで、いつもどおりです。
ほんとこう、雨後の筍じゃないか・・・と言わんばかりに、出来たつもりになってるHSPの話が湧くわ、湧くわ。
そもそもですよ。
出来る出来ない、やるやらない以上に。
自然体がそうなんだよ、っていう。
言ってしまえば、それぞれに差が出る、普通というラインでの見え方がそうなってしまってる。
なので、観察とかも大してしてないんですよ。
目に映ったものが脳に送られて、処理されてるだけですので。
正直言って、わかってないよね
繊細さん、とか。
申し訳ないけど、そうあるからこそ、同レベルにある違う誰かが見ようものなら、否定待ったなし。
そういう事すら気づくだけでなく、行動に出る必要性の無さという判断から、
そんな言葉、使わないし、いわねーよ。
個人がどうこう以上に、研究成果として上がってる物や、心理学の中での提唱や研究の中ですら、そういう言葉が出てきてないんですから。
勝手に誰かが、都合の良いように、作っただけの言葉。
見るだけでは不完全なので、追いかけるという事をして、情報を補足しようものなら、あっという間に見えてしまうっていう、ね。
しかも、それどころか、日本独特だし、何で日本独特か?というと別の狙いを狙ってそうな動きもある。
そういうのも、現実見てるだけで、可能性とはいえ把握してしまうだけでなく、その幅が広いからこそ、言葉を重ねれば「確かにそうかも」と納得させることすら出来なくもない。
相談上手での、何で気づくのか?の正体がこういうことなんですよ。
でも、そこに対して、妙なブームに安心を得るとはいえ。
逃げの為、現実逃避のための安心という、ね。
そういう、心理的な弱さや、精神的なダメージを自ら露出される人がボロボロ出てきたので、民間の病院は経営をしなきゃいけないという部分から、利用するような人まで現れてる。
酷い現実だぜぇ。
ま、あくまで個人が見た範囲というだけだし、更に言えば、可能性という話なんですけど、ね。
ポジティブさばかりじゃない、共感や同一視
ネガティブな方向、悪い意味での共感や同一視というのもあります。
それは。
同じ人が居るからという、逃避です、逃避。逃げの姿勢です。
現在の環境、育った環境の差。
周囲に居る人間の差。
個人としての性格や、考え方、行動パターンほか、個人間の差。
上げだしたらキリがないほどに、人間誰しも違うんですよ。そして、その違いの中には、受け入れられない、受け入れると不利になるから、という、ね?
自分にとって都合が悪いもの、というのも間違いなくあるんです。
それが、現実。
うん。
そこを、見てないどころか、わかってて目を背けてないですか?
HSPブームの正体ってそういう、人間の弱さや、それを利用するだけでなく、助長すらさせてるという、悪い意味でのブームだと思います、よ?
そもそも、元になってる言葉が、心理学上の概念と、誰かが勝手に言いだした言葉に乖離のレベルが甚だしいほどのもの、ですし。
というか、ですよ。
HSPだろうが、感受性だろうが、それだけで人間は決まらないので。
それなのに、言葉に自分からハマりにいくだけでなく、逃げとしての壁にしようとしてるから、HSPな自分、HSPな私、とか。
大して知りもしないのに、都合が良いからと、言葉を壁や盾にするんじゃありません。
という、弱さの露呈とも言える部分に、目を背けてるからこそ発生する、共感や同一視によって、同じくその言葉を扱おうとする人が出てしまってる。
見事な程に、悪用すら出来るものなんだなぁ、というね。
人間心理の弱さを突いた流れすらも、現実の中に見えてしまってるんですよ。
共感や同一視って、そういう、ね?
悪い部分もあるんですよ。
アイドルに熱が入り過ぎてるからだけでなく、応援してる側として、一緒のものが見えてるハズ、という思い込みに陥ることから、アイドルを個人として見れず、恋愛だなんだの話が出るとキレてしまう。
そういうのも、同一視とか、共感って作用してるんですよね。
頑張ってる姿が、頑張っても評価されない自分の身代わりという感じですかね。
そして、共感や同一視が働いてるからこそ、思い通りを要求すらする。
現実をちゃんと見てたら、注意しなきゃ・・・って意識するのが当たり前というか。
それほどに見えてしまうから、何をどうすれば、誤った行動を起こしてしまうだけでなく、周囲からどんな評価をされ、自身が良くない影響の渦中にはいるのか?という自身への置き換えが出来るから、ね。
精神的なダメージを避ける為、という部分から、余計に意識してそういう道にハマらない、触れても触れすぎないという、行動や態度をとれてるのも。
感受性が高いって、言われる所以です。個人としての、ね。
都合が良い、ではダメですよ?
