見出し画像

ネーミングの重要性

「名付け」という作業は重要である。
名前がなければ、ものごとの存在を認識できないからだ。

私は「家事労働」という言葉も、「再生産労働」という言葉も去年まで知らなかった。
「感情労働」という言葉も最近はじめて知った。

家事が「労働」ってどういうこと?って最初は思った。
でも今は、その疑問自体が、家庭内で行われる掃除洗濯料理買い物などなどが、「生活のニーズを満たしている=使用価値がある」のに経済評価されないという状況を表していると分かった。
家事は「家事労働」という名前で呼ばれてはじめて、本来は報酬を払われるべき価値を生み出していること、そして価値を生み出していながら無償であることが認識されるのだ。

「感情労働」という言葉も同じだ。
客室乗務員や看護師、ベビーシッター、さまざまな対人サービスやケア労働では、「真心のこもった」笑顔や声かけや愛情など、労働者のプライベートな部分を注ぎ込むことが、仕事として要求される。こうした感情は余剰価値を産んでいるにも関わらず、金銭的な対価は払われない。
感情が「労働である」、心が「商品である」という認識がなければ、それに対して報酬が払われていないという現実を認識することさえできない。

名付けられなければ、こういう労働は見えないままだった。
可視化されなければ、労働ではないものとして、無償のものとしてただ搾取される運命にあった。

搾取を隠蔽させず、搾取が存在することを「名付け」によって明らかにし、名付けられた搾取を認識しなければ、搾取を克服することはできない。

見えない敵とは闘えないのだ。

いいなと思ったら応援しよう!