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書くリハビリ

どうしても、見えすぎてしまうからなのか。

それとも、他になにかあるのか?

どうにもこうにも、つらい経験だけでなく、記憶が残ってないとは言え1歳時点で、弟の妊娠とおそらくつわりという部分から、私は母を当時で出来る範囲でのサポートをしていたと知り。

一定の納得は生まれたものの、反面として不可思議さからくる違和感も少なからず生じてしまい。

時折、どうしてそうなった?と自分の事なので考えるわけです。

うん。

というのも、何がどうあれ違いはあれど、客観的な事実という見方をすると、同じ様に問題点に気づける、ということは多いんですよ。

逆に、問題点への対処も様々になるのも、個人個人の差でしょう。

ただ。

正しい、間違いが飛び交い続ける世の中には。

本気で問題視してるのか?

という、疑問は幼い頃から常々生まれてしまうんですよね。


問題点に気づけるのに何故?

環境問題も地球規模だ、といわれますが。

話題になる部分って、地球規模で見てない事って多いです。

ほんとこう、臭いものに蓋というか。

カーボン・ニュートラルも、ね。

何がどうあれ、様々な原料を輸入に頼ってる日本は特に、

海上輸送だろうが、航空輸送だろうが、化石燃料なのでめっちゃ出してるんだけど?

という部分にふれないんですよ。

航空機は海外の航空会社からのリースだったり。

船舶であれば、所有や操船は日本でやってても、船籍=船の国籍が外国籍になってるものも多く。

でも、活用、利用してるのは所持してるという扱いになる側が、日本だけなので、日本の為に動いてるから排出しちゃってるのも事実。

それなのに、触れないんですよね。

しかも、船なんて、ねぇ?

ガソリンより重質=パワーを生み出すために炭素数の多い炭化水素を、燃料にしちゃってるわけで。

ガソリンだ軽油だ言いますけど、炭化水素。

CとHが結びついてるものだし、重質になるほど、炭素数は増えるんですよ。

なので、火力発電は確かに直結すると言えますが、それ以外はどうやねん?っていう。

船とか外国籍だしー?日本のじゃないしー?日本の分には換算しませーん

とかですかね?と。

正直、カーボン・ニュートラルって理論どころか、理想がすぎてて、都合の悪い排出には目を瞑ってしまってる、と言われてもしかたないんですよね。

で、水素にしても、水素がぽんって出てくるわけでもなく、改質だったり、電気的な分離だったりで得る部分もあるんですよね。

そこには、電力ではなく、改質であれば化石燃料使って、水素を取り出す事も出来るので、そこに化石燃料回すだけじゃね?

みたいな。

うん。

結局ですよ、CO2減らそうっていうのに、スマホとか、ネットを普及させたかと思えば、

メタバースだかなんだかしらないけど。

これまた、くっそ電力使いそうな、仮想現実で云々とか。

いやー。

本気で考えてないと言うか。

儲ける事ができれば良い、が過ぎやしませんか?と思うんですよね。

そして、貧困だ何だ言う人達も、こういう世の中の仕組みの中にある臭いものに触れないんですよね。

だから、貧困が生じてしまうとも言えるようなもので。

SDGsも良いけど、相当に幅広く知ろうとしないと、目先だけの情報に騙されるだけって気づけないと。

扱えないと思いますよ?


そもそも、途上国とは?

先進国側の言い分でしょう。

過去の欧米列強だった時代の、植民そのままというか。

支援してるつもりで、現地での服飾やその他の産業をダメにしかねないほどの衣服や、靴の寄付があり、産業で自立させるどころか、二束三文で余るほど売りさばかれる事になるので、産業で自立ができない。

というのが、アフリカの方では結構多いようです。

そもそも、途上国ってなんで、途上国なのよ?

