季節は移ろいゆくけれど
変わらずそこにあるものもある。
それは…
日光!!(ピカーン
という事で、冬でもラピュタのムスカ気分です。
目が!目がああああ!!
確かに夏に比べると、ね。公転と地軸の傾きの関係もありますし、日差しの強さというのは変化するのですが…。
そもそも、冬でも限界いっぱい光を受け取ってるのか、夏と変わらないくらいに影響を受けます。とはいえ、その影響というのも、苦痛まではいかず。ただ、人より受け取ってしまってるので、普段の様子が普通ではなくなる。
ただそれだけ、なんですよ。
という感じで、今日は冬でも眩しいのは変わらんのじゃー!というお話を。
個人としての感じ方を話してみようかな、と思います。
ちょっと、その前に
日光とその影響という話をするわけですが、何も光に弱い、眩しさだけに弱い、という話では有りません。
季節を問わず基本的に、室内でも明るさについては、おおよその人と違ってて、室内の電灯すらも、付けるタイミングが遅いだけでなく、
周囲がもう暗くなったと言い始めるレベルなら、私にとってはまだまだ明るいけど?という感じです。
なのでよく、
そんな暗いところで…と待ってと言ってるのに、勝手に相手側の感じ方で点灯されて、うへぇ…って事は子供の頃からあって。
光を受け取りやすい=多少暗くても十分だと感じてる、それ以上は体が拒否する、なんですよね。
日中だと付けられても明るさかわらないし、寧ろ電気代の無駄じゃん?っていう思考すらも自然と生まれる感じで、一人で過ごしてる場合、自分の部屋で完全プライベートの場合は、
体の反応の仕方に合わせて、自分で微調整します。
でないと、即座に十分な明るさではなく、眩しいになったりするので。
また、夜間なんかでも同じくで、目がなれやすい、暗くても見えてる、という感じで差がでたりします。
なので、眩しいだけでなく、光の感じ取り方、受け取り方そのものが、違ってる。
そんな感じである個人からの話です。
ここを凄く誤解されるので、感受性については色々広まってほしいと思うんですよね。
冬でも眩しいマン
夏と大差ないんですよ。眩しさというか。光の感じ方からして、十分すぎるほどに陽が当たってる。
冬でも、基本的にそんな感じです。
今でも、アスファルトや建物からの反射は眩しいですし、白やそれに近しい色の建物とかだと目に入った一瞬で凄くクラっとくるくらいに、反射を受け取ってしまいます。
なので、一人で行動してると意外と目の開け締めのレベルが、閉めよりだったり、外に出た途端顔をしかめたりして、負担軽減だったり、ストレスを逃がす行為だったりも自然とやってしまうのですが…。
周囲に人がいるとうるさいんですよ、これまた。
基本的に、音にしても臭いにしても、微小すぎて感じ取れない物を個人的に感じてるという状況も多いので、おそらく五感が総じてそうあるのかな?と思います。
なのでこう、音にしても、臭いにしても、風や空気抵抗という空気の流れ的な部分すらも違ってると把握されてても、常におかしいおかしい言われるんですよね。
でも、言われ過ぎてて、やっぱり面倒になってます。何度となく突っ込まれる度に、
違いを認識してるんでしょ?何で自分と感じ方が違うからってイチイチ口挟むの?
いい加減そういう違いを持ってる人だと認識しておくれ...
