言い訳の為の言葉ではない
何にしてもまぁ。
○○だからというのは、自分自身を見失ってるというか。
ただただ、言葉に全部乗せて。
悪いのは自分じゃない。
○○だからなんだ。
はぁー。
情報化社会ってそんなんじゃ生きてけない、ストレス必至な社会でもあるんだけど、ね。
今はもう玉石混交
マスゴミ、という表現も使われるようになって、そこそこ長いわけですが。
ぶっちゃけ、今ほど情報が飛び交う前に、
「情報の受け手側も、情報の受け取り方をどうするか?を考えてねーから」
その一環がテレビ離れだったのですが、今やカジュアルテレビ離れとでも言うんですかね。
ネットを使ってさえいれば成立する、みたいな話だけでもなってると思いますが、それは違ってて。
情報の正確さを求めるがゆえに、テレビだけに頼らなくなった。
そういうテレビ離れと、
ネットの方が欲しい情報=都合が良い情報が拾えるから。
というテレビ離れだと、明確に差が出てきます。
だからこう、スマホの普及=ネット普及の拡大にはなったけど、情報を受け取る、情報を扱うってどういう事?を考えられない人が大挙してネットにふれるようになり。
結果、玉石混交どころか。
アヤシイ情報も増えてしまってる。
心地いい情報≠正しい情報ではないというのに。
都合の悪い、自分が辛くなる部分は、目に入れないという心理的な弱さがおもむろに出てる。そう言えなくもないのが今じゃないですかね?
たかが情報、されど情報。
触れ方も発し方も、自由だなんだ言ったところで。
考えない人が増えるようなら、過ちを繰り返すだけですよ?
自由の対極には
別に自由という言葉に、対義語があるわけではないです。
ただ、自由という言葉を掲げて、やり過ぎになるようなら、
責任や尻拭い、を問われもする。
なので、「自由の反対には責任がある」みたいに言われもするんですよ。
自由とさえ言えば、何やっても許される、ということにはならない。
まぁ、法を犯すわけでもないので、責任を問われるにしても、問う側の価値観にもよるわけですが・・・。
正直もう、HSPとかそういう言葉も出ましたし、ねぇ?
そういうの抜きに、客観的かつ、一瞬で感覚的に。
掴んでしまうタイプも居るのよ?
ホントこう、敏感で、繊細、生きづらいとか、「ちゃんちゃらおかしい」
うん。
なんかもう、包み隠さずというか、そんな感じになってきたというか。
自分が懸念するからこそ、敢えて抑えてた部分。そこが最近出てしまってる。
とはいえ、出してしまえば孤立すらもする。
正しいだ間違いだも、追求して突き詰めかねないので、怖いやらキモイやら言われるほど。
それを感覚的に、掴んでしまうから。
とはいえ、今までが過剰に抑え込んでたと言えなくもなくて。
個人としては、まだまだ自分自身の中のぶつかり合いもありますし、困惑もするわけですが・・・。
でももう、鎖はずれちゃったよね・・・。
そんな感じ、です。
まぁ、抑える鎖が無くなった分、都合が良いだけの自由には噛みついてしまう事にはなる、と思います。
だからこそ抑えてた。でももう、無理。
抑えておかないと、正論ハンマー待ったなし。
正しいことを言い過ぎて、お前は気持ち悪い、怖い。
正しい間違いを口にして、求める様をみせるから、そうあるなら、と表に出してしまえば、寧ろ逆効果にすらなってしまう。
とはいえ、ねぇ?
自由という言葉を理由に「自分の負」をばらまくようなら、もう、ね?