先進国と言って、エサをぶら下げつつ、這い寄る混沌してるだけじゃないですか?と。

どうしても、そう思うことがあります。

実際問題、経済支援だなんだというのも、国が軌道に乗った時に味方に付けるためというのは否めないですし。

半端に加勢したことで、独裁者が勝った負けたを繰り返してしまい、混乱が続いてるというのもアフリカの実情でもあります。

近現代史触れれば、そういうの、ゴロゴロ出てきますから。

結局こういうので、お金儲けしてる外側が有利になるだけで、混乱した現地のアフリカには遅延が発生してしまってるのも、事実でしょう。

うん。

仕方がない部分がありますし、権力にしても、世界規模だとどうしようもない相手っています。

でも、根底にはそういう、マネーゲームとパワーバランスが存在してしまってるからこそ、救ってるつもりになってるだけ、というのも間違いなくあるんですよ。

ほんとね。

3.11が発生した当時も、送られたら困る物品、食品って上がりましたが、アフリカなんかでも同じなんですよね。

しかも、内戦だ、独裁による混乱だで長く苦しめられてるという、しわ寄せが行ってるのもアフリカで。

そこを、支援するというのに。

支援になるどころか、寧ろ自立の為の産業を潰しかねない、寄付=余計なお世話が発生してるのは、やっぱりこう、ね。

国境なき医師団みたいな、本気で動いてる団体以外は、結構エゴで出来てしまってるのではないかなぁ?と思います。

うん。


どうしても見えてしまうから

違和感や、疑問を感じてしまい調べてしまうわけですが。

その際は目先の情報と、逆のことを調べます。

逆張りではないですが、話題に上がらない=実はそちらが大事なのでは?と考える切っ掛けになってるので、幼い頃から自然とそんな感じです。

また、そのせいか、周囲とは明らかに真逆を言う。

こういう事も、自然と発生することになり、これが切っ掛けで自身は苦しんできてたりします。

もう、情報という形で目にできるのに、気にしすぎだとか、見えると気にするは違うのに、なんでそう、ねぇ?

私の見えてるものを、貴方の気にする気にしないに置き換えるんです?

というのは、そういう部分から結構多いですし、反論されても、だから何?ってツッケンドンに返すと、言い返せなくなる人って多いんですよ。

ただただ、言い負かそうとしてるだけとはいえ、だから何だ?それがどうした?理由を言ってみろよ?となると、言い負かしたいだけみたいな理由しかなくなるので、困る事になり。

更に別方向に話題をすり替えるも、言語化で勝てないから、墓穴を掘る。

そういう部分の良い悪いを含めて、自分の持ち物として説明するのに、違いすぎるって受け入れない。

・・・・って、やっぱり漏れちゃうなぁ。

まぁ、自分がどうこうより、相手側の怒りとか敵意も吸収しちゃってるので、その影響による反応なわけですが・・・・。

自分、どうどう。

まぁ、ね?

情報って、それをもって何かを成せるものではないです。

情勢を報せる、そういう物でもあるし、HSPなんかにしても、なにはともあれ、繊細さんっていい方をする人がいる、というだけでもあります。

ただ、それと同時に、そういう現実はあるも深堀りすれば、更に詳しいとか、本質に近いとか、そういう物が隠れてるのもまた現実。

ほんとね?

真実って言葉に流される人見てると、真も何も、少なからず踏み込んだ本質にすら、届いてないですよ?それ。

というのが、一瞬で見えるし、気づいてるから調べてるし、だから知ってるって人は、一般人だろうがゴロゴロ居るんですよ。

知的好奇心

こういう物を持ってるからこそ、追求してたら、研究というシステムを確立したのも人間なわけで。

なので、研究って深く切り込むかのように、追いかけ続けてるという感じでもあるんですよね。

また、一つの完成形が出来ても、不便さという方向性、疑問という方向性、その他色々派生が生まれるので、研究って進むほど広くなりもするし、だからこそ、ある時突然冥王星が準惑星に降格したというような、ね。

