経験から語ってみる3(感受性とは?
こういう話については、経験も交えつつちょっと突っ込んで自分なりに拾った、落とし込んだという部分も合わせて話していこうと思います。
正直、HSPブームの扱いっておかしいんだよなぁ、みたいな個人的に感じてる要素も入ってくると思うので、ご注意くだされ。
なにはともあれ、感受性って一体何なのさ?
そういう切り口からの話にもなりますので、逆に混乱を招く人もいると思います。うん。
また、個人としての解釈が多分に含まれる内容なので、これが正しいとか間違いとかそういう話ではないので、これを参考にするだけではなく、自分で考えて落とし込んで使ってほしいかなぁ、と思います。
感受性って?
単純に言葉の意味を調べるだけでも色々出てきます。
外界からの刺激を受け取る能力。
環境内の様々な事象の変化を刺激として感じ取る能力。
物事を感じ取る能力。
などなど。
まぁその、体感としてもそんな感じです。そしてこれは誰しも持ってるものなんですよね。楽しさ、嬉しさ、寒さ暑さ、眩しさ、煩さと、誰しもがそれぞれの感受性を持って感じてるのが当たり前なんですよ。
そして、刺激という言葉がミソというか。
刺激的というほどに大きいものばかりではなく、微小すぎて些細という小さいものも刺激として感じ取ってる=だからこそ感覚器が働いて、小さい音でも聞こえるというような感じです。
なので、HSPブームで言われてた、煩さを感じやすいとか、眩しさを感じやすいだけではなく、周囲が感じ取れないからこそ気にも止めないような弱すぎる刺激も含まれるんですね。
だからこう、音が苦手とか、臭いが苦手というだけの人が自分をHSPだというのは異を唱える、と。
感じ取りすぎることで、強い影響を受けて驚く、びっくりするという様子も示しますが、個人的にはその時点で心臓が飛び出る、飛び跳ねるレベルに行ってる事もあり、それを体が整えようと反応してるのも分かるほどに感じ取ってます。
で、感受性としての感じ取りって、感じすぎるようだと結構細かい所にまで行くんですよね。
それを実際に、幼い頃から体感し続けてる身としては、その程度じゃ済まされないですよ、とどうしても言いたくなります。そもそも、幼い頃に言われてたおとなしい子とか、よく気づく子というのも、ホント色々感じ取って気づいてたから、そうある行動をしてたという感じで、個人としては行動原理みたいな所に感受性は作用してたりします。
正直ね、言葉の選び方とか表現の仕方とか、言葉遣いなんかでも色々感じ取ってしまう。
そうあるので、就労支援での相談員さんの話から、別の担当者の状態が自然と脳内でイメージされて、そこから心理的なもの、感情的なものという動きも把握するくらいなので、言い当ててしまっただけでなく、そこを説明して理解してもらえたからこそ、共感性が化け物とか、共感性のおばけとか言われることになったんですよ。
刺激についても、何かが変化する時に、何がどの様に、どうしてそのようなという、少し突っ込んだ部分についても、感じ取るくらいにありますし、そういうのも自身が学習したり、調べたりした内容から、感受性によるものと解釈しています。
と、少し小難しく話しましたが。
とにかくね、誰しもが感じ取ったり、感じたり、変化や状態に気づくという事があると思いますが、そういう部分が感受性って話なんですよ、ということです。
HSPブームへの異論
正直な所、疑問っていうか異論ですね、うん。
まぁその、おかしいんですよ。
繊細さんという言葉とともに、敏感やら、活きづらいやらがくっついて広まっただけでなく、拡大解釈しすぎて神経質は神経質でしかないのに、それまでHSP=感覚処理感受性が高い、感受性が高い人という扱いまでされてしまい。
正直、ブームから始まった「繊細さんと言われる、敏感で生きづらさを感じる人」という言い方は呆れてぽかーんしますし、逆に腹も立ちます。
何も分かってない…
ほんとこう、ね。HSPっていう言葉に乗っかって、都合よく解釈しようとしてるだけで、その実は違ってますよ?って人も多いんですよ。
自分が抱えてる、感じてる不都合な部分を良い方向に変えてくれる言葉ではないんですよ、HSPって。
んで、大事なこととして、
妙に評価されたり、当たり前の事を凄い凄いともてはやされたりと、良い部分=ポジティブな部分もあります。
間違いなく!
