大事なことなので言っておく
言葉を捻じ曲げるな。
頭痛い…
性転換っていうと、完全に性別が入れ替わるという生物学的な要素を持った言葉になります。
そして、脊椎動物としてそれが可能なのは魚類しかみられていない。
また、手術としては様々な呼び名があっても、精神医学学会っていうね。学会もあるんですよ。
そこでは、正式には性別適合手術と、そうしてるそうです。
また、戸籍変更の申立をするにしても、生殖腺がないこと、生殖腺の機能を永久に欠くこと、という条件が入ってたりします。
はぁ。
ほんと、頭がいたいですよ。
面倒くさいなぁ、人間って。
自分の理想が、希望が、それさえ叶いさえすれば…
それで良い。
そこで止まってるんじゃないですかね。
それ以上の部分で悩んでる当事者もいて、そこがネックになってる人もいるわけで。
相当に少数かもしれません。
でも、それ故に「そこまで行くのは、ガチですよね」とか、は?私にとってはそこまで踏み込んでこその性別ですが?という事を、同じくする人からいわれたりもして、困惑するやら、明らかに男性性という物を感じてしまったがゆえに反発や怒りを覚えたくらい。
それほどに個人としては深刻だったりします。
物心ついて記憶が残り始めたころ。
幼いながらに、社宅住まいであったため、生まれたばかりの赤ちゃんの面倒を見る母親と、経験があるから盛り上がる周囲の母親。
その状態を見て、幸せってこれだと、強烈に感じたため、鮮烈に記憶に残ってます。
それ故に、自分が大人になったらそうなるものだ。
幼いがゆえ、性別の概念がまだ理解できてなかったが故。
それ故にそれほどにストレートに、自分も将来こうあるものだと思ったわけです。
それ故に、幼稚園に通う前、前時代的かつ社宅という環境があるだけでなく、幼いがゆえにお互い必要以上に気にしない状態だったからこそ、色んな状況でそういう部位を目にしたはずなのに、ある時突然ショックをうけるかのように、
あれ?なんで自分だけ違うん?
なんで同じはずの子達と、自分だけが?
という、認識をしてしまったんですね。私の場合。
それをその日の夜の入浴時に母親に問うと、
それは貴方が女の子ではなく、男の子だから、と教えられたわけです。
が。
は?お母さん何言ってるの?
変な言い方ですが、完全に私の認識にバグが発生してたようなもので。
そこで初めて、性別という概念を認識したような状態になりました。
うちは、父、母(既に他界)、私、弟と、一緒に遊んでる子、友達として認識してた子がどうであれ、日常的に父や弟という生物学的な性別として同じ存在が身近に常に居たのに、同じだと認識してなかった、それ以降もできなかったんですよ。
この、入浴の際に私が相当にごねたせいか、記憶に残り始めた最初の母の怒りの記憶、母親からの雷というのが、
自分もお母さんになりたい。男の子だなんて嫌だ!
