経験から語ってみる11.5(悩み2
少し時間が経過して、そして思い出すこともある…。
書いてる時に何で気づかないのー!と自分でぼやきつつ。
まぁ、長らく付き合ってきてるので、自分で制御できなくもない。でも、他者から感じ取るものって、やっぱり時間がかかったり、うまく消化できなかったりもするんですよね。
なので、可能性とその推測からの保留、なんてのもやったりして。
感じ取りすぎるって、結構シンドイんですよ?
でも、同じ人が居た試しがないどころか、自分より人生経験積んでる人にすらそうあると言われたりもして。そういう事もちょっとした、程度だったら悩みのタネにもなるんですよね。
ってことで、まだまだあるよねぇという感じで、書いてみようと思います。
相談相手が居ない+カウンセリングでのやり取り
そんなバカな?って感じですが、マジです。
そもそも、臨床心理士からのカウンセリングですら、
・現実を深いところで見つめ過ぎです。
・周囲にいる他者の感情を取り込みすぎ、さらに自分の物取して処理しすぎてる用に感じます。
という、指摘をHSPとか感受性とか、そういう言葉や話題無しで指摘してくれたりします。ちなみに、感情の取り込みすぎにはガードをするようにとの事も言われたのですが…。
すごく申し訳ないのですが、その、所謂普通っていうんですかね?それぞれ感覚とかあるとおもうのですが、そこが自分にとっての普通という感覚なんです。なので、ガードとか言われても、観察したりして受け取ろうとしてるわけでもなく、勝手に感じ取ってる、勝手に入って来るという感じで…
と、私の方は返したんですよ。そのうえで、
ガードってどうしたらいいんですか?
と、やり方を訪ねてみたものの、返答がありませんでした。
そりゃそうですよ。そこにぼーっと突っ立ってるだけでも、感じ取ったものを勝手に脳が動いて処理してるくらいですし、ぼーっとって言いつつ、脳が自動的に動いてるようなものなので、あくまで自分基準のぼーっと呆けるという感じで、脳はチャッチャカ動いてるのが実情だったりします。
うん。そこを感じ取ったからか、
・自動思考も相当に動いてますよね
って言われ、それも自動思考という言葉とともに当たり前の様に返しました。で、自動思考ってよく知ってますね、と言われたのですが。
いや、その普通に気になると調べたりしませんか?感じ取ってしまう中には違和感という感じでよくわからないものもあるので、個人としては色々調べるってすごく当たり前なんですよ。
ってこれまた返した上で、
自動思考って認知行動療法で云々とか言われますけど、私の場合、それって出来るんですか?現実を深く見てるというのも、日常とか当たり前のラインなので、変に認知を提供されると歪みそうなのですが?
と質問をして、歪ませる事にはYES、認知行動療法も難しいということで。
現実を深く見つめてると言う部分から、認知を提供できない、しても逆に歪ませる事もありえるという返答をもらったんですね。
最近、書くようになったカウンセリングでの話も、こういうやり取りみたいなのがあったりします。
元々、認知行動療法で治療なんてのはうさんくさいな、と思ってたのですが、大学院などに行って学んで受験資格が発生する臨床心理士、その資格をもって病院で働いてる方とのやり取りですらこんな感じなんですよ。
最終的に、ところでカウンセリングを受けてどうしたいのですか?に対して、自分でもあがくもがくという感じだけど、こんな状態だと自分で向き合うしかないですよね、今までもそうでしたし、で一旦終了になる、と。
何とかしたい一心で、精神科通院の際に頼み込んでカウンセリングしてもらったけど、こうなってしまったという話だったりもします。
まぁ、ね。相手をしたのは一人だけですので、あくまでのその臨床心理士の方とのやりとりなわけですが。
ウェクスラー式知能検査をやったうえで、