言葉を持って、同じ人なんだと。
共感や同一視の罠にハマるにしても、原因としては、個人の差という部分をすっ飛ばすどころか、
都合の良い所だけ、都合の良いように見てしまってる
そういう部分が原因にあるんですよ。敢えて、嫌な部分を突くことになると思いますが、如何せん幼い頃から1人で立ってきたと言えるほどに、受け止め、受け流しすらもやってきてるんですね。
実際に。
だからこそ、精神病んだみたいな部分もあるので。
生きづらいというくらいなら、同じレベルの生活やってみろ。
多分逃げ出すぞ?
という、嫌味すら簡単に言えてしまう。
感受性の部分からの見え方ってそういう部分もあるし、現実を深いところまで見てるので、どうしても現実に沿うからこそ、嫌味になってしまう部分も否めない、それどころか避けられない。
そういう事も多いんですよ。
だからこそ
自分を制御して、抑える
こういう事をするわけなんです。
見えてるとはいえ、見えてるものが違う人にはわかってもらえない、それが当たり前。
ならどうするか?
共存を選ぶために、時には身を切るでしょうよ。
なので、真面目だ、ストイックだなんて、他者視点での上げ評価が嫌でもされてしまう。
人の頭なんて覗けない!
窮地に陥ると誰でもそういうのに、窮地じゃなければ、そんな事知らんといわんばかりに、勝手に決めつけるわ、枠にはめるわ。
ちょっと嫌味っぽく言えば、それ程に見えてないから、一方的に主観だけで押し通そうとする、と。
違いすぎるから仕方がないとはいえ、もらった評価って、当人である自身からは、呼吸をしている、心臓が動いているというようなレベルでの、当たり前すぎる、なんですよね。
うん。
そういう説明が面倒だから、敢えて不思議なこととしつつ、わかってるという、ね。
実は理由はわかってるけど、理由を話すと叩かれるから、問い返されると「なんかこう、多分っていうか、感?」みたいに誤魔化した結果が
なんでそんな事分かるの?
相談という場であれば、一致度に驚かれるという、妙な事態になる、と。
生きづらいどころか、それぞれが違ってるからこそ発生する衝突を、敢えて現実を捻じ曲げる事をして、相手に合わせるくらいなので。
生きづらいなんて、特徴に出来ないほど、当たり前レベルでしかないです。
それほどに、ね?
違うにしても、人間離れした違い。
そこに感受性の高さが間違いなく絡んでるんですよね。
感覚処理感受性が高い人=HSPと。
心理学上での表現を使わないのは何故なんですか?
なんでそういう、正確性に欠けたどころか、乖離したような言葉を扱うのですか?
そうしておかないと、都合が悪いから、ではないでしょうかね?
うん。
あとがき
ほんとこう、雨後の筍と言わんばかりに、新しくニョキニョキと生えてくるわ、生えてくるわ。
敢えて能力を活かさないようにしてるのは、話を聞いてもらえない、受け止めてもらえないからではなく。
面倒くさいのが嫌いなんだもん。
自己否定してるんじゃなくて、現実が見えすぎてるので、ただただ面倒にしかならないし、それはノーセンキューだから、敢えて下げてるんですよ。
そもそも、何でそんな事できるの?、何でわかっちゃうの?と問われるから応えたら、ありえない、そんなはずない!って、普通にできてるのラインが他者からは過ぎてるになるから、上げ評価は叩くと言わんばかりに否定される、と。
上げても下げても、否定してくるだなんて、人間という生き物はとても面倒な生き物ですね。
とか言えてしまうほどなので、冗談めかした話の中で宇宙人とか言われもします。
知らないものを、知ったレベルで、知ったかぶりするというのは恥ずかしいんですよ。
厚顔無恥
知りもしないのに、知ったかぶりするだけでなく、特別な人と言わんばかりにHSPという言葉を取り扱うのは、まさにコレ。
あつかましい故に、恥ずかしい。
敏感さも、繊細さも、みじんもないんですよ。
自分が良ければいい、自分の為に言葉を使いたい。
だから、特徴も自分に合致するように、自分に合わせて扱ってますよね?
