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閑話休題っぽいもの

ぷぷー、クスクス byコアラ

この、コアラ野郎めー!

なんて、毎回のように茶番を少しだけ挟んでますが、これはまぁ書く前の息抜きというか、自分に対する調整の意味合いがあったりします。

変に力まない様にする為、という感じで。

まぁ、それ以上に一旦休憩を挟んだことで、自身を振り返るといつも通りに勢いがつき過ぎって感じで苦笑しちゃってました。

感じとり過ぎる自分自身を制御できるのは自分だけ

感受性だ、HSPだを抜きにしても、自分をどうにか出来るのは自分だけだし、違う見方をすれば、自分だけしか変える事が出来ない、というのはイチイチ言われなくても、自明の理だと思うんですけどね。

そこを踏まえて、色々書いてみようかな、と思います。


良くも悪くも振り返った結果

見えてくるのは、幼い頃から相変わらず。

嫌でも周囲や自分以外の他者からされる指摘としての、

真面目過ぎ、人が良すぎ、気を遣いすぎ

という言われの根底の違いが、否応なしに現実という感情もくそも何も無い物から突きつけられるというか。

昨今のHSPブームがどうあれ、自分にとって良かったことがあるとすれば、改めて学ぶ機会が得られた事と、自身を振り返るとどうしようもない程に人間として生きる事が向かないんじゃないか?という疑問が確信に近づいたという発見があったという事ですかね。

ホントこう、言いたくないけど、HSPって言葉を知ろうとしないまま、自己利で動いてる人って多すぎよねぇ...って感じで、モヤモヤが強くなってしまってる。

自分自身が相談上手と言われ、相談相手として持て囃されたのは良いとしても、逆に相談に乗れる相手っていないですし、見つかった試しがないんですよ。

通院してる病院に、臨床心理士の先生が居るのでカウンセリングをしてもらっても、それすらも何て言うか、

現実を見つめすぎ

他者の感情を取り込むだけでなく、自分の物として処理してる傾向がある

凄い勢いで自動思考が働いてる

という感じで、感受性が高すぎて色々感じ取れるからこその当たり前を、当たり前のように指摘されるだけという結果に終わってしまい、消化不良のまま終了という感じで。

就労支援のサービスを受けてるので、担当の相談員という人が固定でついてくれてますが、その人からも

話を聞いただけで他者を相当に把握してる程に、共感性が高い

というのも指摘されたりしてます。

何でそういう指摘をされたのか?という所なのですが、他愛のない雑談レベルで他の相談者さんとの話が出た時に、その人はこうじゃないんですかね、多分こう感じてる、こう考えてるって所がありそうに思います、って私が言ったのですが、それで気付かされたので踏まえて対応したら、事が進んだという事らしく。

と、こういう部分では守秘義務以上の内容は聞いてないです。一応念のため。

まぁ、カウンセリングにしても、就労支援での担当者さんとの話にしても、え?いつもそういうの気づいちゃうんですよ、って感じだったのが、こうしてHSPについて言及するような記事を書いてると、自然と記憶の中から浮かんで来て、追加で振り返り、そして「やっぱ、自分ておかしいくらいに感じすぎてるんだなぁ」というのを自覚してしまう、と。