というのは、そういう光による影響色々でも言われるんですよね。
過去を振り返って
まぁ、そうは言ってもしかたないので、一時期はサングラスを着用してたりもしました。
でも、それはそれでうるさかったんですよね。
「サングラスなんかカッコつけて」
はい?普段から眩しい眩しい言ってて、サングラスつければ...とか言ってたのはどちら様ですか?って事もしばしば。
対策しろ、対策グッズを使えというのも、言われやすい。
ならば、そうしましょうか、と使えばそれはそれで、また違った言われ方をする。何はともあれ、初回はまぁしかたないのですが、何度となく、結局対策したところで、違うことのおかしさから、あれやこれや言われてしまう...。
そんな感じで、何でそんなに違いを認識してるのに、ごちゃごちゃいうのか?は長い事問題になってました、ね。
また、言ってくる側の方は、意外と軽い気持ちという感じで、実際にサングラス付けると思わなかったから...という矛盾した反応もあり。
それならそれで、実際に付ける程に違ってたんだな、となってくれないのが不思議で仕方なかったです。
そんな違いありえない、おおよその人がお前程影響受けてるとは言わない。
うるせーよ!
目が見えるのも、色が見えるのも、光が関係してるから!
こういう事を学んで実際に示しても、大多数の人がそうあらないのにお前のはおかしいだなんだ、うるさかったんですよね。
かといって、病院に通ったところで原因不明。光を感じ取りやすいんでしょうね、と言われるだけで終わってしまう。
日光に限らず、光って常に照射されながら。また、脳に近いからなのか、クラっとする、眩暈がするという体調の変化の発生もあるので、どうにも慣れという部分では、臭いや音より受けやすいようにもあります。
また、日陰とかは、影がある環境っていうんですかね。その陰の中に収まり切ると大丈夫なんですよ。直接目に当たる光が遮断されるからなのか。
とはいえ、その陰の中に居る所から光が照射されてる地面、建物なんかを見るとうわっ!ってなる事ありますけどね。
光と言えば日光だけでなく...
蛍光灯であっても光なので影響を受けやすいです。
雨が降ったり曇ったりすると、室内での蛍光灯が凄く目立って感じられるんですよ。
また、教科書や資料という、白地の紙に黒文字という物からの反射も際立ちます。文字の周りにRGBのモヤが見えなくも無いし、文字その物が七色に見える事すらあります。
RGB=光の三原色、赤青緑、です。
あくまで瞬間的とはいえ、光を感じやすいからか、受け取った光の処理の問題でそういう見え方をする事もあるくらい。
とはいえ、こういうのもおかしいと言われるので、あまり口にする事はありません。
こういうのも幼い頃からそうあったので、どちらかというと室内を選ぶ理由になってたんですけどね。
男の子らしくない、普通じゃないって引っ張り出されてアバババ。
病院でも異常が無いと言われ、でも違いを見せる。
それは何故なのか?っていい加減考えられません?って言ったところで、それ程にあるのが自分だけだったので、多数決による少数の排除といわんばかり。
悪い言い方すれば、主張してる話を聞かないまま、主観から決めつけてイジメてただけ、なんですよね。
その他の影響として
突発で発生する、片頭痛も持ってるのですが、視神経から来るものが殆ど。
また、激しい頭痛と共に、吐き気を催す程なので、視神経に強い光という負担がかかると、どうしてもそういう方向に一瞬判断が傾くせいか、すごく気持ち悪い、吐きそうになるという事すらあります。
片頭痛の痛みも、明らかに視神経の奥の方からという感じなので、光の負担って、これはヤバイ...ってくらいに体調が左右されることもしばしばです。
また、片頭痛の前兆として、強い光の反射があたると色のついた丸いのが視界に浮かぶという人も居ると思いますが、それが合図という事もあるんですよ。
それが消えないまま段々と視界を奪って行って、片頭痛が起こるみたいに。
なので、光で目が眩むというのは、体の方が自然と苦手と判断してしまってる事もありますし、それ故に受けた光の強さ関係なく、自身の体調次第では結構なダメージになる事もあり。
