杳として知れず ⑪ 夢のあと
彼女の作り込んだ夢の世界は役目を終え、崩壊が始まる。それは現実で引き起こした完全犯罪の証拠を抹消する行為だ。だが現行の法律で裁かれることはない、立証しようのない証拠なのだ。今の法律が定める想定を超える技術が使われ、立証が難しい犯罪。これは自分の取り巻く世界を壊された少女による、我が身を賭けた復讐劇でもある。
「僕も、君にターゲットにされた一人ですか?」
それに彼女は少し、しおらしく申し訳ない表情をした。
『あなたがこういう形で巻き込まれることに関しては、本当に申し訳ないとしか言えない。なぜ、ここまで深く関わったのか私にもわからないから。ただ、あなたという存在には、とても助けられてた』
「同時に利用した。そうでしょう?あなたはチャンスを逃さない、自分をこれだけ犠牲にしているんだから一切、妥協しないはず。偶然を必然にしたんですね」
僕からの指摘に黙ることで、彼女は肯定する。確かにかかりつけの医療機関があれば、そこへ運び込まれることは容易に想像がつく。それまでは患者として履歴を重ね担当医の研究を利用しながら夢の街の創造に時間を費やし、然るべき最も効果的な時を待つ。それに担当医が共犯ならば病院内外で、研究を通したリハーサルなども充分、行えたかもしれない。
「きっかけは、お父さんが亡くなってから?」
彼女は頷いた。声を小さく低くめ、感情をも抑えるように続けた。
『父は母が大好きだから絶対に離婚しなかった。死後も母が籍を抜かないのは、配当されるお金を貰うため。お金さえあればあの男は離れない、二人を知る父の"思い通りにはさせない"って、せめてもの抵抗らしいけど生ぬるいのよ』
見てるだけで歯がゆいのよねと、人ごとみたいに動機を語る。彼女が自分の母親をもターゲットにしていると知った時、僕が巻き込まれた理由の一端に気づく。
「だからあの病院で、あの部屋なのか。僕の父のことを・・・」
『幼少期から、何遍も恨み言を聞かされ続けたら嫌でも覚える。まあ一方的な視点だけだし、私情も絡むから真実じゃない。そもそも親が子供の頃に大人たちが遊び半分での口約束で、実際は母の一人相撲だったの』
彼女の母親が、病院や彼女の病室にも長く居つかない理由は、僕の両親の居場所であったことも関係していたのだ。だから母親をイラつかせるためにも、あの部屋が必要だった。父が医療費を全額賄うと言った背景には、過去の彼女の母親への配慮もあるだろう。あの母親の判断基準が金ならば当然、断らない。
『先生だって高額な医療費の支払いだって母に長く纏わりつかれるより、肩代わりした恩に着せて断絶する、そういう意図もあると思う。母の性格は熟知してるだろうし』
僕は、ここで過剰なほど肩入れする彼女の亡き父親に興味を持った。彼女に関心を持たない母より父を選ぶことは必然のようにも思えるが、それだけが理由ではないのだろう。彼女は亡き父親がきっかけだと言うが、父親の敵はあくまで妻と不倫相手の友人だ。ならば彼女に危害を及ぼした塾仲間の連中は、余波を受けただけなのか。
いや、そんなはずはない。確かに復讐においては不確定要素を含む事象はあった、しかし彼女は危害を加えた連中を容赦せず、決して許すことはない。関連した人物は根こそぎ一人残らず、罰しようとするはず。彼女はああ言うが、きっと僕も彼女にとっては罰したい対象に違いないのだ。
そう言う意味では、僕も彼女からしっかり罰を受けた。母の最期を過ごした部屋は、渦巻く欲望に塗れた彼女らにしっかりと汚され、復讐においての拠点にされた。さらに僕は何も知らぬまま、結果的に彼女の計画を遂行するアシストまでする始末だ。そうして正体を現さぬまま大多数の人々を巻き込み、雫程度の小さな波紋を大きな渦にまで波乱を起こし、蓄えた人々の憤りという力を向かわせる先を見事に収束し、これまで誰も敵わないとされていた巨大な一族の牙城を切り崩す一助を担った。
「やはり僕を巻き込むことは必然だった。君はあの女子を唆し、わざと僕に関わりを持たせた。あの女子が関われば一族である塾仲間の連中がどう動くかも当然、想定済みだから。転落した時の衝突については予想外だったろうけど、何故だ?」
彼女は、あのクラスメイトに弄ばれたから、と吐き捨てた。