何はともあれ自分は自分なんだという自覚もしつつ。

やっぱり、そうある個人からすると、今のHSPブームっておかしいとか疑問を覚えるだけでは済まされないって話にもなるんですよね。


いい加減やめてくんないかな

ホントこう、自分可愛そうっていう悲劇のヒロインよろしく、辛い自分だけしか見えておらず、自分以外の誰かの辛さに気付く事なんて出来ない。

へぇー。

すごく繊細ですねぇ。さぞ、生きづらいですよねぇ。

っていう、嫌味すら出てきますよ。

今まで黙ってましたけどね。

そもそもですよ。

光や音、臭いの影響なんて、自身の体と発生要因という環境や要素がそろえば嫌でも、誰しも影響を受ける物です。

これからの時期は暑さに加え、合わない人は嫌でもエアコンの風にも悩まされる程に体が感じて反応すると思いますよ。

また、人間同士、どうしても傷つけ合う物でもあります。

個人的に、感情度外視で客観視を用いるなんてのは、そういう部分から自身の感情の発生要因になる要らぬ傷を自分から進んでつけてしまうという行動に走ってしまう。

そういう自覚があるからこその、自己防衛を行うための客観視なんですよ。

生きづらいとかそんな事言ってたら、そういう自己防衛出来ないし、自分以外の誰かに責任転嫁するだけでしかない。

甘えるな。

一体、現実や環境、状況から、何をどう感じ取ってるのか?

全くもって自分で掘り下げられてないどころか、それすらしてないですよね?っていう。

個人差があるという事を念頭においても、高いという括りで括ったところで、そこから更に差がでるものでね。

そういう意味でも客観的に判断するために、自身を基準にしない事って大事な事なんですよ。

そういうのを否応なしに、幼稚園レベルでも気づいて自己防衛して生きて来てる、そんなタイプの人間がここにおるぞ?って言いたくもなりますよ。

それでも、生きづらいとか甘えっていうくらいに、自分で自分の責任くらいは持つし、自分の尻は拭いますよ。

何が人の優しさですか。

自分しか見えてないだけでなく、自分以外の他者に攻撃もしてるし、傷もつけてるし、不快にもさせてるし。

感受性が普通レベルでしかないって、申しわけないけど言わせてもらいますよ。


HSPカウンセラーだなんだ

申し訳ないですが、HSPブームに乗ってる人ってやっぱり見かけます。

ちゃんと発信してるカウンセラーさんは、どんな内容にしても、

あくあまで自身が向き合ってきた人がそうあるという話で、動画を見た上で、記事を読んだだけで、特徴が当てはまるから自分もそうであるみたいな思い込みをしない

と言う様な、注意もしてるんですよ。

コメントでもそういう言動がみられれば、カウンセラーへの相談や病院での診断を実際にやるという事を勧めてる人も居ます。

あくまで、知ってもらうのが主目的。

それ以上は、自身が向き合ってない人への過度な干渉になるだけでなく、誤解や誤認を生む事により、視聴した人、読んだ人に不利益を与えかねない。

そういう部分へ、カウンセラーとしての職業倫理を全うしてるというか、配慮をしてるんだと思います。

ですが、HSPについては、何て言うか......

ブームに乗っかってる人多いですよね?

関わってはいけない人、HSPな人がやらない方が良い事、HSPの人がやってはいけない事、他色々と。

酷い有様なのでは?

カウンセラーって、あくまで面談によって受容や傾聴を行う事で、相談相手自身に気付かせて前進させるのが、お仕事でしょうに。

民間レベルではあるけど、私も資格は持ってるんですよ。開業してないってだけで。

そもそも開業しようにも、感じとり過ぎてしまう事が裏目に出る事が過分に予想されてしまうので出来ないです。

そうしないと、自滅すらしかねないっていうか、メンタル病んでるのが現状としてあるんですけどね。

それ以上に、ですよ?

人を助けるというのは、助ける相手に利をもたらすような事でもあると思います。それなのに、ブームに乗っかった内容をカウンセラーって肩書だけで適当に流してるなんて、自己利以外の何物でもないでしょうよ。

また、HSPか非HSPか?という、1か0ではなく、感受性ってグラデーションみたいなもので、高かろうが低かろうが、更に高い低いという感じで、突き詰めていくとカウンセラー自身より高いって人も間違いなくいるはずなんですね。

しかも、感覚的に感じとる部分が鋭すぎると、本当に周囲から悟られない程に静かに気づいて把握して、上回るかのように先手を打ったり対処をしたりして、良いも悪いもその場を切り抜けるんですよ。

某格闘ゲームの、強い奴に会いに行くではないですが、自身より格上みたいな相手が存在する可能性って考えなければいけない事だと思います。

こんな事を資格を持ってるだけで開業してない個人に言わせるって、一体何なんですか?

