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杳として知れず ⑭ 青年への疑念


「彼の研究が断たれたのには幾つか理由があり、重大な欠点が明らかになったためです。あの研究は非常にパーソナルなもので人を選びました。研究が役立つ分野は存在しますが、現時点で有効な効能があるとは証明できないのです」

 清廉な青年は秘匿さが保たれた空間で静かに語る。その様子に僕は彼女としか入れない、夢の街での白い空間を思い出していた。現実的に今、この部屋は同じ機能としての役割を果たすも、強いて言うなら規模に違いがある。現実ならこじんまりと、まとまる小部屋という所が、より"らしさ"を増す。

 僕は青年に、街での元担当医の裁判について知っているかを尋ねた。関係を持っていた元看護師が未成年を含む淫らな女性関係を告発、訴えを起こしたが結局、元担当医は一度も出廷することなく弁護士に一任し、本人不在のまま速やかに事を終わらせた。
 その結末は相手の一番欲しいエサをチラつかせ、食いついた後は死人に口なしとなった。ちなみに犯人は捕まっていない。

「もちろん存じています。機関の秘匿事項を保ちつつ、この地域の情報は全て網羅しているので。場合によっては、街で流布されるよりも正確に」

「その研究の技術を悪用した元担当医によって、避難場所として利用されても?」

 しかし青年は僕の一言に全く動揺することなく、"それは立証されましたか?"とだけ返す。言い放った青年の、その目は鋭く冷徹で全ては承知済みだという答えを、暗に示すようだった。青年は親戚の犯した過ちの尻拭いに、僕と向き合っている。自らに課せられるらしい、秘匿事項に触れる事案であることも理解した上で。

 だが今の青年の態度は、その初めの印象を大きく覆している。親戚としてよりも、むしろ機関という謎めいた学術組織の抱える、秘匿事項の漏れを炙り出すために派遣された人間かのようだ。そんな疑いが生じる振る舞いを見せた青年からの問いには、黙るしかなかった、今はそれが僕の適切な答えだった。
 青年はそれを汲み取ったように話を続けた。

「"機関"が認めたのは彼の"アイディア"です、今すぐにでも解決せねばならない分野への治療法としては画期的でした。そのために必要なことであれば何でもします、"機関"には、確かにそういう面もある」

 そして、それこそが彼らにとっての勝因に繋がったのだ。悔しさが込み上げた僕は、瞬間湯沸かし器のようにカッとなり、思わず何の罪もない青年に噛み付いてしまう。

「そういう特性を元担当医に利用された。彼は万が一にと、彼女と自分を匿う"施設"と取引したんだ。保護対象になれば捕まることはない、あんなマヤカシの研究理論をエサにして・・・」

「それで納得なさるなら、どう捉えられても構いませんよ。そのマヤカシの研究とやらは実体験した、あなたが一番良くわかるはずですし」

 もし青年が、本当にボランティアとしてカウンセラーの経験を積んでるなら、僕の反応も予測済みなのだろう。青年は全く動じることなく淡々と僕をいなした。我に戻った僕は振り上げた拳の下げどころを探して、やりきれない感情のまま首を垂れる。逆らおうと抗おうと、目の前にはだかる強固な存在に打ち勝てないと自覚しながら。

「彼の研究理論に基づき、幾つか治験を行いましたが成果が上がりませんでした。いえ、正確には全て失敗したのです。今、思えば彼は初めから、研究を売り渡す気は無かったのかもしれません。やがて彼は精神を破綻しました」

 少し前に、元担当医はもう研究者ではないと青年は話していた。この末路なら研究者でなく、被験者として貢献することになり死してなお、施設内から出ることはない。
 元担当医はそこまで計算した上で決断をしていたのか。いや、彼はあくまで役に立つ有能な技術を携えた共犯でしかなく、そもそも彼だってパーソナルな目的での研究を利用されたにすぎなかった。

 現在も手厚く保護されているであろう、もう一人によって。

「告発されたスキャンダルにあるとおり、彼女とは古くから男女の仲にありました。私が彼女のカウンセリングを担当したのは、彼女の母親が娘と夫との関係を疑ったためです。ちょうど多額の負債が発覚し揉めていた時期で、学校で娘が嫌がらせに遭うので預かってほしいと。ただ、それは母親が不倫相手に会うための口実でしたが」

 ここで一度言葉を切ると青年は、ふうっと少し重苦しげにため息をついた。少しでもかかる負担を減らすように。僕は黙ったまま話の続きに耳を澄ます。

「彼女はカウンセリングを受けつつ、次第に独学で心理分析を少しずつ吸収しました。あくまでも父を助けたいという理由でしたが、一方で母親の不倫を黙認し別れない父を理解できないとも苛立っていた。そういう意味で、あの母娘は似た者同士ですね。というか彼女の家族は皆、一方通行なんです。娘が思う父は子より母を選び、その母は夫より娘を選んでも愛情はない、あるのは常に比べられるが故の同族嫌悪でしょう。あくまで娘を選ぶのは比較対象が夫だからで、不倫相手となら即行で娘を切り捨てる。人目を気にするわりに、人の話すらロクに聞きませんが」

