nama

悲観的にならないように

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最近の記事

モヤる問いには問いで返す

私の先輩が、会社の人の結婚式で上司に聞かれたらしい。 「どんなプロポーズされたい?やっぱり女子はどんなのに憧れんの?」 この2つの問いには、それぞれ1つずつ前提がある。 前提1: 女性は(男性から)プロポーズ「される」側である。 前提2: 女性は(男性からの)プロポーズに憧れるものである。 前提1は、女性は異性との恋愛関係において受動的であるというステレオタイプであり、前提2もまた女性は異性にプロポーズ(されること)に憧れがあるはずだというステレオタイプである。

    • 無力であることは美徳ではないし、私たちにはパワーがある

      一つ前の記事でも引用した本、『アンチレイシストであるためには』に、「無力だからと言う自己弁護(パワーレス・ディフェンス)」という言葉が出てくる。 「無力だからという自己弁護」とは、「権力がない(パワーレスな)黒人はレイシストにはなりえない」という論理だ。レイシストになるのは権力を持つ白人だけだという論理だ。 この本の著者イブラム・X・ケンディは、この「無力だからという自己弁護」に警鐘を鳴らす。 「無力だからレイシストになりえない」という自己弁護は、黒人が黒人を”ニガーど

      • 「女子嫌い」と言う女子だった

        イブラム・X・ケンディ著『アンチレイシストであるためには』の第11章「黒人のレイシスト」に、黒人を見下す黒人の話が出てくる。 「あのな、おれはいい車にのってるんだ。なのに、警官に車を止められて、ニガーどもと同じ扱いをされるのが嫌でね」 こう言ったのは著者の知人の黒人で、彼は”ニガーども”(※ニガーはふつう、黒人の蔑称)と、同じく黒人であるはずの自分を区別し、「警官に車を止められるようなニガーども」を軽蔑していた。 本来なら問題なのは、人種的な偏見から、黒人である彼や他の

        • ネーミングの重要性

          「名付け」という作業は重要である。 名前がなければ、ものごとの存在を認識できないからだ。 私は「家事労働」という言葉も、「再生産労働」という言葉も去年まで知らなかった。 「感情労働」という言葉も最近はじめて知った。 家事が「労働」ってどういうこと?って最初は思った。 でも今は、その疑問自体が、家庭内で行われる掃除洗濯料理買い物などなどが、「生活のニーズを満たしている=使用価値がある」のに経済評価されないという状況を表していると分かった。 家事は「家事労働」という名前で呼ば

          「差別の意図はありませんでしたが、誤解を招いてしまい、……」だと差別は終わらない

          差別はたいてい、しようと思ってするのではなく、無意識に行った振る舞いが差別であることが多い。 これまでに何回か、「それは差別ですよ」と相手に伝えたことがある。差別である証拠や理由を詳細に述べたうえで。 しかし相手の反応は、「そうでしたか、すみません。改めます」ではなく、「それは決めつけです。私は差別しようという意図はありません」または「誤解です」というものだった。 「差別しようという意図はありません。」 そりゃそうだろう。たいていの人は「差別はいけないこと」と知ってい

          「差別の意図はありませんでしたが、誤解を招いてしまい、……」だと差別は終わらない

          「ちょっと男子ィ〜〜」を嗤うけれども

          ときどき耳にする。 中学の時さ、「ちょっと男子ィ〜〜」って注意してくる女子いたよね。まじウザかった(笑) ある種お決まりの会話。何気ない学生時代のあるあるネタ。特に違和感を持たずに聞き流していた。 けれどこの「ちょっと男子ィ〜〜」イジりには、無意識の差別が含まれているかもしれないと思った。 もしかして、これは女性が男性より優位に立つことを許せない男性のプライドが生んだイジりではないか? この「ちょっと男子」という、“中学のクラスのリーダー格の女子がよく言いそうなセリ

          「ちょっと男子ィ〜〜」を嗤うけれども

          無知の知

          「あなたの価値観は間違っている」と言うことはできないとしても、「あなたの価値観は無知に基づいている」と言うことはできるだろうか 無知を指摘された時の反応はたいてい怒りだった 「自分だって考えてるのになんで考えなしみたいに言われなきゃいけないのか」というような、プライドと自己防衛の怒り それが指摘してきた相手への攻撃や嫌悪となって表現される しかし冷静になってみれば、無知であることは事実だと気づく 「相手が挙げられる具体例を自分は挙げることができない。自分は単純に、議論

          無知の知

          「人種というもの」は存在しないけど、人種差別は存在する。

          人種というものは、「人種というもの」それ自体が、本質的、生物学的に存在するのではない。 「人種というもの」そのものは普遍の本質でない。 しかし、私たち人間の頭の中に人種という概念、人種という言葉で想定される仮想的な分類は存在する。人種という集団的信仰と言ってもいいかもしれない。 人種という信仰は、18世紀以降リンネをはじめとする科学者たちが、肌の色や頭蓋骨の形などの外見的特徴を基準として人類をいくつかに分類したところから始まった。 当時、リンネはそうした身体的な差異を人