『初恋相手のあの娘が本命だけど、一族が認めないから表向きは付き合えない。で、妥協するって愚かでしょ、それを容認してるあの娘もよ。バカ同士で一緒になればいいのに、恵まれた暮らしは手放せない。そのくせカモフラ相手に選んだあなたに嫉妬して、関係ない奴らを使っていたぶった。相当苦しめられたでしょ?』
甘く囁き、まるで自分達は同じ被害者同士なんだと共感させ、怒りの矛先を彼らに向けるよう嗾ける口ぶりに聞こえる。共感を求めてくる彼女を信用しきれないのには、背後にある担当医の存在があるからだ。この手法すらも"彼の技術"だから。
『けど、あなたは分かってた。カモフラ目的の、あの娘があなた越しに見てるのはスペックとステータスだけだって。実際、何もさせないだろうし』
しかし僕が乗ってこないところを見るや、素早く対応を修正してきた。
「クラスメイトが気に食わないのは付き合う以前に僕が断ったからさ、ところで周囲の人を思い通りに操れて気は晴れたかな?けどそれで愛する父親の恨みは果たされたのかな?・・・一緒にしないでくれ」
お望み通り、憤りの矛先を『元凶』へ向けた僕に彼女は頑なに冷淡さを保ち、やがて開き直ってペラペラと喋りだす。
『あの日、揉めた理由を教えてあげる。あなたにしたように『あの娘とも』してたの、それで血相変えて『証拠』を取り戻そうとして暴れてたわけ。仲間には父親のことで脅されたって嘘ついたようだけど、逆にあのバカは強く出られなくなった。自分も同じように押さえられてるからね』
彼女がしたり顔で吐く事実に、僕は目眩を起こしそうになるくらいの不快さを抱く。
「君が手懐けてる担当医だって、信頼できるか?征服欲も強く、隷属したように見てる君への独占欲も酷く歪んでる。彼にだって同じような罠を張ってるんだろう?そんなやり方、はっきり言って危ういぞ」
『親切に、ご忠告どうも有難う。みんな同じだもの、あのバカな連中と何ら変わらない。・・・いずれ無に帰するまでね』
冷酷な笑みを浮かべ、彼女は僕とのやりとりを、実に楽しそうに仰々しく対応してみせた。火がついた闘争心が言葉尻に煽る文言を付け足す。最低限の愛想で品性を維持し、彼女の中で確信する勝者感による自信に満ちている。
「それが全てに対する答えか?」
『別にあなたに理解してもらおうなんて思ってない。ただ知っておいてほしいだけ、私と一時、全く同じものを共有した奇蹟を』
彼女の感情を殺めたに近い、翳りある表情は街の崩壊が悲鳴のように墜ちてゆく様を耳の奥にまで、目の前の彼女の心のうちで激しく咽び泣くように響き、やがて通り抜けていく。わずかな残響は空気に淀んで儚く散っている。
「もしかして君は亡くした父親の境遇を、僕に重ね見てないか?だから時折は責め、思い返したように手助けするんだ。そこには愛した者が抱えた孤独を、救えない自分への贖罪と安直に死を選んだ父親への断罪がある。そして父親が抱えた救われぬ孤独を、同じように味わっているんだ。無償の愛を持ってしても救われない、助けられないと気づいてしまった。それが担当医の研究を知って抱えた罪の意識を払拭する、最大の方法を思いついた」
彼女は無を貫き、はっきりした返答を避けるが、おおかた外れてはいないのだ。しかし僕がどれだけ熱弁を振るおうと、全ては消滅する夢の世界の中に収められる。たとえ表に出たとしても、それは与太話だと片づけられるだけだ。
「担当医はどこまで把握してる?」
彼女は僕の問いが的外れとばかりに、鼻から息漏れる笑い方をする。
『必要なものは与えてる。欲しいのは研究のフィードバックと、都合の良い関係だけ。愛だと思ってるんだろうけど、私には通じない。それもいつか分かるだろうけど』
「僕は君の父親とは違うし、同じようにもならない。これも覚えていてくれ」
それを聞いて、彼女はかすかに口元を緩めた。
『それなら慢心には気をつけて。あなたが本当の孤独を知った時、きっと想像以上に心を蝕んでることに気づくから』
彼女はベッドから立ち上がった。そしてひとり、壁に向かって歩いていく。僕が同じように、後をついていこうとするのを遮った。
『私はもう時間なの、あなたとはここでお別れよ。ここはあなたの空間、帰る扉が現れるまでは』