という、話を理解してるのに、受け入れられないからこその、強烈な反発を見せた私に対してのものになるという。
そうあったからなのか。父親が、ひどかったというか。
流石にココからは少し父親の話
流石に母が見かねて「そうは言っても、幼い子供であっても個人の人格があるのだから…」と口を挟もうものなら、
「家に居て子供の教育をするのが女の仕事だろうが!こいつが男らしくないのはお前のせいだ!」
そのイラつきを母親に向けるかのように夫婦喧嘩に発展することもありました。
昭和だから、ではなく、流石にもう今さら病院に行ったところで、もう年だからと言われそうですが、AD/HDの疑いというのは個人的に感じてます。
取扱説明書や、その他文字だけの羅列になると、触れようとしない。それ故に物や道具の扱い方に対して覚えが悪いだけでなく、下手すれば自分に必要だからと説明書を読んでるのに、
「わからん!こんな書き方で理解できるか!」
まさに、言語化が苦手というだけでなく、兎に角衝動的に怒りだすという状態を何度もみせてたりします。
自分では武勇伝のように語ってたのに。
父方の実家に滞在中、近所に父の叔父叔母が居るので集まるわけですが、ワルガキだった父の行為を話そう物なら、衝動的に激高するんですよ。
突然机を叩いて怒りだし、自分の親だろうが、叔父叔母だろうが怒鳴りだす。
普段は私や弟に、親だから自分を敬え、年上の言うことは正しいから聞け、他色々。年功序列を前面に押し出してるのに、それが自分に向けば途端に怒り出す。
自己愛性とも言われそうですが、コレ以外にもあるんですよ。
日常的にテレビを眺めてるのですが、聞いてない、見てない、注意力散漫という感じで、
「今映ってるのは、ここっぽいんやけどなぁ」
地元の放送局の番組で中継とかやってると、突然そう言い出すのですが、
「画面上にも書いてるし、そこだと言ってるけど聞いてなかったの?」
こういうツッコミって子供の頃から、今に至るまで何度となくやってたりします。
また、地元局の放送だけでなく、キー局の放送でも同じく。
都合の良い部分しか見てない、聞いてない、だから映ってる画面に書いてる、ちゃんと言葉で説明もなされてるのに、それに気づけてない様ってそうとうに見せるんですよね。
そして、普段は強気なのに、こういう場合は口ごもってごにょごにょと。
あんた何見てるの?ちゃんと聞いてるの?
それっぽいどころか、見てわかんないの?
そんな言い方すれば激高間違いなし。それ程に強気な姿を見せてるのに、目の前にあるテレビがそれを証明してしまうので、言い返せなくなるんですね。
あくまで、個人が色々触れて学んで得た知識程度です。とはいえ、コレは流石に疑いあるのでは?AD/HDの。
しかも、結構深刻だったりするほどに。
というのを幼い頃から、何十年も見せられてる。
小学1年でビデオを購入し、扱い方を取扱説明書だけで私が学んで説明したという話の部分には、こういう背景や環境もあったりします。
そういうのを母がやって説明すると、怒るんですよ。うちの父親って。
女性に優位に出られるのを嫌う、のは昭和っぽいですが、それに対して衝動的に怒りを爆発させますし、一度言ったくらいでは理解できなかったりします。
なので、そういう部分を自然と私がカバーしてた。まさに1歳の時点で、弟の妊娠に自然に気づいて、サポートしてた私がそのまんまというか。
小学校1年生、まだまだ年齢1桁。
それでも、そういうのを理解してて、可能性として想定してしまうから、
私がやる
と、ビデオの取扱説明書はルビ=読みがなが振ってたので、読んで私がこなすだけでなく、母には口で説明して理解させることすらやってのけたわけです。
ハイ。
個人として、避けてた父親との関係性の話。
嫌でも、そうある父親にして、この子ありというほどに関連性ってあるんですよね。
また、それ以前の幼稚園に通い始めた頃。
まだ昭和だったので職場主催のレクリエーション、家族参加型のイベントとかも結構ありました。その際に言われてたのが、
「これがお前の息子か?まるで鳶が鷹を生んだみたいだな。」
衝動的で粗暴とも言えなくない父だったというのは、職場での武勇伝からも分かるほど。それほど「あー、いつも通りカッとなって衝動的に職場で衝突してたんだろうなぁ」と後々察せるようになるのですが。
幼い頃ですら、明らかに真逆。ただただ、連れ歩いてるだけで、雰囲気、仕草、態度、言動が明らかに逆だったんですよ。
そして、自慢の息子、自慢の長男と。
普段は男らしくない!女々しい!いいかげんにしろ!
ちょっとした事でカッカしてたのに、そういう場になると弟は似てるので連れ歩かず、私だけを連れ歩いてたわけですが、結果として間逆すぎると。
父の職場の人からも散々いわれてしまう。
ほんとこう、自分の事だけでなく、周囲に対しての認識の仕方もその時、その場での衝動性しかなく、それ故に相手が掴めないほどに注意力が働かない。
それだけでなく、パソコンにしても、携帯にしても取扱説明書を読んでもどうしてもダメなのか、こんなわかりにくい書き方で理解できるか!と怒りだしもする。
でも、父以外が読むと、読み取って説明して、教えることが出来てしまう。
最近になって、ようやくこう、AD/HDなのでは?と思え始めたのでスルー出来るようになった、敢えて近寄らずにするようになったのですが、母との最期の話の中には父親の事を頼む、あんたしか面倒みきれないだろうから、と。
えぇー?あの人の面倒みきれねーっすよ!
