経験から語ってみる4.5 閑話休題
さて、こう感受性という部分から矢継ぎ早に色々書いてきましたが。
実際の所、話したところで聞いてもらえないという実情の部分の話を結構書いてたりします。
なにかの拍子に「よく気づくなぁ、何でそんなに気づくのか?」と聞いてくるから答えるわけですが、半ば呆れるほどみたいな空気を出しながら、自分も同じだとか、そんなのありえないとか、気にしすぎだからとか。
いやいや。
同じなら気づくでしょ?→気づかない、とか。
ありえないって目にしたでしょ?→でもありえない、とか。
こういうことってままあるんですよ。
違いを感じて何らかの反応を示すのに説明した途端なかったことにするかのような反応をされる。
こういうのが日常になるので、生きづらい生きづらいって、日々の辛さを嘆いてる暇が無いんですよ、感受性が高いって言われるようだと。
という感じでね、今回はまぁざっくばらんに、という感じというか、今まで書いてきた部分の中からチョイスして更に掘り下げると言うことをしてみようかな、と思います。
面倒見が良い、よく気がつくの話
この部分は幼稚園から一貫して、連絡帳や通知表での総評欄で担任がかける部分に、成長に伴う言葉の変化はあったものの、突き詰めるとそういう話という部分です。
そしてこれは、HSPだ感受性が高いだでよく言われる特徴の証明というか、個人としてもそうあるという話だけではないんですよ。
先日、今のブーム以前での扱いと、世の中が反応してない様を書きましたが、今のブームでのおかしいところには、発達障害を持ってる人が過去には見向きもしてなかったのに、今なら発達障害でHSPと発信してるというおかしさがあります。
スピリチュアル的な扱いだったとはいえ、調べれば心理学上の概念としてってのは変わってないんです。でも、その頃はしてない、今はするというのは、ね。
という感じでね、そういう部分もね、突いてるんですよ。
大人の発達障害とかありますけど、調べてみると、
”大人の場合成長の過程で見られなく部分もある”
”子供のうちに病院で診断を受けるのが望ましい”
”大人の場合は家族への聞き取りなどもする”
というように書かれてる事って結構多いです。また、追求しすぎると口うるさく罵る人が出てきそうですが、
精神科で診断するものの脳機能の障害
という説明をされるような症状でもあるんですね。
また、コミュニケーションの難や言葉の受け取りについての問題などを取り上げて発信してる人も多い症状です。発達障害って。
で、面倒見が良い、よく気づくというのは、私が気づいて面倒を見るというだけでなく、そうある姿を見て他に配慮する、他に配慮しても大丈夫なレベルでやってくれてるという様々な部分もあります。
それ故に、面倒見が良い、よく気づく、だから助かってますっていうね。評価になってたりすることも多いんですよ。
そういう経験があるというか、今思い出しても、まぁそりゃおかしくみえるし、そんな子供居たら扱いに困るなぁって感じなんですが、そうあるからこそ、
コミュニケーションに難があることを訴える症状なのに、HSPとして出来ない部分があるんじゃないの?
という疑問が湧くんですよ。
個人として言わせてもらえば、DOESのD=深く処理するというのは、考え込む、答えが出るまで時間がかかるじゃないんですね。
そもそも、カウンセリングで現実を深いところで見つめすぎ、要は現実の受け取り方が深すぎって言われるくらいが所謂普通ラインなので、どうしても周囲から見ると”なんでそこまでやってんの?”が行動に出てしまう。
それは、周囲に人が居た場合、コミュニケーションの円滑な様子だけでなく、周囲にコミュニケーションによる難が発生しないように先手を打って対処してるという部分でもあるんです。
どうしても合う合わないだったり、正しい間違いの価値観だったり、うまく伝わらないだったりで感情的になりかねないから、予め周囲がそうならないようにみたいな部分も対処してる=真面目すぎ、気を使いすぎという話にもなるし、幼い頃には
よく気づく、面倒見が良い、だから助かります。家庭訪問で同席してて堂々と言われるもんだから、なんで私の悪い部分、注意される部分の話がでなかったの?って困惑するくらいだったって感じです。
うん。
まぁ、ね。
気持ちはわからなくないんですよ。
でも、こちらとしても、違いに気づいて質問されるから実際を説明するのに、その違いがなかったかの様に、話を聞いてもらえない、受け止めてもらえない、否定されてしまうというのが、何十年も続いてるんですよ。
それが当たり前で日常っていうほどに、頻発する事態です。
問題がなくても、寧ろ良い部分、評価してくれてる部分であっても、なんでそんなに出来るの?って聞かれ説明すると、ありえない、おかしい、そんなはずない…。それだけでなく、真面目すぎだ、気を使いすぎだなんだと言われもするんですよ。
ぶっちゃけ、こちらからしたら、周囲が分担や協力っていう小学校でも習いそうなレベルの話を、自分の楽とか都合で感情的になってまで嫌がるから、その尻拭いさせられてんだよwwwっていうケースもあるので、腹立ちますよ?