          「人種というもの」は存在しないけど、人種差別は存在する。

          「母国語」って、ナゾじゃない?ってずっと思ってた。

           プロフィールの質問項目でよく見かける。母国語はなんですか?「母国語」。母国の言語?英語ではmother tongue。「母語」。母親が話す言語。言語学では一番最初に習得する言語は「第一言語」。出身国の言語と母語と第一言語が全て異なる可能性だってある。だが聞かれるのは「母国語」。日本人で、日本人の両親から生まれ、最初に会得した言語が日本語の私は「日本語」と答える。  なぜ私にとっての日本語は「母語」でも「第一言語」でもなく「母国語」と呼ばれがちなのか。それは日本という国民国

          「母国語」って、ナゾじゃない?ってずっと思ってた。

          ブラジャーを外して、半年が経った。

          そういえば半年くらい前からブラをつけなくなった。 つけなくなったら、今までなんで、なんのためにつけてたのか分からなくなった。 肺が押しつぶされて深呼吸ができないような締めつけや、胸を人工的に成形するための金属のワイヤー、重力に逆らって肉を引き上げる肩紐の重さから自由になった。 それと同時に、「誰か」の視線からも自由になった気がする。 ブラをデザインした人の視線、ブラをするように教えた母の視線、襟ぐりからのぞいたブラ紐の色がセクシーだと言った友達の視線、名前も知らない誰か

          ブラジャーを外して、半年が経った。

          絵文字の色で迷う💁‍♂️

          いつもちょっと迷う。どの色にしようか。 肌の色はどんなにたくさんあっても「わたしの肌色」ではないから黄色でいいかなと思う。 服の色で迷う。 紫は好きな色じゃないから、消去法でナシ。そうなるとグレーか青。 グレーよりは青のほうが好きだから、いつも青にする。 だけど葛藤もある。青の人は男性っぽいデザインなのだ。 私は男性になりたいわけじゃない。女性であることにも違和がある。そもそも髪長くないし。 かといって「それ以外」みたいに、グレーでひとまとめにジェンダー「レス」

          絵文字の色で迷う💁‍♂️

          「社会の役に立たない」「生産性がない」「税金の無駄遣い」と1度でも言ったことがある人へ

          「国の負担を減らすため、意思疎通を取れない重度の障害者は安楽死させるべきだ」 「LGBTは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのか」 「高齢者への医療は社会資源の無駄、寝たきり高齢者はどこかに棄てるべき」 「大谷翔平選手や藤井聡太棋士や芦田愛菜さんみたいなお化け遺伝子を持つ人たちの配偶者はもう国家プロジェクトとして国が専門家を集めて選定するべきなんじゃないか」 「純粋ゲルマン民族を維持するため、「不適格」なユダヤ人は絶滅

          「社会の役に立たない」「生産性がない」「税金の無駄遣い」と1度でも言ったことがある人へ

          マイノリティな左利きと、鈍さの話

          自分が右利きの場合、左利きとして生きる不便さを身にしみて理解することは難しい。 むしろ理解する以前に、右利きが標準化された社会で、左利きとして生きる不便さに「気づく」ことさえ難しい。 右利きとして快適に生活していることが「当たり前」だからだ。 自分と違う左利きの人が、例えば駅の改札を、利き手でない手でピッとするのはやりづらいんだ、と気づくのは難しい。 マジョリティは自分が“下駄を履いている”ことに無自覚でありがちということだ。 だからこそ、まずは自分が特権を持っている

          マイノリティな左利きと、鈍さの話

          「そんなことで」って言うな。「被害者になりたがる」って言うな。

          あるハウスメイトがいつもどおりのリビングでの談話中に切り出した。 その人は職場で男性の同僚に「下ネタっぽいこと」を言われたという。 「なんか引っかかったんですけど、セクハラってほどでもないのかなー、こんなことで悩んでる自分の方がおかしいのかなと思って。」 ”自分が嫌だと感じたかどうか”を、彼女は”分からなかった”のだ。 他の人にその話をするほどでもないかと数日1人で悩んでから、シェアハウスの住人に意見を聞いてみようと思ったらしい。 「あなたがどう感じたかということが1番重要

          「そんなことで」って言うな。「被害者になりたがる」って言うな。

          「セクシストおじいちゃん」

          森喜朗くん(83)が会長を辞めた。女性のいる会議は長引くから、発言をある程度規制しないとだめらしい。 今度は二階俊博くん(82)が、自民党の党幹部会議を女性に見せてくれるようだ。もちろん発言権はなしで。 「おじいちゃんセクシスト」たちが世間を騒がせている。 彼らの発言を問題視する人々は声を上げた。セクシストにNOを訴える声の中に、「老害」という呼び名が混じる。 あるいは声をあげない人の中に、また「おじいちゃん(たち)」が変なこと言ってる、とスルーする感覚が見える。

          「セクシストおじいちゃん」

          Netflix映画『ハーフ・オブ・イット』とインターセクショナリティ

          インターセクショナリティの話と言ったらあまりに作品の文学性やエンタメ性を無視しているかもしれない。 だがNetflix映画『ハーフ・オブ・イット』のキーワードはintersectionalityとunderstandingだと思う。 主人公エリーは中国系で、父はPhDを持つエンジニアなのに職は田舎町の駅長。学校で彼女は中国系であることでからかわれている。 そんな彼女が恋しているのが、同性のアスター。 教会や晩餐、学校での会話から、キリスト教の信仰がものすごく根強い町で

          Netflix映画『ハーフ・オブ・イット』とインターセクショナリティ