何がどうあれ、こういう仕事に向いてるというような話も出てたのは、得手、得意分野、評価されることという良い側面も持ってるから、そういう話が出てくるんですよね。
なので、良いも悪いもがとにかく付きまとうのですが…。
何で生きづらいとか、生きやすくなるにはとか、そんな話しか出ないの?
疲れた、生きづらい、とか。疲れなんて誰しも感じますし、単純に体の鍛え方みたいなところも関係してくるので、感受性の話だけで終われないという当たり前の話を無視して、疲れる=生きづらい=HSPだから、っていうご都合主義満載な解釈してるのか?っていう。
カウンセラーとか、心理学とかそういう肩書をつけてる人も、正直ちゃんと履修した上でのお話なんでしょうか?例えば大学とかで。
良くも悪くもブームって話題性があるだけでなく、その話題性からどうしてもビジネスって部分が付いてくるんです。そういう、人の世の当たり前も敢えて深く掘り下げなくても、嫌でも感じ取ってしまうんですよ。
面倒くさい…って感じ取る自分に嫌気がさすほどに…。
先日、HSCについての懸念を書き上げる際に、大人がおもちゃにしててると子供が泣きを見ると書きましたが、実際にそうなりかねないんですよね。今のブームでHSP扱ってる人って、自分しか見えてない人、自分の利しか考えてない人多いですから。
ん、んんん。
私ステーイ、落ち着け、ステーイ。
と、色々言いたいことはありますが、正直ネットに触れて自分で調べ上げる事が出来るくらいあるなら、自分なりの対処って出来ると思います。というか、出来てないと学生時代から引きこもりまっしぐらになってしまうと思いますよ。
それほどに、対人関係や人間社会って難しさがあります。そして、そうあって何かと抱えますがやってこれてる=やってこれるだけの強さがある自分をまず自分が受け入れて、見つめ直すほうがいいんじゃないんですか?
生きづらかろうが、生きて今まで来て色々向き合ってる。だからこそ、辛い部分も感じるという逆転の発想というか、生きてこれた自分をまず見て、そこから思い出される色々があるから辛くなるんだなっていう、見方をひっくり返す必要はあると思います。
そして、HSC。子供だからこそ出来ない、子供だからこそ親や助けてくれる大人を必要とする。
子供だからって無邪気で、何も気づいてない、考えてない、じゃないんですよ。
感受性の高い子だったら、他の記事でも書きましたが、大人の想像を超えてる事がありますし、名探偵みたいな凄さはなくとも、見た目は子供、感受性の部分から状況判断や把握は大人並みという子だったりするんです。
そして、良い方に働く機会、いい部分になること、そういう部分も沢山ありますし、嫌でも周囲から指摘されて評価もされます。
当たり前の事だから、自覚は出来ない。でも、評価されたということは評価されるだけの理由がある。何の理由もなしに褒めたりしないですから。
そういう事すら、当たり前のものとして見て感じてしてるからこそ、驚かれるし、感受性が高いって言われるんですよ。今でもね。
で、HSPのHはHighlyです、これは直訳すると非常に、なんですよ。
それほどにぶっ飛んでるって事ですから、ネガティブキャンペーンみたいに生きづらい生きづらいで、終わらないんです。
いい加減にしてほしいなぁ、ほんともう!
個人的な体験からの、良い部分(おそらく
正直、辛さを訴えるだけの人って、音の聞こえる仕組み、光によって発生する色々なしくみ、そういうのを知る必要あるんじゃないですか?