言語性についてはIQの数値では示せない部分も持ってると思います。それを示すかのように、こちらの指示からは1以上を聞き取ってくれるだけでなく、解答の際も説明が伝わるように意識してるのが見られたし、言葉を受け取る伝えると言う部分の能力が高く、検査がやりやすかったです。お陰で助かりました。
という、評価をしてくださった人なので、少なからず知ってくれてる相手だったりもします。
うん。
相談することが難しいんですよ。
振りをする、演じる
幼い頃にそうあろうとしすぎたせいか、そういう部分もあります。
この辺についてですが、日本ではあまり聴かれないですが、
精神障害とされてるわけではないですが、こういう話もあったりするんですよ。
これもそれなりに前から知ってたりしますが。
ただ、個人としては成功者どころか、高卒のドロップアウトなんですけどね。とはいうものの、人生というステージだと、幼い頃からそう合ったお陰で何がどうあれ、道を踏み外しもせず生き残ってると言う部分は、成功なのかな?と考えてみたりもします。
この話は実は難しさがあるというか。
日常生活の中で、他者と触れ合う、集団生活をするとなると、少なからず対人関係を考慮したすり合わせのために、自分を抑える、出し控えるというのは大なり小なり誰でもすると思います。
ただまぁ、個人的に言わせてみればそんなレベルじゃない、と。インポスター症候群という言葉を知るまでは、”多重人格ではないけどそう言わんばかりに切り替えてる”と言う程度にあると説明したりしてました。
まぁ、そういうと多重人格に見えないからありえないとか、普段からは感じ取れないからおかしいとか、これまた周囲は主観でこちらのことを、おかしいおかしいっていうんですよ。
そのくせ、私のやってる振りをする、演じるというのは、自分も同じだという……。
いやその、相当に黙ってるんですよね。頭に言葉が浮かんでも、感情が動いてもどちらかといえば抑えがち。また、抑えたままだと悟られてしまうので、それこそ正に”相手に都合の良い自分を演じる”なんですよ。他の記事で書いてるような。
敢えておちゃらけたりもするので、本当にピエロとか道化になることもあります。
そして、ここが通じる話として母がガンで死ぬ間際にした話も通じるんですよ。
私が演じきったからこそ、母は私の感受性に対し1歳の時点でそのおかしさに気づいてたにも関わらず、”普通の子、人として育ってるように錯覚”してしまい、それで油断をしたと言う感じです。
なので、振りをする、演じるっても、そこには理由や背景にちょっとおかしすぎるところがあるし、ちょっと聞いただけで自分も同じというのは、流石に見通し甘すぎますよ、ってね。
でも、そういう事を言うと、他者は劣ってしまったと感じるのか、感情的になり怒りだし、兎に角否定して自分の尺度通りの相手だったということにしようとしてくるので、言わずに黙る、騙す、演じるをするって、ね。
そういう話なんですけどね。
まぁ、そうあれば相談相手がいなくて当然とも言えなくもない。
でも、その背景には”自分と違う”を都合よく使いすぎる他者や周囲がいるので、どうにもこうにも面倒だから、出来ないと言う側面もあるという、そんなお話だったりします。
今までも、話を聞いてくれそうかな?と思って話しても、否定の嵐が発生してこれは無理だ(笑)となってしまうばかりだったので、敢えて相談に乗ってもらって少なからず落ち着いた振り、演技もして、その場を乗り切ります。
そのくらい、会話しながら常に状況判断して、取捨選択も行い、バレないように切り替えて切り抜ける事すら出来てしまうんですよ。
そして、こういう事すらも把握するだけでなく、追求しようとして掘り下げて知識を付けるだけでなく、それが先手になってしまうので、自分が嫌いだというんですよ。
嘘も方便という部分もあるのですが、相手の溜飲が下がるというか、変に刺激しないようにというか、演じて騙したりとかしょっちゅうやってますからね。
現状という悩み。