うん。
そんなだから、自己愛性パーソナリティ障害というのを、少なからず知識としてしってるので、
そういう疑いがあるのではないですか?
と、言ってたりします。
疑問形にしてるのも、個人として断言出来る立場じゃないので、問う形で表現するしかないし、それをもって気づいたほうが良いのでは?とも思うのでそうしてるわけです。
更に言えば、現状は感染症だけでなく、経済についても不安を煽る話をするばかりの人が多いです。
そもそも、高度経済成長時代の方が異質であり、その頃に昇りつめた事自体がおかしいんですよ。
国土狭いし、資源もないし、歴史的にもぽっと出で列強にならんだので、目の上のたんこぶみたいな国なんですよ。日本って。
良い時は良すぎる評価をもらえるけど、転げ落ちたら盛者必衰。
かつて、栄華を極めた平家が源氏に討ち滅ぼされるという、ね。
限られた範囲での小さい華は、枯れたら手折られるのは必至です。
それなのに、都合の悪い部分は見ないで、もっと給料がもらえるはずとか、正規で雇ってもらえなきゃおかしいとか。
自利しかみとらんじゃろ。
そういう、甘さが不安になり、不安から逃げたいから、現実から目を背ける。
そういうのって、ネガティブ方向に動くと連鎖して、悪化するばかりでしかないです。
厳しいこと言ってるとは思いますけどね。
現実をちゃんと見てたら、客観的な話として、そういう部分も見えてしまいます。
日本どころか、ぽっと出だからこそ、相手はどうみてるのか?を考えると表面的では友好的なのは、余程でなければ自国=日本も同じという立場を用いて見ると、なるほど、現状の日本ってある意味必然だなぁ、なんですよ。
島国だし、陸続きではないので、取った取られたにはならず、そういう地の利があったからこそ生き残ってただけであって。
世界史見てたら、陸続きだったら侵略待ったなしじゃん、という方がむしろ当たり前。
そういう歴史も過去の出来事という話ではなく、過去があるから今があるというような歴史が道を作ってるという見方も出来るので、繋がりもするんです。
だから、歴史も勉強してるっていうのに。
テストや偏差値や進学に踊らされるばかりなので、大事な事を見失ってる。
正直、ね?時代がどうとか、言葉の有無とか関係ないです。
コミュニケーションを取るというのは、相手が居るからこそ成立するもので、相手が居なければ1人だんまりで過ごすしかないんですよ。
それなのに、自分と違う誰かがいることに、ありがたみすら感じれなくなってるのが現代なので、ね。
捏ねくり回したかのように、ありもしない言葉を勝手に造り上げるなんてのは、まさしく捏造です。
しかも、勝手に名前をだして、根拠にされてる博士とか、下手すれば名誉毀損になりかねないっていうのに。
まぁ、相手にするのも時間の無駄と、そういう事があっただけ、って済ませてくれそうでもあるからなんですかね?
また、提唱はしたけど、研究には様々な人が関わってますし、学術的な研究という部分からはもう個人の手を離れて、心理学という学術的な分野に組み込まれてるのも現状。
それなのに、ねぇ。
この、ガラパゴスだからこそ発生しそうなブームは何というか。
言葉の意味どころか、社会人として世の中の仕組みすらわかってないのでは?
とか言いたくなるレベル、です。
と、グサグサ刺していきましたが、今回は感情が動いてないと言うか、機械的と言われてしまうような状態のまま書ききったので、このまま公開してみようと思います。
そういう、ね。
見えすぎてしまい、客観が働きすぎるからこそ主観が消え、感情が見えない。
それ故に。
そういう時の私は機械的で感情がない、だからコワイと言われる。
と、最後に実際の状態も添えて、終わりにしましょうかね。
それでは。