流石に親と子、私と父だったからこそ。それ故に間に発生してたことって、多々ありますし、一番ダメージを与えてくれて、傷や爪痕を内側に残してくれた人なのですが。
母がそういったからだけでなく。普段からの接し方がありはしても。
なんでか、見捨てて自分は自分が出来ないんですよね。
父方の叔父、父のお兄さんや弟さんは、やはりというか。幼い頃から見てた分、いなし方がうまいんですよ。
弟も似た部分をもってるのですが、幼い頃からみてるし、成長して自我が芽生えるまでは自然と私になついて付いてくるタイプだったので、見捨てられない。
母親っぽさがあるせいか、同じ様に「うるせぇ。黙れ」
ちょっとこう、性別違和の部分と絡むというか、男性らしさが強くて怖くて接するのが苦手。でも、弟については、怒らせはすれども、うまく御せなくもない。
私と弟の関係性との類似点が、父と叔父という同じく男兄弟という関係性からも見て取れるくらいだったりします。
まぁ、そのせいか。
心配してるようで、祖父母が亡くなるまで余程用事がなければ、気分が向かなければ、一切足を運ばなかった実家に足繁くいまは通ってる。
それも、私が相手にするのが、精神的な疾患も絡んで無理になったからか。
そういう行動を気づかずに見せてしまうことで、私に弱点を握られる。
その事も説明したのに、状況把握ができてない。
って、性別のはなししてたはずなのに、そうとうに禍根があったからか、今回ばかりは父の話もしてみようかな、と出してみるのでした。
そして、私に戻る。
はたして、性自認が一致しないとはどういうことなのか?
過去に何度か記事化しましたが、突っ込んで、個人の視点から話してみようかな、とも思います。
正直にいうと、男性、男子としては相当に無理がありました。とはいえ、話を聞いてもらえる環境がなかったので、これまた無理することになったのですが。
まずは制服。
流石に高校になった頃は…と行きたいところですが、精神的な成熟度もあって反発は小さめ。でも、深いところではどうしても、
制服ってやっぱり受け付けない…
幼稚園では泣きじゃくって嫌だとゴネる。
中学時点では、馬子にも衣装と自分で言うくらいに、実は着たくない、嫌でたまらないけど、言えないから我慢するしか無い。
逆に社会人になってからは、女性の方から持ちかけられるも、そこにはちょとしたからかい、面白半分さが感じ取れてしまったので、これまた「事情をしらないくせに…」と、内心は怒りを感じてました。
それほどに、ムリ、です。男子とか、男性とか。そういう部分が。
とはいえ、性別のこと以上に、日常的に見せる感受性が絡んだ違いのせいで、良い方にも悪い方にも出る杭は打たれる、面倒だけど都合よく利用されるという部分の負荷が大きすぎたので、出せずじまいでじっと我慢でしたけどね。
また、父親はしかたないにしても、弟にすら、
男性的であるがゆえの恐怖感
それを感じてしまいます。なので、もう40年は付き合いがある、幼い頃はそういう部分が無かったので面倒を見れてた。そういう弟ですら、今では扱い方に困ることがあります。
また、弟が私に見せる反応は、母親にも同じくみせてました。
たぶん記憶してないと思いますが、うっすら感じ取ってる様な言動って弟もしてたりするんですよ。
「ほんと、お前は男らしくない。兄のくせに」とか。そうは言いながらも、
「兄ちゃんじゃなくて、お姉ちゃんだったらなぁ」と、目の前で何度かボヤいたりとか。
ボヤキに関しては、感覚的に私のほうがこれはバレかけてる!と感じてしまったので、
「こっちだって、弟じゃなくて妹だったらな!」と少し焦りつつ、しどろもどろさも出しながら答えてましたが、ここはおそらく気づかれてないでしょう。
「まぁ、妹だったら、お前は良く面倒みてくれてそうだからなー」
とか、返されてましたけど。