でも、そんな事言おうものなら、正しかろうが相手が怒って当たり前だということで、こっちが無用なお叱りをうけるんですよ。
今はもう、精神やんでドロップアウトしましたが、それまではこれが日常レベル、当たり前レベルで発生してたんですよね。
ストレスがクソ貯まるし、もう人間であることが既に嫌になってるレベルなんです。言葉のキャッチボールにならないコミュニケーションを他者から無配慮に強いられるんですから。
という感じでね。
感受性って高すぎると高すぎるで、諸刃の剣だし、良い悪いがどうしても出る杭なので、叩かれる=様々な言われ方をするし、それでいて正しさは主張できなかったりもする、辛さや苦労ってあるんですよ。
そういう感じでね、実態とか、実情とかも知ってください、と。
そしてまた、発達障害と診断されたのであれば、こちらは診断基準があるだけでなく、専門の医師ですら診断に難しさがあり、慎重を要するわけなのですが、そこには理由や背景があるんですよ。
そういう実情があるのが現実です、知らないからじゃなくて、まずそこを調べて、知って、学んでくださいませ。
HSPの特徴とか
これも、口が酸っぱくなる話ですが。
あくまで研究の過程で、対象となった人が見せた、その人の特徴です。
同じ特徴があるから!
で、その他の部分はどうなんですか?同じだからHSPと言える部分だけでなく、自身のその他の部分、総じての部分はどうなんですか?
とある芸能人の方も、元々が芸人さんというだけでなく、ドッキリとして笑える人もいれば、ある意味人を騙しすぎたり、尊厳を踏みにじりかねないラインにまで及んでることで、不快に感じてる人も居た、それ故に異を唱えられてるというような人がHSPだと言ってるからって。
感覚としてはどうであれパッと見でも、不快どころか、胸糞悪いというほどの事を、仕事だからと笑いながらやるような人がHSPっていうなら、
HSPなんて言葉いらんわ…
っていう、怒りからとんでもないことを言い出すほどに、ひどい過去を持ってる人でもあるんですよね。
そりゃ、特徴として合う部分があるというのはわかりますよ。
でも、過去の実際の行動とか、そういう部分はそれに一致しないでしょ?そういう部分とどう向き合いますか?知らぬ存ぜぬではダメなんですよ。
だってその、所謂普通レベルが”真面目すぎ”って言われるんですもの。
メンタル病んで自分に優しくなったつもりが、それすらも真面目すぎだ、気を使いすぎだ言われて、休まるどころかストレスにすらなるくらいに、周囲からみたら真面目すぎらしいです(苦笑)
お笑い芸人として、仕事だからとしてやってたとしても、旧知の中の人に聞けば「お前なら絶対にできねーわ、まずキレるだろ?」となるんですよ。
と、痛い突きをしたところで、話を変えて。
正直な所、もう少し突っ込んだ特徴とか、それ以外でも当たりそうな部分もあるんだけど、何で挙がってないの?という疑問は個人として持ってます。
DOESのD=深い処理をするではないですが、正直な所今の特徴って掘り下げが足りないので、所謂普通の人が引っかかる、ハマる=申し訳ないけど落とし穴にハマるという原因を作ってるものだと思います。
新しい分野だし、研究の過程で過去に上がった成果が後の論文で否定されということが、往々にしてあるような分野だとも思うので仕方がないと思いますが。
そういう意味では、知ってもらって対処してもらう事が必要な人は誰か?みたいな絞り込みをまずするべきじゃないでしょうかね。
まずはHSCに焦点を当てて、じっくり観察する、場合によっては発達障害と混同、誤解することで、医師の診断が成されないままになってしまう事を回避すると言うことを周知するというような、
持て囃すのではなく、悪影響を回避させるのが先じゃないの?と思います。個人的に。
いや、その、ね。