臭いや音に比べると、総じて感じ取りやすいとはいえ、反応を一番見せやすいのは目と光だけだったりもします。
自分でそういう把握もしてるので、コントロールもするんですけどね。
それが違うから、というだけで、アレコレ言われるのはもう、お腹いっぱいですぅ...だったわけです。
結局、社会で生活しててストレスが溜まってしまったのは、単純に自分が違うからというより、その違いに対して話を聞こうとしない、聞かない割に主観で決めつけてごちゃごちゃ言われてたのがそもそも問題とも言えなかったりもするんですよ、ね。
精神疾患を抱えてからも
何はともあれ、そうある本人の話より、相手が見た知った程度の情報で、深く掘り下げたわけでも無いのに、色々ごちゃごちゃ言ってくる。
という部分では、相当にこう色々感じさせられました。
また、逆に当事者だからとはいえ、個人としての話ではなく、疾患や症状名を前面にだしたり、個人差がある部分を主張しないまま発信する人なんかは、少し迷惑に感じます。
うつ病と診断された頃も、色々ありましたからねぇ。
うつ病にはこれが良いって、とか、まず症状以前に私という個人を知れ!ってキレたことすらあるくらい。
感受性の部分ですら、違いがあるとわかってるのに、その違いやそれを持つ個人に触れられないまま、相手側が主観で決めつけてごちゃごちゃ言ってくれたわけですからねぇ。
うつ病っていっても、気持ちの沈みが症状なので、人それぞれ見せる物、いう事が違うのが当然なのですが、そういう情報を見たからって、ねぇ?
それが今では、発達障害という症状で見られなくもないと言うか。
精神的な症状って、そういう特徴があったとしても、個人として見せる部分、自分から主張する部分って違いがあるし、育つ過程での消失もあり得る部分があるので、全部が全部その症状の人に当てはまるなんて事はないんですよ。
だから、医師でも診断は難しいとか言われたり、成長してからは家族からの聞き取りすらあると言われたりするわけで。
当事者として発信してる人も、もう少し個人として、自分の話として発信できるようにならないと、誤解の元にもなってると思います。
と、少しばかり精神疾患にも触れましたが。
感受性だ、精神疾患だに限らず、国だろうが、宗教だろうが、そういう枠で人の全てを決めつけるような事って、いい加減やめにしませんか?ってね。
思いますよ。
ストレス社会の正体って、こういう部分もあると思いますし、無くすのは無理でも個々が注意して押しとどめられなければ、ネガティブぶつけられてネガティブな反応し示すだけになり、悪循環が加速すると思います。
あとがき
ほんとこう、外出するとなると、日光の影響はさけられないので、どうしても色々思い出してしまう。
日光は無いと生活に支障が出るので、在り続ける限り、それでの記憶の掘り起こしからの上書きも発生するんですよ、ね。
だから、引きこもって人と接しないようになってしまいました。
違ってるのに、その違いはあり得ないって、さ。
何であなたが基準なんです?と思います。何度か口に出して言って、逆切れされた事もあります。
普通じゃないから、一般的じゃないから。
まぁ、そういう普通だ、一般的だ以外でも、主観でしか話せない人が多すぎて、おおよそ時代が変わったなんて到底思えないんですよ、ね。
そういう意味でも、HSPなんかは、総じて感受性という方向で見られるようになって、人の違いが生まれる原因とは?に至れなくもないので考えてみて、それで人と人が向き合うになってくれたらいいと思います。
個人としても、お前は犬か?と言われるくらいに、臭いを感じ取り過ぎる程にもあります。
そういう経験もしてるので、人か動物か?ではなく、同じ感覚器を持ってるんだから、近しいレベルでの判別が出来る、特異性もあって良いじゃないかってね。
そういう種レベルでの違いみたいな部分にもなりますから。
五感での感受性の違いって。
多様性だなんだ言う前に、そういうのを知って考えられるようにならないと、話題性だけで言葉を扱って、目に見えないところで人を傷つけるだけ傷つけてオシマイ。
言い出した人が満足しただけ。
なーんて連鎖は断ち切った方が良いと思うのです。
何はともあれ。
目の前のカーテンの隙間を縫うように差し込んでくる光が眩しいぞなー。