考えてたら気がついた
うーん。生きづらい、生きづらい。
生きづらさていっても、世界に目を向けると……
あー、そういうことか…
そりゃこうなりますよ、うん。
ということで、今回はそういうところから入ってみましょう。
そういえば見なくなってるわ
ユニセフなんかの資金援助の依頼のCM。
明らかに、目にする回数減ってるし、これもう意図的に流してないんだなぁ。
それでも、全く見なくなったわけではないけど、明らかに目にする回数が減ってる。
いや、激減してますわよ。
生きづらい生きづらいって何をそんなに…。
って、自然と思えるくらいに、世界に目を向けると悲惨とも言える現実があったりします。
それでもね。NPOやボランティアの人が頑張ったりしてますが、それでもやっぱり追いつかない。
・水の入手に困難があり、濁ってようがその水を使う
・食事すらままならないので、明らかな栄養不足
・医療水準どころか医師不足もあって、治療すら困難
などなど。
それでも、国境なき医師団とかね。時代の流れに合わせるというか、やはりこう助けてあげようと頑張ってくれてる人がいる。
そういうのを、お茶の間でテレビを見ながら、目にしてたんですよね。
なので、日本に居て、生きづらい?貧困?まだ、全然マシですが?なんですよ。
そういう現実も知ってるからこそ、HSPを生きづらい人っていうのには、疑問や違和感だけでなく、苛立ちも覚えるんだった。
だってその、ねぇ。
自分の生きづらさにしか目が行ってないんだもの。
井の中の蛙大海を知らず、大海を知らずというか。
まぁ、本来であれば人の下に人がいる=優位性とかあると、悪い部分が目立つのですが、大きく差が開くようなら手を差し伸べる事が出来ないか?という風に、ネガティブをポジティブに変換出来るものなんですよね。
自由も権利も平等も、臭いものに蓋をする、にされてるから見えなくなってるんですなぁ。
嫌な時代でもあります、うん。
生きづらいってそもそも
生きる事の大変さみたいな感じですかねぇ。
って、これ、誰しも感じてるし、世界に目を向けるとまだマシなんですよね。
家ですら、壁と屋根はあるけど地べたに敷物敷いてて他は土が露出とか、換気扇もクソもないので外で火を炊いて調理とか。
とはいえまぁ、世界なんて知ったこっちゃない、ともいわれそうではある。
けど、日常生活にしても、隣の芝生は青く見える、なんですよね。
詳しい事情とか、環境はわからないのに、自分より良い部分だけをみて妬む。
アイツばかり良い思いしやがって。
そういう負の部分をばらまくヘイターや、テレビがもうネガティブ製造マシーンになってるっていうか。兎に角不満を垂れ流すようになってしまってるので、そういうのから影響されるんですよね。
他者の不満や怒りって、ストレスになるし、メンタルも削られる。
そういう意味ではもう、相当にプロパガンダが進行しちゃってるって話でもあるんでしょうね。
恐らくではなく。
うん。
言わんこっちゃない、とぼやきつつ
便利にしてるばかりだと、楽しか覚えられなくなって、欲が加速する。
中学生時点でこういう事を言って、おまえは気にしすぎ、真面目すぎ、人のこと考えすぎ、気を遣いすぎ、色々言われてて笑われてたんですよね。
まぁ、HSPみたいな言葉が出てきましたし、ようやくか、とも思いつつ。
HSPだったら、そんくらい普通に見えると思います。
多くの人が、コイツ頭おかしいwとか笑って嘲るくらいに、見えてるんですよ。色々と。
そりゃ、見えてるもの、感じてるものが違うので、当然でもありますけどね。
ただ、日常生活で見てる、感じてるも、結構深いんですよ。だからこそ、カウンセリングで現実を深く見つめ過ぎですって言われもしたというか。
これが相談だったり、指導、教えるになると、良い方向=周囲には少なからず利が出来る部分があるから、認めてくれるっていう感じでね。
ほんとこう、普段から違う事に気づいてるのに、嫌でも見ない聞かないしてて好き勝手やってくれるってのが、HSPだったら感じてそうな生きづらさだとも思います。
なのでね、敏感で繊細もおかしいんですよ。
人より多く感じ取れる、それの度が超えてる、だからこそ反転して強みにもなるんです。
うん。
二元なんて、片方じゃ成立しえないもので、両方あって初めて善悪、正誤、良し悪し、互いが互いを相反するものとして見つめあえるからこそ、成立するようなものでね。
弱みも度が過ぎれば強み。
そのくらいあるんですよ。
それこそ、昼夜の入れ替わりのごとく、くるくる回る相互の関係ってくらいの位置にあるんですよね。
まぁ、HSPは概念であって、そういう人が居るとか、そういう人はどうあるかって説明でしか無いので、それに自分が当てはまるかどうかはわからない。
だから、HSPとは言わないけど、感受性が高いって言わ続けてるタイプとしては、これが普通レベルで出来てしまうことですが?