生きづらさなんて生きてれば誰でも感じますし、社会人になりもすれば理不尽さって嫌でもあるものだから、ストレスがかかるのが当然だし、HSPなんて言葉がなくても、それまで生きてきましたよね?っていう現実が置き去りになりすぎでは?とも思います。個人的に。
見える、聞こえる、臭う、それ故に気づく、そこから察するという感じで、感受性って誰しも持ってるものなのですが、
普通に気づいてたら、なんでそんなに?って嫌でも違いを指摘される。
感覚過敏みたいに苦痛を感じるだけじゃないんですよ。寧ろ、反応しすぎる事で、なんでそんなにお前は気付けるんだ?のほうが、日常として点在してますし、遭遇率は高いんです。
違いを指摘する側も、こちらから言われて意識して感じ取ろうとすれば、そういえばうっすら…という、感受性の差として感じ取れないばかりでなく、意識させて強めてあげれば近しい反応をしてくれる人、が観察出来ることもあります。
なんで、こういう特徴が入らないんですかぁ?と、個人としては言いたくなります。
現実問題として、辛い辛い嘆くくらいなら、まず対処をします。そうでないと簡単な問題として周囲を不快にさせる、そこからコミュニケーション上の問題を発生させることになるんです。
だから、HSPの話題をネットで触れてるからこそ、生き辛さの愚痴がいえるようなもので、現実や日常生活でそんなにボヤいてるの?と。
あと、下手すると自己愛性パーソナリティ障害の可能性があるというか。
生き辛さの原因を見つめることが出来ず、私はHSPなんだ、感受性が高くて優れた側なんだ、だから周りから色々言われるし、それに傷つきやすいし、馴染めないんだ、という誤解をしてるようだと、危ないですよ。
ただ、これは病院での診断も出来ますし、医師でないと診断出来ないため、必要以上には言えない部分になりますが。
その、ね。
掘り下げてきっちりしておかないと、なんかこう、寧ろ問題が散財してる要素や、言葉だと、思ってしまうんですよね。
現状に対して
現状というのは、HSPとか感受性以外の部分です。
まず、感染症ですが。
想定どおりです。良くも悪くも現実を深く見つめすぎ、感じ取りすぎという部分から、現実に対しての対処を考えがちというのがパーソナルな部分です。
なので、過去に目にしてきた感染症の事例から、
”前もって準備してないと、場当たり的な対処だけでは必ず手遅れがでる”
という感じ取りをしてました。なので、可能な範囲で考えようぜ!って声をかけてたんですが、
・外国の話だろ?ここは日本だぞ?日本のレベルだとあり得ない。
・そうなった時に考えればいい(災害に対してそうあってが故の難は無視
・万が一にも起こるかわからないことを考えるのは無駄
・違いに気づいてそれが好転する様を目撃してるのに、”きにしすぎw”
まぁ、誰も考えないし、燃え移らない限りは対岸の火事。
そりゃ、こうなるのが、当たり前
なので、想定内の事態しか起こってないだけでなく、最悪の事態は回避できてます。恐ろしい勢いで蔓延することで、どうしようも無いほどに多くの命が奪われるというような。
別にね、感染症じゃなくてもね。過去にはいろんな症状だったり、あったわけですよ。
日本住血吸虫症
この話は、ホント過去のこと、他人の事なのに、涙でますよ。相当に泣きますもん。
また、どうしても利益優先で居たため、過去に置いては凄惨な事故も発生してるので、そういう業界にいたりすれば”マニュアルは血で出来ている”という感じで結果からすれば改めての対処に言及できるも、現実としてはそうあらずというを嫌でも知ることができます。
なので、人間って同じこと繰り返すんだなぁ、そんな感じですよ。
イタイイタイ病なんかでも、産業が今の日本を支えてるのに何をいうか!という意見のほうが多く、原因が判明しても対処が遅れたという現実があるとかないとか。
ほんと、時代なんて変わってないんです、よ!
