明日へのbrilliant road
一度紹介したかも知れないですが。
個人としてはangelaといえば、これも。
ユニットを知る切っ掛けになったアニメなわけですが、SFをしつつ成長を語るヒューマンドラマ的なアニメでしたねぇ。
宇宙のステルヴィア
アニメの世界観では、みずへび座ベータ星の超新星爆発とガンマ線バースト。
それが引き金になり壊滅的被害を被るも、立ち直っただけでなく、何れ訪れるであろう爆発そのものの衝撃波に備えて、宇宙に設置された施設で生活しつつ、訓練やミッションをこなしていくという流れ。
ガンマ線バーストってなんですか!?というところですが。
現実世界でも、オルドビス紀の大量絶滅を発生させた原因であることが唱えられてたりします。まぁ、証拠という証拠は無いそうですが。
他にも火山噴火による寒冷化という仮設なんかもあるのですが。
その辺は大して知識をもってないので。
2003年放映の作品ですが、結構面白いですよ。
この頃はまだ、今でいう2クール分。全26話になってるので、意外と見ごたえもあると思います。人によってはあっと言う間かもしれないですけどね。
まぁ、アニメよりも曲、主題歌を上に持ってくるには理由もあります。
ここからは自分語り
歌詞が さ さ る !
_(┐「ε:)_<ぶふぉ
母は偉大という言い回しもありますが、ホントそれ。
個人としての防衛本能、どうしようもないほどに抗えないという虫の知らせでスイッチ入ってしまったので、色々言い残した、やり逃した事ってやっぱりあります。
まぁ、自分でも嫌でしたけどね。
「これはもうお別れだ」
なんで告げられた瞬間に終わりを悟るんじゃい!みたいな。
おかげさまで、その時の自身の状態や心理も客観的どころか、外から眺めるようなイメージで思い出せるほど。
辛い、苦しい、後悔があるというわけでもないですが、喉に引っかかった魚の小骨の様な感じで残ってしまってます。
とはいえ、亡くなり際に話してくれたからこそ、今の自分は自分に対しての理解度を深める事になったという側面もあるので、なんて皮肉です?とか思いもします。
「自分じゃない自分になる、周囲にとっての理想になる」
そうやって生きてきたから。ではなく、それどころじゃないほどに自分が掴めないし、良くも悪くも周囲に居る人達の干渉が多すぎた影響はやっぱり大きいです。
「だからそれが何だっていうの?」
というような。
切っ掛けがあれば出来すぎてると言われるのに、実態を話すと、途端に有り得ないと見事な180度ターン。
目の前に居るのに、ありえないと否定される。
人それぞれ違うし、皆それぞれ個人の普通を持ってるし、その内の一つでしかない。
何度となく説明した。だけではなく、今でもそういう人間離れみたいに言われる事ってあるんですよ。
何かしらあるとね。
それがもう幼い頃からだったので、自然と架空の主人公、ちょっと飛び抜けた存在に共感するかのように、アニメとかにハマるようになったのかも知れない。
宇宙のステルヴィアという作品はSFでもあるので、ちょっと人間離れしたキャラって出てきます。
主人公でもあるしーぽんこと、片瀬志麻ちゃんも、とんでもないレベルでの情報処理能力を持ってて、操縦をしながら現状に則したプログラミングも同時に行うという、結構な離れ業をやるんですよ。
まぁ、助言があるまではそこが暴走してしまい、寧ろミスが多い落ちこぼれという描かれ方もしてます。
うん。
似てるんですよね、なんかこう。
幼い頃とはいえ、母の助言が入るまでは振り回される様な状態だったし、だからこその図星を突いてしまって逆ギレをくらうだけでなく、ハンマーで殴られる様な衝撃が声と感情でも発生するので、自分が泣いてしまう。
個人としてはアニメみたいな事は無理なわけですが、相談に乗ったり、何かしらを教えてると、それをしながら相手が出してる情報=表情、仕草、言動、語調、動きを感知したうえで処理するだけでなく、その処理から可能性を追って、一番近い可能性を持ち出す。
「んー、多分なんだけどね?」って前置きしながら。
そうすると、偶然の一致が発生してしまい、相手が驚くわけです。うん。