うん。兄弟での関係性ややり取りからでも、やっぱりこう、男性で居られないってのは感じる事って多かったです。
そして…
水泳の時間というのが、相当に生き地獄。小学4年あたりから、中学生の間は特に強く、
上半身さらして、男子としてまとめられる
という状態が、苦でしかない。でも、只でさえ中学に上がってからは体育教師に、性的な部分を触られながら「お前は男のくせに。ついてるんだろ?」とか冗談交じりかつ笑いながらからかわれてたくらい。
それに対して、嫌そうにしてても、周りの教師も笑ってるという状況なので、言い出せようはずがない。
そんな状態だったので、水泳の時間って大嫌いでした。
修学旅行での集団入浴ももう、さっと済ませて逃げるように出ていくわけですよ。怖すぎて安心できなくなるくらいだったので。
それほどに、ムリ、です。
でも、そこはこう、ね。
幼い頃に、自分ではない自分になる、周囲と同じ、無駄に否定されない、そしえて求められる以上は求められる自分になるというね。
そういうのが自己暗示と言わんばかりに、思い出されてしまうので、これまた我慢我慢。さっと済ませて逃げるようにその場から離れる、その間すらも兎に角我慢。
それほどにダメなんですよ。我慢して入浴してる分、相当に息苦しさとか、圧迫感、生物的な恐怖感を感じてましたし、今でもどうしても、の付き合いで温泉とか入ろうものなら。
こわいいいいいい!!!ぎゃひいいいいいいいいい!!!
内心ではそう叫び兼ねないほどに我慢してたりするのですが、カミングアウトしてからは一切断ってます。
と は い え。
長男で跡取りという呪いの様な縛りから、女性とお付き合いしたことがあるので、一緒に入浴とかしてましたが。
ふつーに入れるんですよ。体が違うことで、泣きたいほどに悔しい、だからこそ恥ずかしい。それ故に、相手が許してくれても直視出来ないほど。
でも、安心して普通に入浴出来てました。こういうのってね。
話してしまうと、女性からは逆に敵視になったりすることがあるので、カミングアウトして事情を知ってる人でも話せないですけどね。対面だと。
そしてこう、成長に合わせての体の変化を迎えてからが結構たいへんだったりします。
悔しいやら、情けないやら、申し訳ないやら
二次性徴期や思春期と呼ばれる頃は、兎に角複雑でした。
だってこう、ね?
あー、やっぱりこう、無理なんだよなぁ。わかってるんだけど…
常にこう、ね。我慢したり、バレないように過ごしたりする中では、ホントこう悔しいって思いも強く。
それだけでなく、体の仕組みとしての辛さ。
そういう部分では、どうしても、申し訳無さというのを感じてしまいます。
今は引きこもってるので、周囲に性別問わず人がいる状態を作らないようにしてますが、普通に生活してた頃は、色々難しさを感じてました。
意見を求められたから、とはいえ、ちゃんと相手の状況をつぶさに観察しておかないと、やはりこう、ね。
触れてはいけないことに触れてしまうので、答えられないという事はおおかったです。
まぁ、答えられないわけではなく、必要以上に触れるのは難しいからと断りつつ、体が男性だから……という感じで、どうしても返答を求められた時は違った恐怖感や緊迫感を感じつつ、答えてました、ね。
そうなってしまったのも、色々経験してるからだったりします。
小学3年あたりから、自分がまだ変化し始めてないとはいえ、極端に嫌悪感まるだしで、女子に触れられる機会というのがあり。
「なんで、男子らしくないタイプとはいえ、そいつとおしゃべりしてるの!」
一緒に居て話してるだけ、それすらも嫌って、同性である女子を離そうとするタイプの子がいて。
友達だから、仲がいいからと言ったところで、
男子と女子なのに!と喚いたり。
