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話してもらえる人でいたい
仕事の立場上、人様からいろいろと相談をされることが多いです。
先日のことですが、
これまでにない深刻な相談を受けました。
相談者のご家族の命に関わる相談です。
私ごときがアドバイスするなんて
分不相応にも程があり、
正直、聞き始めて「しまった」と思いました。
しかし
この相談者は私に何かしらの信頼をおいて下さり、
『この人に話してみよう』
と思ってくれたわけです。
そのお気持ちはありがたく、
聞き始めたなら腹据えて聞くことに決めました。
私が相談を受ける時に心掛けているのは
本人が“話しきる”まで聞くことです。
相談事って、
人にする時は自分の中にもう答えはあって、
後はその行動を起こす勇気が欲しいということがほとんど。
だからこそ、
全部聞かないと実は答えはすでにあることに気づかず
余計な口を挟んだりしてしまいます。
この相談者は
同じ言葉を繰り返されていました。
そこに本人の想いが見えます。
あまりに深刻な事情と
不条理な環境(コロナ渦含め)に、
どうしようもないやるせなさや
悲しさ、辛さ、責任感、覚悟…。
とてもとても一生懸命に、
何とか涙をこらえつつ、
何が言いたいかを言葉を選びつつ、
でもどうしても
何度も同じ言葉を繰り返してしまう…。
繰り返しの話でも、
“話しきる”まで聞きます。
待ちます。
話しきって彼女が一息ついて、
私は“それ”が正しいと思いました。
彼女が出そうとしている答えは
きっと家族ができる最善のものだと。
私が今できるのは
「その答えで大丈夫だと思う」と
背中を押すことだけでした。
思いの丈を話してもらって、
彼女の話に共感し、受容し、
なぜその答えで大丈夫と私が思うのかを
専門的見地を加えつつ伝えました。
約30分。
話し終わった時、彼女の表情が緩んでいたのは救いでした。
こうやって赤の他人に話しながら
気持ちの整理ができていればいいのですが。
でも難しいですよね。
自分が経験していないことに共感するって。
「わかる~」ではなく
いかに本人の気持ち“そのまま”に寄り添うかですから。
できるだけ
『話してもらえる人』でいられるよう
今後も精進したいと思う出来事でした。