って言いたくなります。
何でかって言うと、距離が遠くて小さすぎる音、微妙な色の変化やそのグラデーション、そういう部分に気づいてて驚かれる、そして評価されるという経験もするんですよ。
そして、色の見え方は光による作用です。
なので、光や音に限らず、臭いや、触覚で感じる肌感覚でも、良い評価を貰える部分って大なり小なりあるという把握が出来るハズなんです。
ただ、良い部分であると同時に、聞こえるという部分は地獄耳という要素につながるので、疎まれてしまうという事もありますけどね。
結局総合すれば、何はどうあれ聞こえすぎてるという感じで、小さすぎる部分も聞き取るので、範囲が広すぎておかしいって言われるんですよ。
そして、個人としては幼い頃からそうあったので、幼稚園や小学校で褒められるくらいの経験って色々あったりします。そして成長してからも変わらずなんですよね。
音を聞き取る耳なのですが、人間の耳の構造上、後方部分には若干壁があるような形なので聞こえづらいという事があると思います。単純に聞こえてないだけでなく、何かに集中してると背後からは余計に反応しなくなりますし。
そうあるわけですが、そこでいち早く聞こえて反応する様って見せてたんですね。なので、危険性の確認や、安全のための配慮、行動のためには役にたってました。遠足とかで、いち早く車の接近に気づいて知らせたりがそういう話です。
そして今では、それが緊急車両でも起こりうる、と。友人知人の運転であっても運転してる当人よりいち早く聞くのでいろんな反応や言われ方もされますが、実際に言ったとおりになるので驚かれもします。
また、光も影響を受けやすいのですが、だからこそ色の微妙な変化、グラデーションも受け取ってるんですよ。
色って、光があたった物体が反射する事で視認できるものなんですよね。
なので美術関係では、その色使いや色彩感覚は評価されてましたし、これも幼い頃=小2で年齢不相応で驚かれるという感じで、既に出てました。
少なからず誰しも色は見て取れますし、色弱とかでなければ共通認識は取れるんですよ。でも、そういう微妙な変化まで行くと、私には見えてて、周囲には説明されればイメージ出来るし、わからなくないんだけど見えないっていう差になってきます。
そして、こういう色に関する部分であれば、ファッションについてその人に合った色、イメージとして色のまとめ上げというのは評価されてて、買い物付き合ってくんね?って事でお願いされたりもしてました。
鼻なんかも、あれですよ。料理とかし出すと、嗅覚と味覚の関係から、臭いでの味や変化の掴み取りが出来ますし、母が亡くなってからは母の味が再現出来てると家族だけでなく、親戚からも評価されてたくらいです。
こういう感じでね、日常レベルの些細な事でも色々活きてて、評価されるものなんですよ。
感受性としてのポジティブな部分
HSPについては、note内で実際に研究されてる方がサークルを開いたりしてます。そこに加入してるのですが、ポジティブなイメージを個人の経験から一部挙げてみたりもしました。
日常的な小さい部分ではなく、実際に見て取れて、評価される、驚かれるという部分についてです。
上の体験部分でも挙げましたが、危険性の接近や安全に対しての話や、色や色彩感覚の評価は間違いなくポジティブな部分だと思います。
ほんとね、生きづらさだけの話にしないで欲しい。
これだけは間違いなく言えます。
で、対人関係について。
対人関係は特に問題がないというより、状況や環境に合わせた対応をするので、仕事や面倒事を抱えやすくもなりますが、人当たりの良さや、普通レベルとはいえ配慮、真面目さという部分で評価はされます。
ほんとね、苦手とかあの人嫌いみたいな公私混同ってしないんですよ。それ以上に集団としてこなすべき事、片付ける仕事にどう対応するか?なので、どちらかというと環境由来の対応になりますし、そうある事で人間関係良好、公私混同して仲たがいしてるようでも私が入る事で、集団として機能するという事も多々ありました。
まぁ、人が多い...といわなくても、少なくても数人程度であっても、人が居れば個人個人が発してる見えない何かを感じとるくらいなので、出来れば負荷やストレスという部分から避けたくはありますが、必要があればそんなの吹き飛びます。
ボッチだから、馴染めないから...そんなの有りえないですよ。
相談上手とか教え上手という話について。