バッサリやるしか無い。
ホントHSPとか、都合の良いところだけを見て、そこだけを持ち上げて、溜飲を下げる、安心を得るだなんてのは、正直な所、
「人間、弱くなってんじゃないの?」
と、思います。
文明の利器に振り回されてる。
都合がいい話に乗るというのは、都合のいい話を持ちかけてくる人に振り回されてる、と言うことでもあるんですよ。
振り回されて困ってると言いつつ。
都合のいい部分しか見ないで、都合が悪い部分は避ける。
あまりの酷さに、もうこれは無理ですわぁ・・・。
ネットといったところで、様々な人が情報を発信する環境という置き換えもできます。
だからこそ、環境からの影響とか考えたほうが良いと思いますし、
ポジティブ、ネガティブを自分の物差しで測ってるようだと、ダメ、とも。
そういう部分を、敢えて意識しなくても、感覚的に掴む。
そういうタイプの話だと思うのですが。
一瞬で深い所まで、ってそういう感じというか。
自分にとって都合が良い悪いすらも、考える間がないほどに、飛び越えてしまう。
そして、そうして掴んだ物を表に出すと・・・
過ぎてて、おかしい。
こうなるんですよ。
正直な所・・・
生きづらいだ、辛いだ、自分の苦労は「HSPだから」だ、なんてのは、ね?
ネットと言う不特定多数が見る環境、に対して、
個人のネガティブな部分を振りまいてるだけ。
即ち、ネガティブな影響を個人が振り撒くが故に、悪い影響を生んでますよ?
そもそもが、敏感、繊細、生きづらいの三つの言葉で、言い表せるような内容じゃないです。
こればっかりは、譲れないというか。
そうある人にとっては普通であっても、周囲にとっては異になるし、少数になるから多数からの抑え込みが発生します。
かといって、そこを抑え込みすぎると、そうある人が貧乏くじをひくばかりにもなってしまう。
そういう部分を知ってもらうための、HSPという言葉、ではなくて?
なのに、なんでこんな、ねぇ?
自分の生きづらさ=周囲や他者と比較しないままHSPを理由にする。
こんな状態になってしまってるのか?と。
ホントこう、精神疾患への認知は広まったのに、人の精神や心理ってどういうもの?に至れないのが不思議。
なんで、こういう症状の人はこうある、とか決め打ってるの?と。
そういう症状だと言われても、自分にしか分からない部分が間違いなくあるわけで、結局はそういう診断を受けた個人、というだけなんですよね。
それは逆に、診断を受けた個人の話が、その症状の全てにはならない、と言うことでもあって。
そういう扱いができないと、どうしても都合のいい部分ばかり見て、都合の悪い部分を見ないになるから、見落としを発生させるし、結果として痛い所を突かれもする。
もう、パーソナリティ=個人の持ちうる物、というのも精神疾患として扱われもするようになってるのに、痛い所から目を背けてると、ね?
不利益多くなりかねないですよ?
専門性を高めるには、確かに学は必要です。
でも、一般的で扱うなら、広く浅くの方が手札が増えもする。
ただ、HSPって一瞬で深い所に着地することが出来もするので、手札を異様に多く持ってるという、ね。
そういう言い方も出来る、と。
思います。
あとがき
良くも悪くも「今まで通りが出来なくなってる」
という部分もあれば、
もういっそ試験的にでもやってみますか。
という、自分を実験台にしてる別な自分もいる。
まぁ、自分でも、ね。
今までに無いほどに、内側を出してるなぁ、と思います。
更には、もう集大成ってほどに、ストレスが溜まりきってしまってるなぁ・・・という部分もあるんですよね。
火山にしても噴火したらそれで終わりではなく。
マントルがあるからこそ、下から登ってきて、それが溜まり切ると噴火する。
今はそんな感じ、ですかね。個人の状態として。
社会生活、集団生活をする上では仕方がないこと。
とはいえ、抑え込みすぎました。自分を、ね。
かと言って、そこには評価という部分の難しさも見え隠れ。
自分を低く見積もりすぎと言われるものの、その原因には触れてもらえないので、低く見積もり続けるしか無いんですよ。
出す場が一切ないので。
そして、自分に取っての普通、で出そうものなら・・・。
間違いなく叩かれます。
もう、面倒くさいって。
すっごく嫌らしくもなりますが、それはそれで事実でもある。
そういう部分の話として、
「これでもまだ、緩い方」
みたいな、とんでもなさがあるんですよ。
ただ、そこが自分自身にしかわからないし、言葉にすると過ぎてるということで、認めたくない人たちからぶっ叩かれるだけでしかない。
もう、楽になるには、死しかないんじゃないの?
そのくらいにあるんですよね。
一瞬だけでも触れたらアウトなので、それこそ、外界と完全に遮断しなきゃいけないわけですが。
それをしてたら生活ができないという矛盾。
面倒くさいですよ、ホント。