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人付き合い、友人関係というもの

そうか。そうだよね。

悩む人もいるし、そういう話をしてみてもいいのかな?と、ふと思いつき。

あれやこれや、口うるさいので結構排他的、人付き合いは苦手なのでは?とみられるかもしれない…。

ふと、自分が書いてる内容からも、そういう部分が窺えそうであるなぁ、と思いつつ、意外とそうでもなかったりします。

うん。

甘い物は別腹ではないですが。

困った時は、お互い様だから。

普段がどうあれ、困ってると言われるだけでなく、見た目での様子や雰囲気、仕草ほか色々から瞬間的に

手伝おうかな、これは

という感じで、自然と手助けしたりするので、人間関係という部分では、意外と問題が無いのも事実だったりします。

そういう部分を少し深掘りして、ほりほり。


思いの外気にしてない

とりあえず、面倒な時は面倒。それで嫌な記憶もある。

という感じで、あまりこう、ね。

ごちゃごちゃ言う程気にしてないというか、環境だったり、状況次第では寧ろ、何故助けてくれるのか?手伝ってくれるのか?を聞かれたりする事も多いです。

また、学生時代は、普段イジメてる、からかってるのに、接点が無くて会話もないのに...。

相手からしたら、何故そうあれるの?という感じで、口に出してヘルプを求めてる様じゃなくても、突然声かけたと思えば手伝い出したりするタイプだったりします。

なのでまぁ、都合良く利用される、なんて事にもつながったというか。

実際問題として、自身としても、今は自室にこもって好き勝手言える環境を作ってるので、その影響があって、色々書いてるだけというか。

区別するとかいう意識もあまりないほどに、完全にケースバイケース。

それをする必要があるか?ないか?という感じで、サラッと判断してたりします。


友達がいない!

うん。でも、気にしないです。

というか、子供の頃から気にした事はないけど、その気にした事が無い様に対し、

おかしい、ありえない、と。これまた自分と違うから、そんはなずはない!って言われてました。

そもそも、友達かどうか?というのは意外と難しいもので。

成長するに従い、何でか不思議と実は...みたいに裏事情を暴露されるという事も増えた結果、思ってる以上に友達という言葉も、お互いの認識がズレてるんだなって他者の状態から観測する機会が増えて行きました。

こういう部分から、ね。

友達だと思ってたのに!という、誤解や裏切っただなんだが発生するんだなぁ、というのも気づいてたと言うか。

そういう部分をたまに思い出しては考えて掘り下げて居た結果、自身としては、

あくまで自分からの距離感でしか、捉えてないなぁ...。

という事にきづく、と。

友達か否か?というより、普段からの付き合いや、会話の回数や状態、同じ趣味から一緒に出掛けるか否か?という部分を考えてるだけで、

友達だから、友達じゃないから

という思考の発生が無く、それ故に友達の人数を聞かれても気にしない

そして、冒頭にも書いたように、そうやって自分で「自分に取って友達とは?」を向き合って考えてた結果、おかしいだなんだ言われてしまうという感じで、とりあえず面倒だから表向き合わせるだけでした。

それだけに、別に友達が居ないからって、気にしないんだけどなぁ、とも思います。

今時ネットを通じて、友達とは言わないまでも、同じくする仲間みたいな人も見つかりますし、そういうので、上手く活用すれば良いんじゃないかなぁって思います。


相談上手という経験から

どうしても、人間、安心というものを感覚的に求めてるのじゃよ。

と、思います。

不安の有無や、安心感の有無関係なく、見えない感覚的な部分から安心できるかどうか?をそれぞれ感じ取ってるっていうんですかね。

相談上手だ言われてた部分には、そういう安心にかかわる事、も目で見て、耳で聞いてわかると言わんばかりなので、上手くやれてたというのもあります。

そしてこういうのも、後で振り返れば気づけるけど、相談を受ける、話を聞くという、その状況では自然とそうなってるだけ、と言わんばかりです。

取り除いてあげようとか、無理だし、おこがましい。

話を聞くだけで、不安の元は取り除けないんですよ。だって、第三者とかいればその人をどうにかしないといけないわけで、連れて来て話させろ!なんてのも難しい。

逆に第三者から話を聴けても、その中で更に別の人...という感じで、それぞれの人間関係があるからこその、こじれみたいなのもあるんですね。

なので、キリがなくなるわけで。

とりあえず、自分は話を聞くだけ。

あとは、安心感を得る得ないは、相手次第。これは絶対だと思います。

何をどう言ったところで、不安がるタイプとかも居ますしね。

それでも、相談や話を聞くするをしてる間だけそう見えてて、影では違うかもしれない。

友達だなんだにしても、結局難しさ、複雑さというのがあるものなんですよね。


自分は実際どうなのか?