っていうね。
うん。
五感のいろいろ、というか体の感覚のいろいろも
総じて、細かく感じ取ってます。
五感に限らず、痛覚なんかもね。病院で細かく説明しすぎるせいで、変に心配されて、過剰に検査を受けることもあります。
でも、原因ってみつからないんですよ。
感じ取りすぎてて、言語化してるけど、同じ様に感じ取れる人、それを伝えられう人ってそうそういないので。
なので、精神科に通院してても、にわかに信じがたい部分があるせいか、気の所為とか、勘違いとか言われがちでもあります。
痛覚なんかもほんと感じ取りすぎでね。
感じとり過ぎ=簡単な傷でも、複数の痛みの擬音語が頭に押し寄せてくるって感じです。
なので、簡単な傷の方が慌てて絆創膏なりで塞ごうともするし、それに対してたかがその程度とか言われますけど、痛みの信号で頭がパンクしそうだから塞がなきゃダメなんですよ。
逆に片頭痛や、過敏性腸症候群の下痢型なんかは、時間経過でしか収まらないってのはありますけど、痛みが兎に角「痛い」の1種類なので意外と動けてて、お前はどうなってんだ?って言われたりもします。
点で撃たれる銃弾より、面で撃たれるスラッグ弾の方が威力が大きいってのと似てますかね。
面で撃たれる=銃弾が当たる箇所がばらけて複数になるので、痛みや傷が分散されて致命傷になりやすいという感じ。
ちなみに、スラッグ弾は散弾銃やショットガンで使われる弾って所です。
なのでねー?
痛覚に比べれば、五感の色々って全然マシレベルなんですよ。
ただ、個人的には片頭痛が視神経から来るので、光だけはちょっと苦手意識が高めですけどね。
まぁ、自分の体からすら、色々感じ取り過ぎてて、病院なんかでも頭を捻られる事が多い位です。
あとがき
うーん。ちょっと、書こうとして取りやめた部分がありますが。
正直、平和ボケしてると、まさか?の可能性があるってのは認識した方が良いと思います。
現実にならなければいいだけであって、あくまで認識の補助にするだけなら陰謀論や都市伝説に手をだすのも、アリだと個人的には思います。
ただ、何事も過ぎたるは猶及ばざるが如し。
過剰にハマり過ぎなければ、問題ないと思いますよ。
兎に角、良いも悪いもを知っておくというか、どうしても感じ取り過ぎる、見えすぎるになると、嫌でも推測、想定、可能性が広がるので現実を認識するために、過剰にハマらないようにしつつ、自然と色々触れにも行きます。
じゃないと、感じとっただけ、見えただけだと、不安しか残らないので。
あとはあれですね。
後知恵バイアスって考え方が、邪魔、です。割と真面目に言います。
これはあくまで私個人の経験からなので、説得力薄いと思いますけど、
事前の示唆は必ず否定されます。
自分たちには見えない感じないからって理由で否定されます。
日常生活で、感じとり、気づき、察しがおかしい位で、気遣いや配慮が出来すぎだと認知されてるにも関わらず、です。
こういう部分でも、なんでそんなに主観だけで否定してくんの?話聞いてる?言葉聞いてる?ニホンゴワカリマスカー?ってくらいに、自分たちと違うって認識してるのに、自分たちは同じじゃないから、有り得ない。
これも、日常で当たり前の現象だったりします。
で、思いの外当たって結果が出た時には、またもや否定されます。
たまたまだろうが、偶然だろうが前もって示唆してるのを、受け止めない、聞かない、否定するってやってくれるのは周囲なんですよね。
アイツおかしい、違ってるって普段は言うのに、都合が悪い部分だけは同じじゃないって言いますからね。
で、結果がでたら、それも認めたくないと言わんばかりの否定をして、偶然だ、後からなら何とでも言える!ってね。
認めるのヤダヤダー。
あ、後知恵バイアスだ!そうだ!
こうなるんですよ。
馬鹿馬鹿しい話に聞こえるかもしれないですが、それ程に感じ取れてる、見えてるしてるんですよ。
で、示唆する部分って、何かしらあった時に想定外って騒ぐ事になる部分だったりします。
それ以外は、あんまり話しません。危険性ないから、知ってもらう必要無いし。
言ってしまえば、人間の生存本能としての感がおかしいくらいに働いてるって感じなんですが。
まぁ、未だにそうあるから、書いても分かる人少ないんだろうなぁ。
と、ボヤきつつ。
とはいえね。自分でも、過剰に自信持ちすぎないように制御してますから。
この話も、あくまで個人の経験、個人が観測した現実、それだけでもあります。
という事で。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?