サイズや規模が惑星レベルじゃないじゃん!と確認出来たからこその降格だし、その背景には研究という、知的好奇心があるかは不明ですが、謎があるからこそ追いかけ続けるみたいな姿勢があって、事実が浮かんでくる。

情報なんて、正しい、間違いのために使うものではなく。

知る、知って更に深める、そして落とし込んで、初めて自身が扱えるようになる。

そういうモノだと思うんですけどね。

視認による影響の強さで、刷り込みを受けすぎてると言うか。

ぶっちゃけ、テレビ離れても、ネットの表面上を鵜呑みにしてたら、テレビを鵜呑みにしてる世代と何ら変わりません。

鵜呑みにする元が、テレビか?ネットか?という違いなだけで。

それなのに、ねぇ?

親ガチャとかいう言葉を持ち上げようなんて、親と同じことしかしとらんわ!っていう。

親が親なら、子のガチャも低レアだね?とか嫌味言われるだけなんですよ。

ただただ、情報を得るものへの依存度という部分で、ネットを主にしてるだけでしかないし、言葉に対して全然気づけてないという部分では、かわらねーですよ。

非難してる、親と同じことをやってるだけだから。

だから、以前、親ガチャなんて持ち上げるのはやめたほうがいいよ?という感じで、親ガチャに言及したわけです。

それなのにねー?

親ガチャに文句いってるからと。

アホちゃう?なんて人が居て、やーれやれしちゃったのは最近のこと。


言語化についての話

こういう部分って、単純な国語や文章力となる話でもなく。

見たもの、聞いたものだけでなく、イメージからの言語化という部分では、相当に異質みたいな扱いをされます。個人が。

成人知能検査でも、言語性IQの結果以外に、その為の検査では数値化出来ない部分を持ってる、と。

1伝えれば、2どころか、5把握してるというようなイメージ。

また、伝えるにしても、伝えるのではなく、伝わるを重視した言葉の選び方をしてる、だから伝わりやすくて試験もスムーズに進行できた。

そんな感じで、検査におけるやり取りという部分では、自分ではわからない部分として、他者より明らかに試験がやりやすくて、楽ができたという程まで言われた、という感じです。

また、あくまで、そうある当人が関連付けただけなのですが。

1年半後に同じ臨床心理士の先生にお願いしたカウンセリングでは、

すごい勢いで自動思考が回ってる。

これは初出になりますが、「相当な量の可能性というものをぶら下げて扱ってる」という評価に繋がったりします。

今でこそ安定したものの、それ以前は処方されてる睡眠薬を過剰に飲んだりという事もしてました。

それほどしないと、勝手に思考が動いて言葉が紡ぎ出されて、止まらないんですよ。

でも、薬でもダメなので、結局徹夜して、脳を極限まで疲れさせてようやく眠れる。

そんな時期もありました。

それほどにねー。

思考が回らないようにリラックスさせるほうが、体への負担になる。強く意識しないと止められないので、その強い意識の結果眠れなくなる。

こういう実態を持ってたりするんですよ。

でもねー。

ありえない、って一刀両断されがちで。

そういう人って、めったに居ないとか。

なんで、他人と同じにしようとするんですか?と問おうものなら、言葉に詰まる人ばかり、です。

今でこそ、多様性だなんだ言われますけどね。

こういう部分も隠さないといけないかなぁ、って隠してたくらいです。

それ程に、幼い頃から、自分と違う、みんなと違うと叩かれるだけでなく、

今でも普通にあるあるの現実なので。

多様性なんか使えるわきゃねーだろ、こっちが意識して抑えてないと、違いすぎだ、おかしいだなんだと、騒ぐでしょ?