また、演技をする際の役作り、イメージをして感情移入するという、空想という共感があるのですが、こういう部分も多方面で働きます。
相談上手というのは、こういう部分から聞くべきであろう第三者が居なくてもある程度話を進められるし、何でそんなにわかるの?って相談してきた側が驚くなんてのも良くあるくらいです。
教え上手という部分では、認知的共感=視認したり、相手の立場や動きを自分に置き換えて共感するという部分から、弓道部に所属してた学生時代にはそれが指導面で活きて、なんでそんなに指導できるの?ってこれまた驚かれたり、ちゃんと先輩として指導できてました。なので、後輩が結構頼ってくれたり、信頼してくれたり。
そういう部分から、部活動という集団において敢えて部長に収まらず、口うるさい真面目なやつの役もやって嫌われる要素を引き受ける事で、部長への信頼を集めるなんてのも提案してやってたくらいです。
なので、良くまとまってたし、顧問からも印象に残る世代だったっていわれます。
動物と触れ合ってて見れる物、感じられる物。
また、動物なんかもね。感じ取ってくれるんでしょうかね。
同じように過ごしてると思いきや、母からは「あんたはホント犬と言い、セキセイインコと言い、人と動物の区別がない分、相当に好かれてる」とか言われてました。
インコが言葉を覚える子でね。喋る真似とかしてたのですが、声真似をしてたのは私だけだったようで、当時は祖母も同居してたので、母に、祖母にとうちのインコはあんたの事よく見てるわ、喋り方そっくりだもんってね。
猫は飼った事ないですが、飼ってるお宅にお邪魔してるとすっごい懐かれるんですよ。
嫌でも膝の上に乗らないのに、なんであんたなら膝に乗るんだよ!というか、普段家族が帰って来ても外に出たままなのに、あんたが来るときは帰って来るし!
ってねー。飼い主さんに不満をねー。漏らされた事もありますよ。
乗馬体験に参加したときも、普段懐かない、人が触ろうとすると嫌がるのに、触れてる事に驚いたって飼育員さん?に言われましたし、なんかこう色々と懐かないエピソード聞かされながら、驚かれるやら不思議がられるやらしてました。
こういう部分もね、感受性が影響してると思います。動物って、人の感情の機微に反応する事から、アニマルセラピーとかもあるくらいですしね。
まぁ、犬を飼ってた時に、友人宅に大きい犬がいてうちの子と仲が良かったんですが、犬同士だけでなく私の方にもすごく懐いて、何度か押し倒された事があります(苦笑)
そこまで反応するのは、お前しかおらんわ(笑)って言われてました。
押し倒された後どうなるか?
顔をべろんべろん舐められるわ、高感度MAXキターな反応されてました。
とはいえ、野生化、半野生化した野良は一筋縄ではいかないですし、クマとかもまず無理でしょう。
と、上で書いたようにサークルの方で挙げた内容に触れつつ、それをかみ砕いてみたのですが、良い所、ポジティブな要素ってちゃんとあります。
そして、いくらネガティブな部分に反応しやすいのが人間とはいえ、その辺の扱い方すらも違うんですよ。
ただただ生きづらいじゃなくて、そう感じる原因は何なのか?そう感じてしまう自分はどんな状態なのか?
自分に対しても、必然と言わんばかりに客観視の様な状態から感じとるのが日常です。なので、不得手の部分はちゃんと分析して、対応が必要であれば対応しますし、自分という相当に限られた範囲の外に原因がある様だと、より多くの他者を変えなければいけなくなるので、軋轢や労力がかかる事の不利益から敢えて気にしない様になりますよ。
ごくごく当たり前に。
音がー、光がー、対人関係がーって、感じとれるのは自分だけだし、辛い辛い言う前に対処してないと、辛い辛い言ってるだけだとしっぺ返しうけますよ?
ネガティブ吐き出してるわけですから、そういう言い分や言葉の扱いで他者にネガティブな影響を与えて感情を誘発させるので、生きづらいばかりボヤいてる自分が他人を知らずのうちに不快にさせてる、怒らせてる。
申し訳ないけど、HSPだろうが、感受性が高かろうが、そういう変化を発生させてしまう事に気付いて、自分から調整する方に動きます。
だからこそ、真面目な人、配慮が出来る人、気遣いが出来る人とかが特徴として謳われる様な話が出てくるんですよ。
というくらいに、記事を書かなくてもサラっと感じ取れる部分から把握出来るからこそ、感受性が高い、HSPだっていう話になるわけで。
何でこう、ね。
生きづらいだけになってるのか?