男子に気に入られよう、好かれようとしてるんでしょ!と、なんでそうなる?とお互い困惑して顔を見合わせたり。
でもこう、下手に刺激すると騒ぎを起こす様なタイプの女子がいたので、お互い距離を取らざるを得ないということが発生するようになってました。
その頃って、友達が少なすぎましたからね、同性の。
なのでこう、何も出来ずにただただ休み時間は座ってる、という時間が増える事も経験したりしてたので、ほんとこう、私のほうが無駄に忌避しすぎる、気にしすぎるという部分があり、成長にあわせてからは、そんなに気にしなくても、と言われたりもしてたほど。
また、小中でそうあったので、兎に角こう普通でいようという思いが再度つよくなるだけでなく、
何であんたは成長期迎えないのかねぇ。
母親からトドメの一撃といわんばかりに、14歳になっても声すら変わらない様を兎に角突かれるばかりの日常を迎えて、それが嫌になって初めて変化するという感じでした。
そ れ が。
高校生になってからは、特に部活動の中で、距離が親しくなった同級生や後輩から、
なんかこう、男子なんだけど、男子っぽさがないっていうか。
女子?って感じするよね。
あかーん!なんで、そんな事言われるのか!もっと、普通にならないと!と。
まぁ、そうはいっても、なかなかこうね。幼い頃から、らしくってどうすれば…だったので、見た目を繕うしかなかったわけですが、それすら適わないと言わんばかりに、色々言われるようになり。
厳しい鬼のような人かと思えば、そうじゃなった
なんて感想を言う後輩はもう、距離感めっちゃ詰めてきたので、兎に角こうバレないように!って寧ろ逆効果になって過ごしてました、ね。
流石にこう、ね?
なんで男子なんですか?遠征とか行けば一緒にお風呂に…
という事すら言われてしまってたので、相当に焦る事ってありました。
体が変化したことで、自分の中で逆転現象が起きてたと言うか。長男で跡取りだからという幼い頃からの呪縛以上に、
バレたらあかん~、バレたらあかん~、人生バレずに。ソレやめて~と、某演歌歌手が出るのど飴のCMの歌を替え歌にするほど…
兎に角ばれないようにする必死さというのが、生じるようになりました。
うん。
ほんとこう、ね。
何ていうのかな。男子らしくないよね?とか言われるくらいだったからか、無防備に接してくる女子が多かったんですよ。
中学までは、逆だったのに…と言わんばかりに。
また、卒業してからは、あの子先輩が好きだったんだけど…という話もあったので、そういう恋愛事情と言う部分からのアピールだったかもしれませんが。
バレたくない必死さから、無防備が過ぎる!接近しすぎ!って私のほうが強く避けてるくらいで、申し訳ないやら、何がなんやらみたいに、相当混乱とか困惑する時期を過ごすことにもなったくらいです。
兎に角必死に過ごす
ほんとこう、高校以降はそれまでの色々が悪さした部分が自分にあり。
逆に成長したからこその、他者側の変化もあり。
すっごく必死でした。
顔近すぎ!くっつきすぎ!押し当てすぎ!見えてるから!ほか色々。
幼い頃からの針の寧ろが逆転して訪れてるって感じで。
男性らしくないというのは、社会人になってからも言われてたので、堅物っぽさを出さないことには自分が苦しむ状態もあり。
かといって、私の方も長男で跡取りという呪縛だけでなく、小学生時代に、
「異性に対して友達感覚はありえない」
そういうイジメというか。兎に角、私にとっては”コレは普通じゃない、改めないといけない”が強く働いて、とりあえずコレが普通だ!と自己暗示をかけたからか恋愛感情は体に合わせた物を持つものの…。
自宅の自室というプライベート空間にもどると、緊張の糸が切れるからなのか、自分の体に対しての恨み言みたいなのは、内心で相当に呟いてました。
実際問題として、爆発してしまい、もう無理だからとカミングアウトして生活を今は変えてますが。
