見出し画像

杳として知れず ⑬ 告解

 招かれた場所は街の富裕層エリアから離れ、街で従事する人々たちが多いホームタウンとなる地区の閑静な住宅地にあった。日中、働くもののほとんどが家を空け、家を任されるか在宅で仕事をする以外には誰もいないような、無人に近い静けさが漂う。
 そして、そこのエリアに入る際は事前に、簡単なチェックを必要とした。

 そこは平屋に近い作りの一軒家で、道路沿いに面して建てられているが敷地内を見られないよう工夫されている。一見、ごく普通に見せつつ、しっかり外からの目線が計算され、はっきり見られないようにガードが徹底していた。

 このカウンセラーはボランティアと謳うとおり、カウンセリング料金を取らないらしいが、情報として求める内容には正確さを求め、嘘をついてはいけないと徹底した。本来なら一介のボランティアに、そんな効力などない。しかも掲示した情報に不備がある場合は即時終了と一筆添えることで、依頼側には考えうる安易なごまかしを牽制する効果を生み、同時にカウンセラー側にも相手の質を見極める、いい判断材料となる。それに、そこまで予防線を張るほど嫌な経験があるのかと、心配になるくらいの慎重さだった。何よりも彼女を知りたいという一縷の望みを託す者にとっては、このカウンセラーとの繋がりを断つことは、これまでの努力から大きな後退を意味した。
 

 なにしろ予約を取るまでの間に幾つも段階があり、問い合わせフォームから設問メールの次はチャットでのやり取り、リモートでの(相手は音声のみだった)面談を経た上で、ようやく対面でのカウンセリングの許可が出たのだ。それまでにも常に、ちょっとでも横道にそれれば、即終了というお決まりの謳い文句がチラついていた。そこにはどんな些細な違和感も見逃さないことと、こちらの向き合う姿勢が試されているような趣があった。対面でのカウンセリングには、しばらく忘れられたかのような間が空き、いきなり昨日の夕方になって"明日の午前中ならば"と突然、申し出された。今日中に返事が無ければ今後一切、無効になると告げられた。全ては悪戯目的での利用を避けるための対処だと理由が添えられていた。

 僕は目的の場所が、その家であるということが分かってから時間が余っていたので、少し離れたところから様子を眺めていた。外観が目の錯覚を利用し作られ、傍目には入り口がどこかが分かりにくい。すると、そこへその家に配達人が訪れ、壁の隙間に入っていった。上背よりも倍近いほど高い外壁は、配達人の行方をすっぽり隠してしまう。注意深くそのまま見ていると、急にその配達人は入口とは別方向から外に現れたのだ。つまり入口と出口が別に存在するらしい。

 それを見た僕は、ますます妙に警戒の強い仕組みの中に存在する、カウンセラーの正体が気になってしょうがなかった。

 やがて配達人が去り、家の周辺が再び無人の静寂を取り戻した頃、僕は時間に合わせてゆっくり家に近づいて行く。そして配達人と同じように角の壁に空いた隙間から入ると、壁の一部分が回転する仕組みになっていた。つまり一度、中に入ればそこからは出ることが出来ないのだ。僕は家と外壁の間を片側通行に道なりを歩き、敷地内の高い壁の上部に取り付けられた、監視カメラの訪問者の動きに合わせて駆動するのに気づく。これすらも悪戯目的での訪問などを防ぐ意識の高さと、"軽い気持ちの遊びでも、踏み入れれば容赦しない"という強い意志の表れを感じさせた。

 外壁の上部の日差しを遮る屋根に、日差しが翳るほど家へと近づいていく。歩いていく途中の家の壁沿いには郵便受けと大きめな荷受け口があり、配達人は家の中を入ることなく立ち去れるようだ。完全に日陰にすっぽりと匿われる位置に辿り着くと、ようやく家の玄関が見えてくる。扉は二つあり、ほぼ直進するだけの右側の扉と奥側に位置する左側とは、間が仕切られていた。
 僕は奥にある、閉ざされた左ではない方へ誘導されるように歩を進めた。

