堪忍袋がございますので
いい加減にしてくれないかなぁ
あくまで個人として、これを口にしだすと少なからず知ってる間柄だと、ね。
流石にこれはヤバイ、と思う人も数人いるのですよ。
一応ね、段階を踏んで、最初はやんわり注意喚起してたわけですし。
それを知らないからとは言え、仏の顔も三度まで。
そういうものでございます。
まだやるんかい・・・
心理学上の概念です。
何度と無くこれを訴えてるわけですが、勝手に集団や個人の言葉として扱う人がまだまだ雨後の筍。
自分でもいい加減しつこいかな?とは思いつつも、こういう、ね。
流石に、簡潔に言ってしまいますよ。
いい加減にしてください、マジで。
言葉に人がハマるのではなく、個人が持ってるものとして一致するようであれば、そういう言葉を周囲が評価として使う。
鶏と卵どころか、そもそも前提条件を間違ってはいけない。
その言葉で個人の全てが表せるものでもない。
それなのに、何をどう考えればそんなマネが出来てしまうのか?
HSPだ心理学だ以前に、国語や現国という部分での、日本語の扱い方という部分が出来てないって示してしまうだけなので。
下手な真似はしないほうが良いです。
単語を扱ってれば済む。
そんな簡単な話でもないんですよ。言葉の扱い方なんてのは。
弱いからこそ群れるもの
人間に限った話ではなく、社会性をもった生き物というのは、その弱さを補うために集団や、社会を形成して生活するんですよ。
ゾウにしろ、ライオンにしろ、集団でお互いを支え合ってますよね?
一匹だと、過酷な環境では生きていくのは難しい。
一匹だと、狩りを成功させようにも、ヌー相手だと返り討ちは必至。
だから、群れをなすんですよ。
それと同じで、言葉に群がるなんてのは、弱いからこその言葉への逃げ込みですよ?
また人間の場合、頭数だけそろえて形だけでも多数派を作って押し流そうなんてことをしますからね?
それこそ、心理という部分にすら行き着きかねないというのに。
基礎がないまま応用の部分を振り回す。
いい加減にしておくんなまし。
そうあるからこその苦
流石に自称するどころのレベルではなくなりつつある。
その様に見えます。流石に酷すぎて。
それ程に踏み込んだところに、あっという間に気づく、見抜くすらしてしまうから。
なんかこう、神格化するとか、ありがたがってるかのように扱ってる人もまだまだ見かけますけどね?
下手すれば異端審問みたいに、周囲の方が悪かろうがぶっ叩かれますから。
出る杭は打たれるという言葉を実感すらしてしまうんですよ。
感覚という部分が飛び抜けてしまってますし、個人としては痛覚すらも感じ取りすぎるから、体が弱いだなんだとイジメを受けるハメにすらなった部分です。
特別ということは、そういう不利を抱えるということでもあるんです。
一体なにやってんの。
自分は特別な人だ、みたいな扱い方して。
特別じゃないほうが良いことなんて、日常や集団生活の中では、嫌ってほど経験することになりますよ?
だからこそ、ありがたくもなければ、出来ることなら持ちたくなかった。
「普通に生まれたかった」
とか言うんですよ。
そうあることの苦労や苦悩、その苦の字すら知らんだろ?と。
突っ込まざるを得ません。
流石に酷すぎる、そう思いますよ?
コミュニティやってるとか、個人の研究レベルとか、個人の見え方とか。
ホントこう、もう少し知識付けてから行動しなされ。
というか、日本語ちゃんと勉強し直しましょう?真面目な話として。
ホントこう、ね。
心理学とか、精神医学って、日本はまだ遅れを取ってるし、世界を相手にするならまだまだ追い越せどころか、追いつけという段階です。
LGBTQもなんかこう、個人の都合の良いように振り回して、自分以外の誰かを気にかけすらしない人がいましたけど。
生きづらさって、様々に抱えるものですよ。
事故なんかで、体がうまく動かなくなったり、下手すると欠損したりもします。
父方の祖父がそうでしたが、農機具にうっかり巻き込んで片手の中指を無くしてました。
それでもまだ、中指だから、と。
特に問題が内容に振る舞ってましたけどね。祖父は。
また、過去にも上げたことがありますが、子供を生みたくても生めない。何をどうやっても無理。治療すらもするしないの選択すら叶わない。そういう親族もいます。
よくもまぁ、その程度で、生きづらい、生きづらいってのたまわれますなぁ?