という思いもあります、はい。

私「違って何が悪いのか?何が問題なのか教えて欲しい、そしたら注意するから」

他「悪いわけじゃないけど、お前のは違いすぎるんだよ」

私「過ぎようが何しようが、違いは違い、そこをごちゃごちゃ言ってくる理由や目的を聞いてるんだけど?」

他「普通じゃないから、おかしいんだよ」

私「だからぁ。普通とか、違うとか、まとめようにも個人の違いってあるでしょ?そういう部分の違いが過ぎてるというのも、違いがあるから、過ぎてるという事が言えるわけで。違いがある事には変わりはないでしょ?私の違いの何が問題なのか?って聞いてるんだよ」

他「だから!普通じゃないから、おかしいって言ってる!」

こういうの、ずっと続いてます。

違うって認識してる側が、違いすぎてて、違いを説明できないんですよ。認識してるのに。

それはなぜか?というと、目に見えるとか、耳に聞こえるとかは、個人の体があってこそのものなのに、違うからだを持つ側が自分の基準で、違うといってるだけなので、何がどう違うのか?までは把握できないんですよね。

だからこそ、違うだけしか言えない、と。

それに対して、私の方は相談上手とか言われたり、面倒見が良いと幼稚園の頃から言われはするものの、そこには自分だけが気づいてるという部分も多いし、気づいただけでなく、相手に聞き、問いをしたうえで、相手に合わせて対処してるから、そう言われる。

そして、こういう部分は相手にとって都合がいい場合には、驚かれるも評価されることになる。

自分には出来ないから、自分とは違うから、と。

まぁ、ね。

こういう部分を感受性だ、HSPだに絡めて話してますが、そこから離れると、結局言葉でのコミュニケーションをもって解決してるという部分があり、そこには何でかうまいこと言葉で言い表せてる私が存在してる、と。

なにはともあれ、そうあるのは自身だし、良いも悪いもを、兎に角違うという言葉で上げ下げされるしで、何でそんなに「違う」しかいえないの?と。

言葉に出来るできないという、言語化の差があるのだなぁ。

というのは、ようやく精神だ、心理だに見向きをされるようになった、現状があるからという部分があり。

ようやくここまで来たという反面。

まだまだ、違うだけで、ごちゃごちゃ言われるんだなぁ。

という、ね。

本当に世の中、良い悪い、どちらか一方で済まされないというのは、実体験からくる話でもあるんですよ。

というお話でした。


あとがき

正直こう、Youtubeでただただ動画を見るだけでなく。

何故この人は、動画という媒体を使って発信をしてるのか?という見方をすると、気付ける部分って多いんですよね。

で、ちゃんとやろうとしてる人ほど、注釈を入れたり、自分もミスをしてる、失敗の経験があると、良い悪いではなく、全部を含めた客観的な判断。

それを、発信者が発信者自身にやってるという人のほうが、より現実に近い内容を発信してる、と。

個人としては思いますし、それほどにあると、こちらも受けた言葉から自然と、発信してる内容に沿ったイメージが湧いて、頭の中に映像ができあがるんですよね。

逆におかしいひとだと、

あちゃー・・・とか、これはあかん・・・とか。

そういう単語が精製されます(苦笑)

あくまで、個人の頭の中の話ですが、たかが言葉でもコレほどの差が出るほどに、しっかりした人の発信って影響があるんですよ。

更に底から、違和感や疑問があれば、逆張りするので、流されずに過ごすことも出来る、と。

そういう部分から、改めてこれは考えないといけないのでは?と。

実際に、アフリカで活動してる人の発信にめぐりあい、そういう部分に触れるのもいいかなぁ?という感じで、今回記事にしたわけです。

ほんとね。

見えないからこそ気づけない、という部分って多いですし、だからこそ、うっかり失敗してしまってる事もあります。

とはいえ、寄付や支援は善意でもあるので、一概に否定はできないという部分もありますし、実際にしてる人は気づいたとしても、反応は様々なので難しい問題だと思います。

こういう部分の難しさが、様々な問題を長引かせる要因の一つではないかなぁ?とも思いますよ。

何が正しい、何が間違いではなく。

とはいうものの、難しいものです。

それでは。

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