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そう言えば最近夢を見る
という、自身の日常生活の中の気づきから、感受性という部分だけでなく、引きこもりだったり、メンタルの話だったり、それに対して周囲がどうあるというような人だけでなく環境という括りでのはなしだったり。
良くも悪くも、色々ありすぎました。
と言う程に、細かい事について気づいてるだけでなく、それに対して周囲が付いてこれないというのは、幼い頃から嫌と言う程身に染みての経験にもなっていたことで、話す事が出来ませんでした。
そう。
相談相手って居ないんですよ。未だに。
と、眠りと夢の話のはずなのですが、まずは相談という事について話してみましょうか。
相談上手と言われる側として
メンタルやんで社会から退いて。
一線を退かなきゃいけないほどに、メンタルが体調にすら影響を及ぼすからこそ、引っ込んでる。
そんな状態なのですが、少なからず就労支援のB型を利用しても居るので、人との触れ合いがあったりもします。
そうなると、どうしても目立つというか。
話を聞いてるだけなのに、状況を把握するだけでなく、自然とその把握して状況に対しての私見を述べた事から、事態が動いた、解決したという事もありますし、話を聞く事で気が付いたという感じで、他者が反応を見せてくれます。
うん。
なんでかこう、少なからず話を聞くだけでも、気付き過ぎる側だからこそ、相手に気付かせる事すら出来てしまう。
それ故に、お前はおかしいと言われてしまうんだろうなぁ。今となってはそういう領域にまで到達してるとも言えなくもない。
そういう自身からすると、総じて、相談下手ばかり。というと、おこがましいかも知れませんが、自分と違う他者の話を聞いてるのに、なんでそうなるかなぁ?が多すぎるんですよ・
何でそんなに自分の事に置き換えるの?それだけでなく、相手の話なのに自分の主観で話すの?
主観=自分の立場として、自分が見聞きしたとして、という物の見方なんですよね。だから、相手の話に沿ったものにならないんです。
例え、同じような経験があったとしても、そこを掘り下げると個人としての育った環境から、その過程で育まれた性格ほかというパーソナルな部分、そして今現在置かれてる環境と、違いすぎにも程があるんですね。
それなのに似通った境遇、似通った経験、似通った特徴。
似てるを同じに置き換えて、自分もそうだったとなぜ言えるのか?
この辺、気付く側、相談上手である側としてはいともたやすく崩せなくもない。それだけでなく、敢えて崩して、相手を怒らせるだけでなく、図星でしょ?と徹底的に追い込むという真似すらして、やはり図星であった......というのは何度か観測して、経験値やデータとして持ち得てます。
と、たかが相談という部分にしても、自分の自然体が相談上手、聞き上手と言われて、はて?何故そう言われたのか?という部分からの掘り下げって深いものなんですよね。
なので、敢えて記事を分けたんです、という余談。
感じとる、気付く、察するというのは、現実に直面した事で、その環境にある情報を受け取るような側面もあります。それに対して、疑問や違和感というのも感じますし、そうあるからこそ踏み込んで解き明かそうともする。
感受性って表してもそれ程に深い、それだけでなく五感や痛覚、温感という感覚の方の話も出てくるので、そうとうに広いんです。
あくまで、相談上手と言われるという部分に触れただけでも、紐解いて話せる話が壮大になってしまうのが当たり前。
個人としては40年分の積み重ねがあると、物心ついてからの積み重ねを前に出す事もありますが、物心ついた頃から、成長に伴う発達という部分での差はあれど、おおよそ変わってないと言えるほど、だったりします。
って、そろそろ話題も変えましょうか、ね。
相談という事
正に読んで字の如し。
相手と談する。相手と話すという事なんですよ、ね。そしてこれは、自分からの意見を言うだけではなく、お互いに話をする、聞くしながら、話の筋道にそった意見や話を交互にするというような、相互の関係性というのが求められる物と、個人としては認識しています。
両者あって初めて成立するもの、と言い切れなくもない程なので、自分がどう、相手がどうという事は大して大事ではないんです。
相手が何を言おうとしてるのか?伝えようとしてるのか?
そして自分は何を言おうとしてるのか?何を伝えようとしてるのか?