相談とかだと、その場に居ないどころか、会った事すらない。そもそも、知ったのも相談として話された内容の部分だけしか知らないわけで。
それでも、相談された状況下での細かい動きとか、言動とか、言葉を発するにしても意思や意識があるので感情も発生してるので、多分恐らく程度であっても感情の動きとかも相談相手に伝えるというのをよくやります。
それが解決の糸口になるレベルでの一致度になってるそうで。
どうなってんの?と問われても、問われた自分が知りたい程じゃい!(苦笑)
ここ数年で色々知れたので、少なからず掴めはしたものの、肝心な部分がどうしても掴み切れてないという矛盾。
というか、やっぱり自分が否定してしまってます。
過ぎたるは猶及ばざるが如し。
過ぎてしまった事は取り返しがつかない、という意味ですが、個人が持つ感受性や、五感や痛覚という感覚からの情報検知が人より過ぎてるのは、取返しどころか、自分自身が受け入れて把握して、制御しなきゃいけない。
その制御をする為の、自己否定。
スポーツなら、それを十分に発揮して活躍できるでしょうけど。
見る聞くという部分から、感情に作用してしまうようなものは、コミュニケーションの為には抑える事も必須なんです。
だから生きづらいではなく、面倒くさい。
いい加減、過ぎてるというなら、それを認めておくんなまし。
それで迷惑かけるつもりないし、寧ろ問題がないどころか、役に立ってますよね?と問えばYESが返って来る。
それでも、お前の能力なんか認めない!って、ね。
そういう扱いされるんですよ。
うん。上でも書きましたが、こんな状態なので、ね?
アニメとかゲームの世界にでもいけたらなぁ、って憧れるのもまた人間心理なのですよ。
あとがき
しーぽん!しーぽん!
ほんと、初めて聴いた時の衝撃は未だに忘れられない。そんな曲です。
そして、この後に聞く事になるのが、蒼穹のファフナーの主題歌でもあるShangri-Laになるわけで。
とはいえ、不思議とこう、縁が上手く噛み合わないというか、元々が好きになってもハマりにくい性格だからなのか、ガッツリとはいかなかったものの、angelaというユニットはやっぱり好きです。
ステルヴィアも、ファフナーも面白くて好きな作品ですし。
今回はまぁ、歌詞でやっぱりというか、色々思い出したというか。
どうしても経験に重ねる事が出来てしまうので、記事にしてみました。
影響を受けるにしろ、感じとるにしろ、それだけ色々受け取るものがあれば脳で処理されるのも人間。
そして、本当にそうあるなら、それ程に自分の内側で処理してる事に気付けるというのに。
ね?
何が、ね?なんだと言われそうですが。
ステルヴィアなら、しーぽんこと、片瀬志麻の処理能力。
ファフナーなら、主人公である真壁一騎の積極的な自己否定とそれによるファフナーへの適合度の高さ。
妄想とかそういう話ではなく。
やっぱりこう現実世界では過ぎてるだし、目に見えない部分というだけでなく、受け入れてしまうと優劣という部分、本能的な動物としての意識が邪魔をするかのように異物扱いされるんですよ。
なので、過ぎた架空のキャラクターへの感情移入は、しすぎるほどにやってしまうとも、言えなくもない、です。
今でもこう、どうしても過ぎてる所は出てしまうと言うか、通院でも出さざるを得ないんですよね。
自分で向き合ってても限界はありますし。
先日の通院でも「客観視が相当に出来てる」と言われもしたものの、そこが普通のラインだし。出来る出来ない、やるやらないではなく、自然体がそこという、ね。
だからこそ、苦にならないレベルで自分を真っ向否定すら出来てしまうわけで。
それどころか、そういう自己否定をしてないと、過ぎた物を持った以上、必ず何かしらが発生してしまうのが現実なので、自己否定って生きる術だったりもします。
肯定しようものなら、それこそ四面楚歌ではない程に、敵を作りますからね。
その方が苦しくなってしまうわけです。
ま、もう少し時間が必要なのかもしれませんねぇ。
それでは。
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