という感じで、カウンセリングとか、インポスター症候群とか話してみましたが。
現状は悩みの種だらけです。HSPという言葉に付随する形で。
ブームにあやかろうとするのは良いですけど、詰めの甘さが目立つんですよ。
病院の精神科で、臨床心理士という方にカウンセリングしてもらうだけでも、感受性の部分って色々指摘されるんですよね。その言葉とかHSPという単語無しでも。
それだけでなく、回を重ねて言った結果、どうしようもない患者ですね...っていう形になったというか、自分で向き合うしかないという共通の認識の元、また困ったらお願いするという感じでカウンセリングを終了したんですよ。
他の記事でも何度も言ってますが、自分が感じ取ってる事ってまず全部いきなり出す事が出来ません。カウンセリングでも出してません。
まぁ、気付いてもらえたのは救いですが、軽く引かれたり、言葉に詰まると言うか時が一瞬固まるという状態になり、あ!しまった!って感じたり、そんな状態だったんですよ。
しなくて良いのかも知れませんが、迷惑にならないようにって予め抑えた状態でカウンセリングに望んでたんですね。私の方も。そして、回を重ねる間に小出しにしていった感じです。でも、出しきれてないのでしばらくモヤモヤが収まらなかったわけですが。
まぁ、その、ね。
感受性が高いにしろ、HSPにしろ、その中でもグラデーションするかのように点在すると思います。また、少数なので自分がそういう相手と出会えるか?という問題もあるのですが。
そんな状態で治療とか、HSP専門カウンセリングとか、提供するもんなの?
ちなみに、口うるさくごちゃごちゃ言うようになった発端が、Twitterの方で、
何とか出来るものでもないのに、HSPかどうか診断してくださいって来院する人が増えてて困ってる
精神科医がそうつぶやいてたからなんですよ。
その方との関係性や繋がりは全然ありません。ツイッターで見かけたのも他の医師が、これは困るみたいな感じの事を呟いてて目にしただけですし。
そこから、現状のブームに気付いたんですよね。何でこんなことなってんの?スピリチュアル系の動画で扱われてた時に比べると、明らかに受け入れてる人増えとるし(笑)という現実を目の当たりにする事で。
どうしてこんなことになったんだ?っていうね。
ほんと。
人間の生活様式から
どこかで、必ずすくなからず、集団生活ってするものです。
家族というのも、最小の単位みたいな感じの集団です。
なので、家族相手ですら色々ありますよ。それこそもう、記憶しきれない位に日常的に。
で、理解されない、分かってもらえないは当たり前。これ、普通に宿題しなさい!勉強しなさい!と何ら変わんないんですよ。
で、集団生活するからには、他者の目があるし、人それぞれの様々な個人の差があるので、兎に角色んな事があります。
そして、家族すらも集団なんて普段意識しないでしょうけど、何かしら持ち出すなら、他者という意味では家族も他者ですし、高いだ低いだにしても、敏感だ鈍感だにしても、繊細だ図太いだにしても、日常生活の中での比較でいくらでも話ができてしまうんですね。
HSPらしく見えるようなエピソードとか探す必要ないです。
日常での経験や、記憶、体験として、個人が持ちうるものからいくらでも出せるんです。感受性って個人個人がそれぞれ持ってますからね。
で、悩みについて書いてますが、これでも減ってきてるという部分もなきにしもあらずでもあります。総合的にという部分では。
良くも悪くも昭和生まれなので、精神や心理という部分に対し、根性論が勝ってた時代を過ごしてるという経験がそれを説明してくれます。嫌でも。
だって、今の方がまだ理解される機会は増えてるので、相当にマシなんですよ。
もし、当時からうつ病とかあったり、精神的な疾患への理解という環境があれば、中学時点で間違いなく病院に連れてってもらえてます。