それを精神的な爆発と、パニック状態を伴うほどの悪化を見せるまでは、感受性の部分からの感じ取りが総じて悪い方に働いて、強く自信を抑圧するというね。
実は、性別の部分でも、感受性の話は根深く絡んでたりします。
真面目すぎ、気を使いすぎ、という話。
コレが根深いというのも、そういう性別としての自身の悩みだけでなく、幼い頃からの成長過程や、置かれた環境、その環境の変化が強く影響してるからこそ、という部分があったりします。
結局、行き着く先が、
私に対してどうあるのか?を聞いてるのに。
自分は違う、自分はそう思わない、という主観的な意見や感情から。
途端に怒りに変えて否定しにかかる。
話し合いなんて無理じゃないですか…。もう嫌ですよ、こんな状態というのを何度も他者からぶつけられる事になったんですよね。
自分の好きに言えばいいというのに、言おう物なら怒りというネガティブな感情をぶつける。
そうやって怒りをぶつけてくるのに、他者に対して配慮が出来ないことから、ちょっとした不満すらも怒りに変える。
どうにもこう、私は人間なのかな?と悩むほどに合わないし、だからこそ必死でもあった。
そういう時期が長かったりします。
とはいえ、普段は出さない。というか、今までは出さなくても問題はないレベル、スルーできる程度のものだったのが。
ネットをツールとして、道具として扱えない。
深いレベルでは、匿名ではなく、何かがあれば情報開示でとんでもない文書が自身の元に届くほどにバレる。
そうあるのに、ほんとこう、ね?
自分さえ良ければいい。
そういうのが溢れすぎてるんですよね。今って。
それだけでなく、強気で怒りながら言葉や概念を教える割に、自身が落とし込んでないので扱えてない。
そういうのを、幼い頃から言わずに黙って、感情の変化を表に出さないがゆえに気づかれない。
それでも、ちゃっかり観測してる、見てる、感じ取ってるというタイプでもあるので。
とにかく、しんどいし、面倒くさい…。
まぁ、そういう部分でも、もう無理だというのが根底にあるからこそ、こういうあれやこれや、口うるさい部分が出てしまうっていうんですかね。
やっぱり、私も人間なのである、という認識をしながら、記事化するという。
最期にキメますか、。
もう嫌だあああああ!気づきたくも感じ取りたくもねええええええ!
敢えて、見出しにして、叫んでみました。
あまりこう、言い過ぎるとぶっ飛んだ方向=非現実的、非科学的、そう言われて否定される。
小さいとは言え、小さくとも存在するから排除しきれない可能性。
そういう部分があるので、敢えて触れてない事が多いですが。
嫌でも現実が追いかけてきて、突きつけてくるんですよ…という不思議な感覚を感じる、覚える機会というのも、あったりします。
なんでかこう、わかってるはずなのに。
動いてしまうから目にしてしまう、だから眠る事で回避しようとしてるのに。
不思議と、それが出来ないという、どうにも摩訶不思議な状態が現在だったりします。
そうあるのでね。
胃が痛かったり、過敏性腸症候群としての腹痛や下痢だったりが、発生頻度が増えてるし、もう痛みに耐えることすら辛い…。
痛みに耐えながら泣きそうになるくらいなのですが、不思議と行動が制御できない。
何かに突き動かされるようになってしまう、そう感じる機会が増えてて。
生きづらい?
同じレベルでアレコレ感じすぎてて、自分でわかってても制御できない苦しみを抱えつつも生きる。
想像できないかもしれませんが、同じ人生送ったら、潰れますよ?その程度だと。
それほどに、感じ取りたくないって言い切れるくらいなわけですが…。
ほんとこう、配慮とか気遣いにつながる部分にすら関わる、感受性や感じ取りというのが出来ない人多すぎですよねぇ?
