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ありがとう貯金を始めたせいで、脳みそから消去された一瞬を延々と探し続ける羽目になった


あれ?私……どうやってこのフォークを手にしたんだっけ?

……こんな疑問符が浮かび、ミニサラダを口に運ぶ手が止まる。


三連休の中日。
夫と息子と、3人でやって来たステーキ屋さんにて。
日替わりランチのポークソテー・唐揚げプレートに優雅にミニサラダまでつけた私は、ドリンクバーで白ぶどうジュースを汲んできてから席に着き、フォークを手に取るまでの記憶が、驚くほどさっぱり消え去ってしまっていた。

左隣に座る息子が、メニュー表やら備え付けナプキンやらにイタズラをしないか注意を傾けつつ。
気づいたら、私はもしゃもしゃと千切りキャベツをほおばっている。
いつだ?私はいつ、どのようにこのフォークを手にしたのだ……


あまりにどーでもいいフォークの入手方法がここまで気になってしまう理由は、「ありがとう貯金」なるものを始めたことにある。

夫や息子に対し、感謝や幸せを感じた瞬間に、その内容をメモ紙に書いて500円玉を包み、貯金箱に入れる。
ある程度まとまった金額まで貯まってきたら、夫や息子に還元してやろうではないか、という。
我ながら、かわいげのあるものを始めたものだ。


「このフォーク、私がカトラリーボックスから自分で取り出したのだろうか?」
「それとも……夫が手渡してくれた?」

カトラリーボックスは、息子のいたずら対策のために、向かいの席に座っている夫のすぐそばに移動してある。
一度座席に腰かけた私の短い腕では、そのカトラリーボックスまでは手が届きそうにない。
ということは、椅子に座る前に私が流れるようにフォークを取ったか、それとも……


もし夫が手渡してくれたものなら、絶好の「ありがとう貯金」チャンスである。
でも……ドリンクバーからテーブルまでの来た道に視線を向けて数分前の記憶を辿ってみたり、つい数秒前まで交わしていた夫や息子との会話に思いを馳せてみても、どうしようもなく気になる「私はどうやってフォークを手に取ったか」の部分の記憶だけが欠落してしまった。
どこにも、もうその記憶はない。


「人間は忘れる生き物」という言葉もあるくらい、私たちは1日にたくさんの情報を脳みそに入れては捨て、つまり覚えて(認識して)は忘れ、を繰り返しているらしい。
脳みその容量は限られているから、大量の情報を受け取っては「これは覚えとこ」「これはいらんやろ」と、バシバシ捌いているのだと。
脳みそさん、毎日情報の仕分け作業をしてくれて、ありがとな……

でも、脳みそさん。
私、この瞬間については覚えていたかった。
(そう思いながらも、口の中ではもしゃもしゃとドレッシングの甘酸っぱさと野菜の歯応えを楽しんでいる我)


痺れを切らして、夫本人にも聞いてみる。
「ねぇ、あなたがこのフォーク渡してくれたっけ?」
「え?……いや、わかんない(だいぶ不審そうな顔)」

くそっ。
フォークの登場シーンについては、夫婦共々「いらん記憶」として処理されてしまっていたらしい……


夫がくれた優しさの瞬間と、私のかわいげ溢れる「ありがとう貯金」チャンス。
このフォーク、どっから来たの?


ステーキ屋さんを出て、駅に戻る途中に催してしまった息子のおむつを換えてあげているときも。
ニューシャトルに乗り、大宮の鉄道博物館のチケットを購入しているときも。
「だっこぉ」とせがむ息子をうまいことあしらい、かけっこ勝負に持ち込んで芝生をパタパタとかけていく小さな足跡に目を細めているときも。

脳みその片隅では、あの瞬間の真相を探している自分がいた。

帰宅、夕食、お風呂、寝かしつけを経た今でさえ。
いや、なんなら余計にあの答えが気になっている。


ええい!!
こんなんに神経注いでたら、きっと他にもわんさかあるはずの大事な瞬間を、脳みそさんがいらんボックスにポイしてしまうかもしれん!!

メモ紙にこのように書き記して、「「「フォーク」」」で埋め尽くされかけていた思考回路にケジメをつけた。

夫さんがステーキ屋さんで、きっとフォークを手渡してくれたと思う
多分そう


ただ、毎回都合よく500円玉が財布の中に入っているわけではないので、今回分はまだ貯金箱には収まらずに前借り状態になってしまった。

500円玉を手に入れた頃には、こんなことで1日頭を悩ませていたことすら、忘れているだろうな。

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神田なり
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