感染症、公害、事故、言葉や事例としては別だったとしても、命や、準備に対応、という部分では類似するんですよ。また、過去だ、未来だ、歴史だもよくよく深く知れば、根本に近づくと類似するんです。
疫病なんかも、歴史として技術や医療が追いついてなかったから、ではなく、追いついた今でもおさまらんじゃろ?現実みなさいよ!なんですね。
そうあった歴史を知って、今の発展具合に安心してたら、足元すくわれるんですよ。ウィルスだって命、生きてるわけですから。
ゴキブリだってそうでしょうよ。時代によってグッズも進歩してますが、対処すべき相手が耐性もつからなんですよ。世代交代早いから。
と、息巻いて述べましたが、こういう部分も、おまえはおかしいwwっていうね。
感受性としての差が関係してるのか、そうやって類似性から知識がなくとも知ってさえいれば説明出来なくもない部分って、おかしい、気にしすぎ、真面目すぎって馬鹿にされるんですよ。
感情的になるだけで、相当に説得力が下がってしまう。
伝えるためには、相手を言い負かすのではなく、根気よく説得することが必要で、それが議論。
なので、感情的になってはいけないと、自分で気づいて反省し、時には諌める。
それでも、やっぱり漏れてしまうものがある。
ああ、難しいかな、難しいかな。
ホントにね。
HSPブームと感染症がある現在との関係性
正直、無い。
というか、ビジネスとしての方向性でそうある物として担ぎ上げられただけだと思います。
あとはまぁ、それ以外の狙いもあるでしょう。ワイドショー出てるし。
テレビ離れが叫ばれる中、何とか共感からつなぎとめたいってのが見えるような見えないような。
また、自己利として、生き残りのために扱ってそうな人も居るような居ないような。
そもそもです。
感受性としての気付きや察しって、単純に日常生活で馬鹿にされたり、笑われるだけでもないんですよ。
表に出すことで、その都合の悪さから”陰謀論”というレッテルをはられて殺されるのが平時ですよ、寧ろ。
なので、今だからこそ持ち上げられてるようで、
なにもない平時は、都合の悪さから殺されるような部分もある
そういう観測すら出来てるので、平時は出さないんですよ。
ただでさえ、感じ取りやすい所に、凝り固まった悪意が飛んでくることでのダメージって大きいだけですから。
理解されるされないとか、そういうのもすっ飛んでしまうほどに。
自分でも呆れるくらいに、客観的に見て、総合的な判断って結構してます。
五感による部分だけでなく、直感、感性、感受性といろんな言い方が出来てしまいますが、よくも悪くも気づきすぎる、感じ取りすぎる、だから弊害も大きい。
かと言って、普通にやってるだけでも、なんか知らないけどすっごい評価されることもある。気づけば勝手に周囲が、いい人、出来る人、気遣いが上手い人色々な評価をしてくれる。
でも、そこにも裏には影みたいな部分がある。
良い悪いが常に反転しながら発生するループ。めんどうくせぇです。
ホント、良い悪いが付きまとうんですよ。自分が逃げたくても。
周囲に人間がいまし、居る限り逃れられないんです。
人として、良いも悪いもが差として、周囲に受け取られることで、なんやかんやが発生するのが、生まれつきで物心ついてからだけでも40年近く付き合ってきましたが、ホントそうあるんですよ。
アイツはああいうやつだから。
そうやって済まされてる人が寧ろ羨ましいくらいです。
うん。
あとがき
特に定めないと、寧ろ抱えてる闇というか、そういう部分が出やすいなぁ、これは…と悪さに気づきつつ。
よくもまぁ、昔から自分で抑えて抱えてるよなぁ、と自分を客観的にみて呆れもする。
そんな内容になったかなぁ、と思います。
そして、幼い頃はわからなかったからとはいえ、多分痛い所を突くのは得意分野なんだろうなぁ…。
そんな感じなのですが、やはり自分には疑問も感じますよ。
良くも悪くも感受性が高いと言われますし、なんでそんなに気づくのか?と聞かれもします。
だからこそ、自分に疑問を感じるんですよね。何でこんなに自分は周りより気づいてしまうと指摘されるのか?
至らない部分もあるし、それが適わず気づけない、他の誰かが先んじて気づく事もあるのに、今までもずっと変わらず、そうある人が良く気付くよね?なんで?って同じ様に聞かれる様子が観測できない。
そもそも気付いてても敢えて無視するという事もあるのに、何故なのか?
嫌でも哲学するかのように、こうある自分は何故なのか?と考えるんですよね。
ちなみに、自分で観測できないだけでなく、
そうあるのはお前だけだw
と、その時その時での集団としての所属でそう扱われるんですよ。不思議と。
自分の観測だけでなく、それこそ1対他という感じで、それはお前だけ、お前みたいなのが珍しい、出会った事が無い。
それを何十年も言われたら、余程に自分が運が悪いのか、人の巡り合わせが悪いのか、それとも自分が違い過ぎるのか...
なやみますよ!!
なんていうか、感受性の部分からの感じ取りのせいなのか、部屋を一歩出る=自分の落ち着ける部屋という環境を離れることから、勝手に切り替えスイッチが動いてコロコロと自分が変わるんですよね。
これも通院の際に説明してるのですが、表に出ないし、所謂多重人格みたいな豹変や記憶の欠如がないからか、普通の事として扱われます。
誰しもそうあると思いますが、そこで○○過ぎが出て来て、え?ってなってしまう。
一体全体、なんなんでしょう?ホントネ
あまり言わないけど、結構辛いんですよ。