「帰る扉?夢の街は崩壊されるんだろう?僕はなぜ出られない」
僕に背を向けたまま、"あなたが知りたいものを見れると言ったら?"と彼女は言った。四方の壁には配信動画サイトさながらの、無数の画面が浮かび上がる。どれも彼女からの視点で見た、これまでの一連の出来事を表しているようだ。一方で、あらためて戦いにで向くかのように気合いを入れた、若さの残る制服でも美しい後ろ姿は隙のない緊張感が周囲にまで漂い、独特な存在感を残す。
『きっとあなた、見始めたら出ようとは思わなくなるわ。そのベッドの眠り心地は保証する、もうあなたを痛めつける夢は見ない』
そう予言を告げた彼女は背を向けたまま一度も振り返ることなく、カーテン越しの壁を通り抜け、消えた。僕はその後、壁に触れては表示される動画をつぶさにひとつずつ眺めていった。いなくなった彼女に言われた通りに。
やがてそれらを終えた僕は体をベッドに横たえてみる。預けた体にしっかり密着するように吸い付き、抜群に安心できる強度に支えられると、いつの間にかこれまでのように安穏とした睡魔が訪れた。
ベッドには先に横たえていた彼女の残り香が淡く漂い、いないはずの隣に添っているかのようだ。この触れるベッドの感触の覚えが、同じ肉体に存在していた頃に味わった彼女自身の肌との酷似に気づく。繰り返す浅い呼吸の中にまで彼女の香りが浸透すると、僕はこの香りに包まれながら自然と眠りについていた。ベッド中のどこに寝返りをうっても、そこかしこに儚くとどまる彼女の幻を感じながら。
ふと、眠りから解放されると、鈍くじっとりと重苦しい疲労は晴れ、健やかな気分で目を覚ました。空間は相変わらず青白さを保ち、夏の午前あたりの日差しを思わせる明るさのカーテンから漏れてくる光。崩壊する夢の街が見られるかと思い、思い切ってカーテンを避けて窓を覗く。しかし、そこには見えるものは平凡に揃えられた芝生と、景観を遮る白い煉瓦模様の壁一面ばかりで、崩壊したという街の跡形など微塵もない。
また彼女に、最後まで担がれてしまったような気持ちになる。
窓から離れると彼女が去った方向の壁に、うっすらと扉が出現していた。彼女の言う『帰る扉』は、目覚めを僕に告げるように静寂な空間に鎮座している。僕はその扉に向け、足早に歩きだす。
扉は何の障害もなく開いた。そこに見えたのは目が潰れるような真っ白な闇だった。全身を吸い込まれるような感覚に陥り、僕はその流れに身を任せた。
徐々に様々な音が入り込んできて耳の中で賑わう。開かれた瞼からは見覚えのある懐かしい風景が広がる。かつて母の亡くなった部屋だ、僕を見て、途端に慌てふためく病院のスタッフたち。機械の動作音を始めにした、空間でのあらゆる物音はここにいると宣言する存在証明のようだ。
戻ってきた現実は、生きている騒々しさに満ち溢れている。
「院長、息子さんが意識を取り戻しましたよ!」
病院スタッフの誰かが叫んだ言葉で、僕は自分の体に戻ったことを知った。あれからだいぶ時間が過ぎ、学校ではとっくに夏休みが終わっていた。そしてしばらく苦しめられた夢からの終焉と共に、あの担当医と彼女も姿を消していた。彼女は僕よりもニ週間ほど早く、覚醒しており僕が意識不明のままでいる間に後始末を済ませ、かかった医療費を全額支払って退院したようだ。
クラスメイトを含む塾仲間の連中は、これまでに比べれば実刑という重めの処罰を食らったが、やはりここでも権力の影響は高く、一番厳罰だったのは、あの女子だけだった。他の連中とは違い、女子だけが二度と足を踏み入れることも許されない街からの永久追放とされた。一族の人間を誑かしたとみなされたのだろう。その初恋相手の厳罰に、クラスメイトは成すすべがなかったようだ。彼らは学校を退学処分となると、二度と関わるなとばかりに方方へ散らされ、ひっそりと姿を潜めたようだ。今、彼らがどういう処遇にあるのかはさっぱりわからない。彼らの問題を一族で賄ったことに対する禊か、彼らの存在は公式的なものに一切、表されることはなく消されたが生存は確認されているようだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?