 訪問者を映し出しているであろうレンズ付きのインターホンを押すと、内側から短い起動音が鳴り、解錠音とともに少しだけ扉が開く。扉を開けて家の中に入ると床はカーペットが敷かれ、靴箱もスリッパも何もない。ある程度進むと扉は人感センサーで自動的に閉じた。中は人が二人ほど通れる幅の廊下しかなく、まっすぐ突き当たった薄暗い先には玄関と同じような扉だけがある。周囲の壁は全てクリーム色になっており、暖色系の灯りが天井に埋め込まれ、ほのかに扉までの行き先へ照らす。光の恩恵を受けない部分は暗く耳の底に残る、かすかな起動音を響かせた。玄関の扉と同タイプの扉が訪問者の顔をしっかり映すようになっているようだ。
 ゆっくりとドアの前まで近づくと、今度は何もしなくても扉が大きく開けられた。

「本日は、ありがとうございます。どうぞ中へ」

 物々しい厳重な警備の奥から招かれたのは、丁寧な物腰で柔和な印象を与える小綺麗な少し年上の青年だった。細身の華奢なインテリっぽく身だしなみも清潔に整えられ、嫌味にならない程度にオシャレで、欲深さとは無縁そうな上品さが滲み出ている。ドアの向こう側は壁を取っ払ったワンルームの作りで、小さめのキッチンを居間につけたようなインテリアだ。若者らしくチープな雑貨がセンスのいいモデルルームのように置かれている。それより入って目についたのは、大きめの窓から周辺にある家々が、何をしているのかがはっきりと分かることだ。僕が眺めていた位置は見えなかったが、道路沿いの家の側を通るものは、ここから丸わかりだった。
 僕の目線に気づいたのか、青年は道路沿いの窓のカーテンを引きながら、僕に指定したソファへの着席を促す。そこには一人分の淹れたてらしい紅茶と茶菓子が置かれ、窓を背にする位置にあった。

 座る前、僕は目の前の人物がカウンセラー本人であることを確認した。今、目にするまで僕はこの青年の顔すら知らないのだ。

「はい、そうです。これまで随分、回りくどくて大変申し訳ない。仕事柄、必要以上に周知されることは望まないので」

 そう言いながら彼はマグカップを持ち、僕と向かい合わせに座る。その位置はもちろん壁を背にし、窓から周囲を全て見渡すことができた。そして僕の話に相槌を打ちながらも時折、瞬発的に忙しなく目を動かしていた。

「ボランティアとはいえ、ここでのことは私が持つ守秘義務によって守られます。ただし君にもこれまでお知らせした通り私のことを含め、全て口外無用を遵守していただきたい。ちなみに渡された名刺はお持ちですか」

 カウンセラーからの口頭での注意を改めて受けながら、渡された誓約書にサインした僕はカバンにある名刺を入れた財布を取り出し、中に入れていた名刺を青年へ返した。その際に、カバンからこぼれた携帯電話の電波が遮断されていた。

「すみません、ここは盗聴防止などの懸念から電波を全て遮断しています。緊急時には、備え付けの電話をお貸しします」

 彼を相手にする場合、定めたルールに準じねば事は進まない。それをちょっとでも違えれば、たちまち踵を返してしまう。つまり初めから主導権は常に向こうにあり、そこまでせねばならないような、恐れる何かがあるらしい。しかしボランティアとはいえ随分、警備体制がしっかりしている。病院の心療内科だって、ここまで厳重ではない。

「・・・わかりました」

 カバンに携帯電話をしまいつつ、定められるルールをかろうじて飲み込む僕に、カウンセラーは少しだけ困ったように微笑んで紅茶を勧める。

「遠慮せずどうぞ、味は保証しますよ」

 どこかで聞いた似たセリフに躊躇しながら、僕は言われるまま一口だけ口にする。すると訝しげな僕の口内で香り高いフルーティな味わいが、ふわりと広がった。未知で形容し難い衝撃的な旨さに、僕は思わず驚愕し目が見開く。そんな僕の様子を見た彼は晴れやな日差しの煌めきのように、品のいい笑みで満足げに喜ぶ。