無責任にも程があるでしょうよ。

人に寄り添ってるようで、HSPという言葉を利用してるだけ、なんてのは流石になんていうかなぁ。

カウンセラー以前に、人としての程度が知れてしまうって話にならないですかね。厳しい言い方かもしんないけど。


まとめ&あとがき

はぁー。

何だかんだで、こうなってしまうのかー。

と思いつつ。

少なからず救われてそうな人も居ないわけでもない、という些細な部分を考慮してしまう事で、自分を必要以上に抑えすぎてしまってるという自覚もあるんですよね。

主治医に聞かれたら怒られそう(笑)

でも、自然とそちらに向かってしまうっていうか。

で、話は変わりますが。

妙な話なのですが、幼少から=母から聞いた1歳時点での話も考慮すれば、私が生きてきた人生とその経過に対し、時代って寧ろ逆行してるという事を言われた事があります。

如何せん、生まれたのは昭和。

なので、当時は理解とか認知よりも、体裁や建前から受け入れられないって考え方が主張だったのが、年を重ねるごとに近い部分から受け入れられるようになってきてるというのを、就労支援で担当してくれてる相談員さんから指摘されたんですよね。

ただ、指摘された当時はそうとも言えるし、でもただの偶然でしかないとも言える。果たしてどういう事なのかは保留しようって感じだったのですが。

オタク文化が受け入れられるようになり、実際は隠して気力で動いてましたがほぼほぼうつ病みたいな状態&それが原因なのか過敏性腸症候群みたいな症状も出てたのですが、それすらも今更という感じで理解されるようになり。

物心ついた頃から、感覚的に体とは違う方で自身の性別を認識してた状態だったという部分も、話が出来るようになり。

そして、とうとう生まれつきのおかしさ=言葉が理解出来ないはずなのに、感じとることで理解してるかの動きを見せてた=感受性の話。

1歳時点で、大して理解できるはずがないのに、弟を妊娠した事を自然と察して気づいてるかのように、配慮配慮の毎日の1歳児。しかも、構ってなんていわないどころか、自分で遊んでるから、母には休むように言ってたそうです。

1歳時点での話は、そんな母も癌になり回復するどころか悪化する生活を送る中で、私だけが異質な行動を取ってた事で思い出した、気付いたという感じだったそうです。

なので、親として守ってたはずなのに、振り返ったら親である母自身の方が私に守られてたみたいな、感想とそこからの謝罪、後悔という話を最後にされました。

というのは、過去記事でも書きましたけど。

あくまで一般的に考えると1歳時点での話はにわかに信じられなかったです。その時点で、現在の病院に通院してましたし、総合病院なので幼いお子さんも目にしてましたから、そんな風になる?ありえないよね?って寧ろ自分から否定すらしてて。

そうこうしてたら、HSPの謎ブーム到来っていう感じで。

お陰で、感覚処理感受性や環境感受性という言葉や概念と出会って、普通に考えたらおかしいからという自己否定に対して、改めて向き合い直すという事ができました。

結果として、うすうす分かってた、でも否定して普通で居たかったという自身の悪さを改める事もできたのは幸いではあります。そうじゃなきゃ、メンタルの病んでる部分の根底には自己否定もあったので、今以上に悪い状態のままだったでしょうし。

そういう意味では、HSPについて発信してる研究者のIさんに出会えたのは凄く感謝してるんですよね。

そして、個人ではこういう事を書いてて申し訳ないとか思ったりも。

何はともあれ、良いも悪いもがやっぱり付きまとうんだよなぁ、というのも実感しつつ。

長くなりましたが、こんな感じで締めたいと思います。



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