同じですよ、同じ。

難しさ、複雑さってありますし、失敗しないわけがない。

感受性がどうあれ、人間ですから感情の起伏もありますし。過去の色々から繋がってしまう事も多いです。

ですが、あくまで、自分の頭の中だけの話、という事も多いです。

また、表に出した時に、意外と当たってるという事も多いし、他者の物に対してもそうあるので、相談に乗ったりすると驚かれもする、と。

まぁ、上でも書いたように、

現状は敢えて他者から離れて、一人になれる環境を維持してる。

そういう現状があるので、そういう環境からの影響ともいえなくないです。

どうしようもない位に、朝になって陽が昇る=色んな記憶が嫌でも掘り起こされる感じですし、思い出したくないので意識をかけても難しいんですよ。それ以上に、感じとって上書きするという部分が多く働くので、潰しきれなくてアババババ。

ましてや、否応なく思い出される程に残ってるというくらいですからね。そう簡単に消せない、流せないんですよ。

そう言うのが簡単に出来れば、人間、悩みなんて少ないどころか、解決する事が増えて楽になれると思います。


外出して感じた事。

これを書いてるのは夜中で、日付が変ってる。

そういう部分から前日の午前中ですが、必要があっての外出をしてました。

ただ、ほんの1時間半程度だったのですが、移動中は胃が痛くなるわ、吐き気がするわ、でも、なんでそうなってるのか?が体から感じ取れない、不安も感情のブレもない。

うーん。

なんていうか、こう、感じとり過ぎるって大変というか、前途多難だなぁ、と思いました。

結局、幼い頃に向き合いをしてもらえないまま、無理矢理。

それだけでなく、小学校に上がる頃には過敏性腸症候群も起きてた。

過敏性腸症候群なんてのは、私が子供の頃は聞かない症状だったので、無かったかもしれませんが、それ以上に、

何故、この子は、そうあるのか?そう訴えるのか?

という受け止めとか、向き合いが無かったし、だからこそ自分がそこから何かを感じ取って、自分じゃない自分、周りに望まれる自分じゃないと生きていけないと。

そうなってしまったからか、日中の行動って、何も無くても吐き気を催したり、お腹が痛くなったり、最悪下痢もする、と。

また、吐き気=何かしら胃が影響を受けてる感じもあるので、胃炎も起こしやすい、と。

自分自身が意識出来ない、探っても何も掴めないのに、悪寒を感じたり、体が何かに怖がるかのように怖気の発生なんかもあるんですよ。

もう、無意識どころか、相当に深い所にある。

もしくは経験から刷り込まれてしまってる。

そんな感じなので、ストレスを感じないようにとか、処理した方がと言われても、どうしようもなかったりします。

家に帰る、自分の部屋に戻ると、忘れてしまうというか、何であんなに体調すらも変化してたの?ってくらいに、体が凄く楽になるし、体の方が感じなくなって忘れてるみたいな感覚もあるくらいですから。

まぁ、現状の最大の問題は。

朝が来て起きる。

それだけでも、自宅に居ても何かしら感じてるようにあるので、在宅作業ですら休み休みでないと出来ないのはどうしたものか...

そんな感じだったりします、ハイ。

自分が一番面倒臭いんですよね。客観的に見たとしても。

なので、ヤレヤレ。ってなるんですよねぇ。


あとがき

ふとこう、たまたま対人関係が苦手、という内容の物を見て。

自分としては、自分自身の整理の為の思考や掘り下げと、現実での直面については、すごく切り分けてたりします。

最初にも書いたように、何でそんなに...とか、普段から接点ないのに...とか、そういうのを気にした様子もなくヘルプ入ったりしてたので、不思議がられるくらい。

また、そうあるので、面倒見が良いとか、配慮ができるとかも言われるんですが...。

自分としては必要性の有無を、現実や環境から見とる、聞き取るした結果でしかないので、そうしよう、という意識や意思がないまま動いてたりします。

実際、何故?って言われても、見たり聞いたりした内容から、作業や状況の全体像=かかる時間や負荷も含むで捉えてしまってるので、その軽減をしようとした結果が、手伝うという事になる。

そんな感じで、目で、耳で掴んだ情報の処理の仕方が違うんですよね。

自分でも、おっかしいなぁ?って思うんですけど(笑)

で、自分でやる時は、少なからず声をかけたりしますが、手伝いが無いというのも前提にあったりするので、一人であっても作業や状況全体からの流れや、効率、発生する可能性を色々考えながら、とりあえず一人でもやるしかないからなぁってやってしまう。

作業や状況に対し、自分が何をする必要があるのか?

そんな感じなんですよね。

なので、意外と気にしないのですが、それがおかしいと言われ。なんやかんや経験する事にもなった、と。

友達かどうか?とか、友達の人数がどうこうというのも似た感じで。

気にしても仕方ないし、友達だと思い込む事で誤解や裏切りという無駄な負荷がかかるなら、気にする必要ないよねって感じだったりします。

まぁ、色々経験する事が多い、違う事でとやかく言われるからこそ、自然と自身への負荷の調整をやってるというのが、深い所にあるかなぁ、と思います。

正直、ね。

個人としては、友達にしろ、人間関係にしろ正解は無いと思いますし、自分の意見が正しいと言わんばかりに、違う人にごちゃごちゃ言うって人も居ますから、必要以上に気にしない方が楽だと思います。

この、気にする気にしないという部分も、性別と同じくバグってるというか。

何をどう言われても、自分はこうなんですが?にしかならない感じです。

なので、特殊と言えば特殊なので、役に立たないかもしれないですけどね。

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