「お気に召してくれたようで良かった」

 予想以上に喜ばれたことに、僕も少し気の張っていた雰囲気が朗らかにゆるむ。だが意識の奥に潜めていた彼女の存在が、一気に浮かび上がるような一言が発せられた。

「ここに来たのは彼女について、でしたね」

 この面談に至るまでの過程において、僕はこれまでの一連の出来事を、かいつまんでで彼に伝えていた。夢の街のこと(あの夜の密な交わり以外)も、それからこの二年の間に起こった発作の症状が酷かった辺りの話も、突飛に思える荒唐無稽な持論も含めて茶化すことなく。

 僕はようやく本筋に入ったとティカップを置き、姿勢を正す。柔和だった青年からシリアスな雰囲気のカウンセラーに切り替わった彼は、僕に一つの疑問を掲示した。

「大体の事情は理解できました。私から一つ、確認を宜しいですか?君は彼女のこれまでを知りたいのですか?それとも行方を?君の持つ目的を明確にしておきたい」

「できれば僕としては、真実を知って納得がしたいですね。一応世間的には巨悪が墜つような形で決着がつきましたが、当事者に含まれている僕自身は、終わった気がしない。なんだか知らぬ間に利用され、気づけば蚊帳の外に置かれたままの気がして・・・。それも事実なんでしょうけど、きちんと決着をつけたいんです」

「彼女に、会いたいと思ってますか?」

 僕はカウンセラーからの問いに、しばし返事をせず沈黙する。僕の脳裏には残像のように記憶の隅に微かに残る、発作ゆえの暴走へのスイッチが入る瞬間がよぎった。あんなことはもう繰り返したくないし、彼女に会うことで再び引き金になるようなことも嫌だ。正直な話、僕には現実で顔を合わせ、理性を保てる自信はなかった。

「それは・・・転落事故以来、現実で僕らは顔を合わせてない。彼女のことを何一つ知らないままの、今はまだなんとも」

 ただ、会わないと言えば、また逃れてしまいそうになる予感があった。どうにか返事を濁した僕は逆に、彼女もここに通い、話したことが守秘義務で守られるなら、彼女について何も話せないのでは?と指摘する。青年は、それを肯定した。

「そうですね、確かに彼女は一時期、患者ではありました」

 カウンセラーは少し前屈みになり距離を縮め、続きを話し始めた。日が入る明るい部屋の中は全ての音を遮断し、快適で乾いた静けさが広がっている。

「ですが、その前に私と彼女、それからあなたの担当医でもあった男とは親戚なんです。元担当医は現在、山奥にある医療の研究施設に入っています。それはあなたもご存知ですね、ちなみに彼はもう研究者ではありません。そして施設から出ることはない」

 今、彼女に変わり全ての鍵を握る、目の前のカウンセラーは予言めいたように僕へ、新たな情報を与えてくれる。だがそれが事実かどうかを、今は検証できない。

「なぜ、あなたは知ってるんです?彼らと親戚だからという間柄は関係ないでしょう」

 麗しい上品なカウンセラーは丁寧な口調で、詳しくは話せないが自身も関係者だと、事情をぼかしつつ明かした。だが推測の域を出ないまでも青年自身、その研究施設に関わりがあろうことと、だからこそこれまで再三に渡って僕に口外無用を徹底していたのだと理解した。

「私は彼女たちが、あなたに及ぼしたことへの罪滅ぼしを身内という立場で申し上げています。ですが内容には仕事上、関わる事案も含んでいるため、時間をかけお伝えしていたわけです。ちなみに彼の研究は白紙になりましたが、被験者である彼女は現在も保護対象にあります」

「その研究の白紙が、いつ頃かは教えてもらえますか?」

 恐る恐る訪ねた僕の質問に、青年はあっさりと答えてくれた。それはちょうど僕の発作が発症しなくなった辺りと一致しており、やはりあの発作は精神的な彼女とのリンクしたことが関連することが濃い可能性が生まれる。
 それはまた研究の再開などで彼女とリンクしてしまう可能性と、その影響下において自分では制御できないことを繰り返すということだ。無意識下での操り人形など、もうごめんだ、たとえそれが正気を保っていたとしても。

「あなたが懸念していることは、理解しています。無意識下での暴走行為を恐れているのですね?正確には彼の研究によって技術的に引き起こされるものか、もしくは経験やトラウマでの刺激により引き出された、自分自身の資質によるものかも含めて」

 未知の不安を恐れる僕の懸念を、対面する麗しき青年は冷静に分析してみせた。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?