個人としてもヘルニアもってますけど、生まれつきでの骨格異常ですね、とか。そういう事言われたことあります。
腰はまぁ、背中やお腹に筋肉つければカバー出来るから良いですが。
言われると結構ショック受けちゃうんですよ。中学2年でそれ言われたし、ただでさえ隠してたとは言え、性別についての悩み事も抱えてましたし。
骨にまで異常あったんかーい!みたいに、ね。
それでも、生まれつきそうなら仕方ないし、向き合って生きてくしか無い。
HSPだろうがなんだろうが、個人の持ち物だから、個人として向き合って、良い悪いを自分以上に周囲がやらかそうが付き合う事になるんですよ。
そもそも、何度と無く言ってますけど、心理学上の概念です。
でも、それすらも現状だし、まだまだ未解明かつ未知な部分もあるからこそ、研究が続いてます。
それどころか、本当にそういう物を持ってたら、他の分野の参加も想像できてしまう。
だからこそ、今後は大きく変動する予想すらも簡単に出来てしまう。
そういう言葉でもあるのに、現段階の程度で、言葉を知ったから、と。
好き好きに振り回すのは、流石にこう、ね?
心理学だけに限らず、人間社会や世の中というものが全然見えてもなければ、舐めてかかりすぎなのでは?
と、言えてしまうほどに酷いです。
いくら平等や自由を掲げた所で、世の中思い通りにならない。
そういうものと何ら変わらないというのに。
一体何をしたいんでしょうかね。
所詮は人間。多少あがいたところでは、神にはなれないんですよ。
あとがき
現状、世界情勢どころか、昨晩は地震すらもという状況。
こうなると陥ってしまうのは、
不安、です。
自覚しようが無自覚だろうが。無意識からだろうが、不安が襲ってくるような状況に、望まずしてなってしまってる。
それ故に、安心を求めてしまうのも致し方なし。
とはいえ、その安心が安易な逃げになるようだと、いずれは自ら道を踏み外す事にもなりかねず。それを回避するのには情報が必要になる、と。
うん。
ネットというのは、自由な場であると同時に、不特定多数が閲覧できる公の場です。
実社会でもそうですが、自由だからとはいえ、電車の中でスッパスパとタバコを吸う人は居ないわけです。
ルールがあるから。
それはネットも同じくですし。
ルールが無いのではなく、個人個人の価値観によって時にはぶつかる程のルールが設定されるのがネット。
なので、コレほどに警戒しないといけない場所はないわけですが。
自由を勘違いしてる。
自由というのは、自由になればなるほど、自分で自衛できなければいけないんですよ。
自分が死ぬか、相手を蹴落とすか
そういう選択を迫られたら、どうなるでしょうか?というくらいに、想像力が働かないと、あっという間に真っ逆さま、です。
それが自由の正体ですし、誰かに保証してもらうのではなく、自分で勝ち取るもの、です。
自分自身を守れるのは、最終的には自分自身だけ。
集団というのは、安心欲しさに集まるようなもので、それが脅かされると混乱すらしてしまうものなので。
誰かに頼るだけでは、ダメですよ。
と、厳しい事を言いつつも、そうそうはそうならないわけですが。
今は警戒するに越したことも無いと思います。
まぁ、ね。
生きづらいだけ当てはめてるようじゃ、まだまだですよ。
それを通り越して面倒くさいし、こんなもの要らんから捨ててしまいたい。
そういうレベルで持ってる身からすると、甘えてんじゃないの?と。
油断するとかそういう事以上に、否応なしに現実という存在から引っ張り出されもするので、周囲からは嫌でも叩かれたり、変にみられたりするんです。
ホントこう、ね?
否応無しの多勢に無勢で、周囲から苦を背負わされることすら経験してないのではないかい?
それ程に気づく、感じ取れる=周囲にとっては面倒を押し付けるのにはうってつけにすらなるんですよ。
やれやれ。