体が重い、心も重い、出来れば動きたくない...ってその頃から毎日のようにボヤいてましたし。
腹痛なんかも、なんでそんなに学校に行くタイミングで...って言われてましたし、今で言うなら過敏性腸症候群です。学校にいく、出勤するがトリガーになり、強烈な下痢と腹痛を起こすって症状は小学校上がった頃から、憑き物のようについてまわってましたし。
もうね、幼い頃から前面に出てただけでなく、それで色んな感情や言葉をぶつけられてたので、既にキャパオーバー起こしてたんですよ。割と真面目な話として。
そのキャパオーバーの表れとして泣いてたわけなのですが。
時代だけでなく、男だからと、傷口に塩と言わんばかりに怒の感情と言葉、身振り手振り、体格差による上からの視線etc
言う事聞け!言う事聞け!と、お人形やおもちゃの様に扱われてました。
唯一の救いだったのは、そこに激しい暴力がなかったという部分で、そこだけは人としての道を踏み外す事は回避されたという部分でもあります。
それでも、ね。
あんたそれでよくグレたり、非行に走ったりしなかったよね?あんた以下の人でそうなった人もごろごろいるのに
とかも言われた事がありますが、そうならなかったのも、感受性が高い自分ってのが絡んでくるんですよ。
怒の感情が苦手なわけですから、そんな世界に踏み込んだらそれもそれで針の筵でしかなく。
また、そうする事での迷惑や、周囲に発生する感情、可能性と色々感じ取ってたから留まれてたんですよね。
と、割かし同じ話を何度もしちゃってて、もう年なんだよなぁって嫌でも痛感もしつつ。
でもねー。やっぱり苦しかったしねー。傷もそのままなので、それを何とかしようと無意識で足掻いてるのかもしれません。記事でいいから、誰かに聞いてもらえなくても外にだす、そんな感じですかね。
あとがき
とまぁ、最後の方がいつもの感じになりましたが。
どうしても溢れてしまうと言うか、今まで無理やりにでも抑え込んで来てたからこそ、精神的に病んでしまったという、把握や判断も出来てますし、切っ掛けがあって蓋が外れたもんだから、これを機にだしとかないと、ホントやばいわ...って事も感じてます。
自分自身からね。
まぁ、実際問題悩みは結構減りはしました。
感受性が高いってそういう事だったんだなぁという納得も出来ましたし、それによって過去の清算も一部出来てると言う部分もあるんですよね。
とはいえ、感じとり過ぎる身としては、入ってくる分が現状ではあまりに多すぎる。
想像と想定から、覚悟や心構えが出来てる側なので、現状は淡々とやるべき事をやるだけなのは変わらずで、無駄に感情を逆立てる必要がないって言ってしまいそうになるんですが。
中々に難しいもんです。
というかもう、理性なんて失いつつあるなじゃない?って程に、感情や感情論が溢れすぎてるんですよ。
日本史で言うなら、幕末の動乱期からWW1、WW2みたいな流れがまた来てるんじゃない?歴史は繰り返すって、誰がこんな上手い事言ったんだよ...と感じたりもします。
自由って言葉が入って来て、不平等条約だなんだとあって、世界と戦って。
ようやく落ち着いたかと思えば、自由だけでなく、権利だ、差別だ、誹謗中傷だ、貧困だと、個人が個人の言い分や感情を振り回し過ぎ問題。
そして、兵器という無駄に血が流れる物ではなく、ウィルスですか。
あー、あー...っていう感じでね。
七つの大罪って作品が流行ったのも、元となった宗教的な考えの部分にふれて、現状と比較して、考え直す必要あるんじゃねーの?って現実がそういう方向性をしめしてくれてた?とかも感じるくらいですよ。
現状ってその大罪の中でも、ルシファーが該当悪魔とされる傲慢っていう部分が溢れてしまってて、ルシファー=サタンという解釈を用いると、世界は神や仏ではなく、魔王様の手のひらの上で転がってそうだわ...とかもね、考えるっていうか、感じるって言うか、なんていうか。
欲って怖いなぁ、こわいなぁあ~。
という事で。