自分を見つめ直すのが先だと思います。
それでもある難しさ
さてさて。
だいぶ長くなりましたが、良い部分でも必ずしも良いことづくめにはならず、良い評価を貰ってるからと天狗になるようでは、必ずしっぺ返しがあります。
また、天狗にならずとも、良い評価を貰う事で、回り回ってくる悪い部分ってどうしてもあります。
だからこそ、自分で調整する。そうでないと、諸刃の剣なんですよ。
それはどういう事かというと、
出る杭は打たれる
です。ホントこれは、誰がこんな上手い事言ったんだよ!ってくらいに、嫌でも実感させられたりもしてます。
良い悪い、正しい間違い、それだけでなく、思わぬ形で食らう事もあるんですよ。
だってその、ね?
周りにいないですから、否応なしに少数派になって、人間社会の仕組みとして多数派に負けてしまいます。
そういう意味では、自分はHSPだから!なんて、持て囃すような物でも無いんですよ。
ちゃんと自分で把握して、持ち前の感受性で出来る感じ取りを活かして、常に自他問わず向き合ってないと、自分だけが傷つく事になるものです。
個人的には、こんなことイチイチ言われなくても、余裕で分かりますよってくらいに経験してそうって言ってしまう程に、色々経験するんですよ。
良い悪い、ネガティブポジティブ関係なく。
なので、個人的には良い部分もあれば、悪い部分もあるし、それは必要であれば出す、扱うはするけど、それ以外は普通に合わせるという感じで日々過ごしてます。
なので、扱いの難しさが分かってるだけでなく、持ち前の感受性がちゃんと活きてるからこそ、そういう事も出来るという感じです。
まぁ、そうなるには色々経験しましたし、幼少期の事は現在の精神的な疾患に影響したりしてますけどね。
そういう意味では、手放しで喜んだり、持て囃したりするような物じゃ無いと思いますよ。
HSPとその言葉のブームみたいに。
あとがき
一部、感情がだだ漏れになってしまいましたが。
うーん。
感受性について書いてるっていうより、寧ろ不満タラタラじゃないかなぁ?
という感じに仕上がってしまい、頭を捻るようでもありますが。
要は、誰でもある感じた、感じとったって部分なんですよね。感受性って。ただそれは都合よく解釈という様な物ではなく、ちゃんと現実に即した物としての感じ取りなので、ちょっとやそっとであれば、簡単に撃ち返してしまい、そこから色々発生するなんてのもままある事です。
なので、活かすも殺すもは自分次第ですし、それが出来る様になるような経験は、変な話ですが現実という大きな括りから寧ろ提供されてるよなぁ...とか感じるくらいに経験もします。
幼少期の経験は今の精神疾患に通じる程に、結構凄惨というか、何とか自分で自分を丸め込む事で生きてきましたが、結局ツケはくるんだなぁ、自分に...という部分もありますし、そこを話しだすとまぁ酷いだけでなく、理解ある人からは、あんたの親は親失格だ!ってキレられるくらいです(苦笑
まぁ、色々経験するんですよ。
ほんともう、何でこんな物を持って生まれてきたのか...とか嫌でも考えてしまうくらいですし、紐解けばエピソードってゴロゴロ出てきます。
感受性にしても、共感にしても、相互関係があるというか、声色や言葉のチョイス、口調、表情、雰囲気や空気、目線の動き、仕草の微妙な変化、そういうのも色々感じ取り過ぎる事で、他者自身が自分でで把握しきれてない部分すらもあっさり読み解く事も多いので、なんでそんなに気づけるのか?って、質問をされる頻度って凄く高いです。
いや、見えてる、聞こえてる、気付いてるから。っていうか、普通に気付くでしょ?と返答するのですが、そんなの有りえないって言われますよ。
それこそ、同じ人でも環境や状況、相対する人の違いという差があるだけでも、毎回のように聞かれます。
個人的には、文章や文字も、思考や感情の物質化としてとらえてるので、感情の変化とか良く気付くし、それに対応したりもするので、ネットでも優しいとか、真面目とかもよく言われます。
と、長ったらしくなりましたが。
HSPなんかは、もう少し感受性とか共感とか、狭義的に言葉が持つ意味くらい調べた方が良いんじゃないかなぁ?って思います。
というか、違和感感じて調べると思うんだけど...ブツブツ
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?