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【適応障害×金欠女子】フリーランスになるまでの記録 〜正社員辞めました〜

こんにちは。
NALUです。
私は普段、カフェで働きながら
WEBデザインの勉強をしつつ
自分に合った働き方を模索中です。
3年前までは正社員で営業職をしていました。
今日は私が正社員を辞めたときのことを
喋りたいと思います。


22歳、無職になりました。

2020年に大学を卒業して、旅行会社に入社した私は
コロナの流行で1度も出社することなく
会社は倒産、私は退職することになりました。
旅行関係の仕事を目指して就活していたので
他にやりたい仕事もない状態で転職活動をすることになりました。
当時は近いうちにまた旅行業界で働けるという思いで
コロナの間だけいったんという気持ちで
メガネの販売スタッフをすることになりました。

23歳、夢を諦めきれず転職。

半年ほど販売の仕事をしていましたが、
その間、同級生が新卒で就職した会社で働いている様子を
SNSで見ていると、自分も本来やりたかった仕事が早くしたいと
焦る気持ちでいっぱいでした。
ところが当時コロナに収束の気配はなく、いつになれば
自分の目指していた仕事ができるかも目処が立てられず
当時の仕事内容では社会人として
何かのスキルが身に付いている実感もなくて
ずっと不完全燃焼のような気持ちが続いていました。
そして2回目の転職をしました。

24歳、メンタルやられました。

新たに転職した会社では、個人向け営業を4ヶ月ほどしました。
2回目の転職活動は営業職に絞って求人を探していました。
営業にこだわった理由は、営業職を経験すれば
社会人として必要な力を幅広くつけられて
のちに旅行業界に転職することになっても
潰しが効くのではと考えたからです。
コロナの流行が1年以上続いていたこの頃から
私は旅行業界へ戻りたいという気持ちと
もう戻れないかもという気持ちがありました。
もう旅行会社で働くことができなかったとしても
どんな形でも旅行関係の仕事に関わることはできないかと
考えるようになりました。

そして営業の仕事をしながら
フリーランスで働くことを視野に入れて動き出した私は
副業を始めようとしたり、オンラインスクールに入会したり
自分のキャパシティ以上の仕事、勉強を毎日休みなくしていました。
そんな生活が4ヶ月続いた頃、
今まで感じたことのない気持ちの落ち込みや
立ち上がれないくらいの胃痛の症状が現れはじめ
ついに適応障害と診断されました。
計2ヶ月の休職ののち
復職を視野に休職か退職の選択肢を提案され
私は退職することを選びました。

27歳の今、なんやかんや楽しく過ごしてます。

コロナで新卒で入社した旅行会社が倒産してから2年間、
なんとかして旅行関係の仕事がしたいとこだわって考えていました。
適応障害になってからは、
旅行業界でどうしても働きたいという気持ちより
どんな仕事でも自分に合ったスタイルの働き方がしたい
という考えに変わりました。
今はまだ働き方を模索中ですが、
正社員に縛られなくてもいいという考えで過ごしています。
旅行業界や正社員に縛られなくなり、
今の自分にとって心地いい働き方を選んでから
とても毎日過ごしやすくなったと感じています。

正社員でなくなる時はこれから先の不安がとても大きかったですが
3年経った今となっては、あのとき復職しなくてよかったと感じています。今でも時折、気持ちが沈んだり
どうしようもない不安を感じる日もありますが
メンタルを回復させる時間を作れる余裕がある生活ができて
正社員を辞める選択ができたあの頃の自分の感謝です。

正直、正社員を辞めたばかりの頃は
大学まで卒業したのにアルバイトをしていることに
罪悪感を感じていたし、今でも他の人からの意見は様々だと思いますが、
自分が今までしてきた転職、退職の選択の良し悪しを
判断するのは今の自分の価値観によると感じています。
なにより自分が選んだ選択肢を後悔しないように
毎日を過ごしたいと思います。

これからも自分の大事にする考えは変化していくと思うけれど、
それでも長く続けられる働き方を見つけたい
と思うのが今のNALUの考えです。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございます。


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