可能であれば、両者が互いに慮る=配慮をして話を進めていく物だと思います。
それなのに。
行動するのは相手という、絶対条件があるのに、自分の意見が正しいと言わんばかりの無駄なアドバイスをする人って、多すぎだと思います。
それで居て、もし相手がそれに沿って失敗した場合、その追及を受けると、そんなのお前が勝手に判断した事と、無責任に突っぱねる。
余計な事をいわなければ、こういうお互いに反発しあって、不快感、嫌悪感を感じる事にならないのに、自分の意見を言いたいだけでなく、通したい、言い聞かせたい、飲ませたいと言わんばかりにアドバイスするというのはもう、相談ではないというか。
もう、説教と言ってもいいのではなかろうか?という事に遭遇することもしばしばです。
そして、これが自分以外がやってる相談という物として、相談上手だ、聞き上手だ言われる人の目に映るんですよね。
人の振り見て我が振り直せ。
嫌悪感、不快感というのは、怒りという喜怒哀楽=基本的な感情に繋がるだけでなく、拗らせたら恨み、逆恨みになるようなもので。
何ゆえそれを避けないのか?
不満を口にするのに、失敗は成功の基という事から学んで、不満を言わないように、失敗をしないようにと、自分を戒めないのか。
それ程に、自分自身は絶対な存在なのか?
時として、こういう踏み込みをしたこともありますが、総じてそんな事言ってないと返って来るばかり。
いや、その、ね?相談で失敗したからこその、嫌悪感や不快感、そこからくる不満や愚痴ですよね?
と、問い方を変えればイエスが返って来る。
それに対して、自分の非を認めず、相手を悪く言うだけじゃ、相談相手として不適格です......までは流石に言えたものではないのですが、ヤレヤレと思いつつ。
代わりに話を聞きに行ったり、相談に乗ってやってくれと持ち掛けられたり。
そこで、上手くこなすから相談上手だ言われるのに、何でいつもそんなに出来るんだ?って、何度も遭遇してる人ですらそうあるのは、些か人間って本当に理性持ってるの?という疑問にすら繋がった事もあります。
うん。
眠りのはなしなのに、ね。
相談相手が居ないという話をしてしまうのは、感受性の影響があるという事を示す為。
そういう狙いのもとでやってるだけでなく、自身が感受性どうこうという事に触れると、自然とやってるだけでも、相談上手と驚かれるくらいにある、そういう人だと説明もかねて、こういう事をやってたりします。
大して技術を持ってるわけでは無いですが、何かを書く以上、少なからず流しでも順を追いなさい、と思います。
結果から簡潔になんてのは、ケースバイケースなんですよ。
話がくっそ長くなるわけですから、順を追って話して、辿ってもらえなければ伝わらない事もある。
人間って楽をしたがる生き物でもありますからね、という釘も合わせてさせておこうかな、とおもいます。
前置きとして
なんかこう、色々長くなってしまっただけでなく、ようやく本題かよという感じですが。
もうかれこれ、十数年の間、殆ど夢を見ない状態というのが続いてました。
なので、夢見が悪いという寝起きの状態すらもなく。
そうなり始めた頃は、なんだか最近夢をみないなぁ?という疑問は持ってましたし、何故か?は少なからず追ってました。
そうこうしてたら、段々と夢を見ないという状態の方が増えて行くだけでなく、結果として、当たり前の様に見なくなってるんだから別に見なくても良いのではないか?という、違った疑問に変化してしまい。
そして、考えるのをやめた結果、夢を見なくて当たり前の生活になる、と。
その段階では、色々拗らせすぎてたので、おおよそ引きこもりと言って間違いない期間だったりします。
まぁ、その辺もおいおい話すとして。
それが最近、2021年11月17日に突然、最近夢をみるようになったけど、これは何かあるのではないか?と、夢を見始めただけでなく、明らかにここ十数年との違う状態に疑問を再度持ち始めたわけです。
そこについて、思う事ではなく、気付く事、感じとれる事があるので、改めて個別の物に仕上げようかなぁ、という感じでね。
こういう事を新しく始めたという流れになっております。
夢をみるというタイトルから、なんで相談やねん!なんですが、あまりに違い過ぎてたんですよね。
また、そうあるからこその色々も、いつも以上にぶち込んでいくわけなので、とりあえずのクッションというか。
そういう意味で、たまたま相談というのが、丁度良さそうだと、自身について触れたわけなんですよ。
と、ここまででもそれなりに長くなったので、また改めて別の記事に書いていこうと思います。
ここまで、お付き合いいただいたのならね。
ありがとうございます。
素直に個人として、感謝させていただきます。