感じ取る事が多い=感情が揺らされる機会も多い。
それ故に反省してしまう機会すらも増える。
もう、面倒このうえないんですよ。
って、いい加減しめましょうかね。
可能になったとは言え
自分と違う誰かがいるんです。
ネットに書く、出すということは、そういう、
不特定多数に向けての発信
なので、自分が発信したい人向けなんて出来ないんですよ。だからマナーとかリテラシーとか、そういう部分が問題になることがある。
論破の代名詞に扱われるような人でも、まったく歯がたたないほどに逆に論破してくる相手も居て、そういう人には負けるのがわかってるからか、挑まない、相手にしない。
相手にしたとしても、後で仕返してるのでは?という行動に出る人すらいます。
そういうのを見てる、知ってる人もいる。
そういうのが世の中ってもんですし、だからこそ、迂闊に言ってると、一般人だから跳ね返らないだけではあるけど、ある時突然ちょっとした発言がとりあげられ、炎上すらする。
バカッターと言われるほどに、ネットに顔をさらして、バイトでの軽い気持ちを流したがゆえに、企業から訴えられて…みたいな人も居ますからね。
一応、念の為の注意なんてのは、しておくに越したことはない。
そうとも言えると思います。
あとがき
だからさぁ。
特に男性→女性の場合は、計り知れない体の苦しみ、辛さ、それが起因する精神的な浮き沈みに関わる部分があって。
そこに対して、変わってあげたいと、片頭痛にしろ過敏性腸症候群にしろ、ヘルニアにしろ、胃炎どころか胃潰瘍にしろ。
痛みに耐えることは慣れてるとも言える経験があっても、迂闊に変わってあげたいなんて言う事で、女性を傷つけることすらありえる。
でも、そういう部分を持たない。
真面目に、申し訳なさすぎて。体が違うが故に仕方がないとはいえ、言葉で伝えられれば、そのレベルで理解できなくもないけど、本質ができない申し訳無さというのを、感じて無駄にヘコ。
そういうのをキモイって言われたことすらある。
それほどに、個人としては性別の部分には難しさを感じてるのに。
自分さえ良ければいい、自分の望みさえ叶えばいい。
そういう人増えすぎたよなぁ、って思います。
やれやれです。
ほんとね、辛いと思いますよ。その辛さも、ある時、ある年齢、ある時期を境に、今度は別なものに変化するし、昔の老年の女性、田舎や僻地だとまだ見られもする姿というのは、女性だからこそという部分が関わってますし、そういう部分が医学的にも言及されてたりもする。
ホルモン治療って、性別違和とか性同一性障害の人の為のものだけじゃないんですよ。
また、女性だけでなく、ホルモンバランスが関わる症状ってありますからね。
少数であまり知られてないとは言え。
迂闊にネットで喜びを表現することで、誰かの深い部分を傷つけかねないんですよね。
だからこそ、知る、追求する。
そういう物が必要でないか?と、ひっそり感受性という部分で声をあげてるわけですが、やっぱり難しい。
ほんとこう、差別だなんだ、自由だ何だも、上辺だけというか自分が良ければ、自分が所属してる集団の理想が叶えば、それでいい。
おおよそ、人の歴史で繰り返される、取った取られたみたいな部分が未だにみうけられるのに、権利だ差別だという言葉が行き交うのはなんていうか、なぁ。
人間、便利や道具に振り回されて、堕落してませんかね?
まぁ、私も例外なくそうある様を見せてる状態でもある、そう認識もしてるので、強く言えないですが、やれやれ…って感じる機会は増えてます。
うん。
真面目すぎって言われますけどね。
性別の部分で理解されずに傷つく側の人が、自分の望みが叶えば、違う人に対しての配慮が欠けてしまうというのは、
自分が傷ついたときだけ、訴えてれば良いんですか?
っていうね。
傷つくポイントって人それぞれ違うんですから、傷つくという経験があるなら、慮れると思いますし、おもんばかる=慮という字が入るのが、配慮なんですよね。
そして、その配慮が自然体でやってしまい自覚できないのに、周囲から配慮しすぎと言われてしまう。
当たり前のレベルが違いすぎてるからこそ、見えてる。
見えてるからこそ、自分を恥じて戒める。
だからこそ、真面目すぎだと言われる。
突っ込めば突っ込むほど、上がいるので、私も、必要以上に言えないですが。
多数派だから勝者と言える時代は、終焉に向かってるのではないかなぁ?とは思います。ハイ。
ということで。
口うるさいよねぇ。と自分でツッコミつつ〆ますかねー。