 僕はかつて彼女の意識下にいた時の、彼女の母親との噛み合わない会話を思い出していた。こちらの求めに応じず母親は自分語りを貫き、それは娘より自分のことしか関心がないことを表していた。多少のライバル意識も影響したかもしれない、もし不倫相手に娘が気に入られたら、捨てられるのは自ずと理解できただろう。

「じゃあ実際に、彼女は父親とは関係を持っていないと?」

「それはわかりません。確かに父親への執着は凄まじいが、彼女が関係を持ったと認めたのは、当時医学生だった元担当医だけですし、彼らには愛しい相手に振り向いてもらえないという孤独な共通点があった。見方によれば似た境遇を慰め合ったともいえます、彼は幼い頃に母親に先立たれ、親族に馴染もうとした継母により厄介者にされた。そのうち彼は夢を媒介とし、他者と共有するという机上の空論を思いつく。これまでは非常にシンプルで凡庸な空想に過ぎませんでしたが、それを現実にしたのが彼女の存在でした」

 僕はそれを、恋愛関係を通した人との繋がりによるものだと解釈した。いわゆるベタな愛の力で、研究理論を実用段階にまで引き上げるサポートの役割を果たしたと。

「私も同時期に医学生でしたが、彼が医学部へ進学したのは別の目的があり、実際には大学へ通学せず医療系のバイトに明け暮れていた。それは自身の研究を進め、機能させるための薬物の選定です、やがて学部を起点に広く学生の間で薬物が蔓延し、問題にはなりましたが表沙汰にはしませんでした」

「・・・明らかにできない人が関わっていたんですね?例えば権力で揉み消せるような関係者がいたとか」

 青年は黙って俯いた。その仲間入りには、隣にいた彼女も例外ではなかっただろう。彼女は夢の空間で、あのクラスメイトとは元カレだと言っていたが繋がりは薬物絡みなのだろう。青年は気まずそうに咳払いをしてから、話を続けた。

「これはあくまでも憶測に過ぎませんが彼は薬の生成に関わり、嗜好用とは別に自身の研究のための試薬を開発していたと思います。ただ薬物の精製はできてもコミュニケーション不全な彼に売人は務まりません、それにあれだけの規模に拡大するには人脈が必要ですから流通には別の人物が関わったでしょう。ただ大勢出た薬物依存の重度者や死者を実験台にした形跡はあります。生きても脳をやられたり亡くなれば証言しようになく、経過は全てデータとして医療記録に残り、フィードバックに活用できる」

 淡々と説明する青年の冷静さには、他人事のように無関係な立ち位置での物言いに感じた。あくまでも彼は親戚という体で僕の目の前にいるが、実際にはかなり深部にまで関わる"機関"の関係者なのだろう。同時期に医学生で間近にいた関係もあり、だからこそ詳しくもあるのだろう。だとすれば彼の言う地域全体の情報を網羅しているのは、このように怪しまれずに情報を手を入れられるからかもしれない。

 補足として僕が理解できる範囲で説明するならば、元担当医の夢の研究は"マスター"となる夢の領域で主導するものと、それを共有する"ゲスト"で成り立ち、"ゲスト"同士で繋がることはない。つまり僕は何らかの方法で、彼女と夢を共有する相手に選ばれ、その為の薬物を服用していたことになる。しかも父親の経営する病院内で。それは僕の担当医が彼であったからこそ、可能になったことでもある。

「その薬って副作用とかあるんですか?」

 青年から、その薬の副作用は個人差はあるが睡眠サイクルに支障が出て、その症例はよく似た他の病気と類似するものだと説明された。僕はそれに心当たりがあった。
 転落事故で入院していた頃から、いやもっと前から僕は狙われていたのか、彼女が主導した復讐劇に巻き込むために。
 しかし彼女は僕よりも重傷だったはずだが、それらも全て想定済みだったということなのかもしれないが、あの空間でのシミュレーション動画には元担当医との計画におけるやりとりは一切含まれていない。細部に亘り実に抜け目がなかった。

「"夢の共有"という現実離れした研究がなぜ、現実で起こりうるようになったのか。研究の成功した症例は、わかっているだけでもあなたと彼女だけです。先ほど私は、彼の研究を現実にした存在が彼女だと言いました、つまりそこにヒントが隠されている」

 まるで勿体ぶるかのように青年は、一旦言葉を切った。そして少しイタズラっぽいような笑みを浮かべる。おそらく何かしらの答えを僕に言わせたいのだろう、青年は少し楽しんでいるようだった。

「患者の元担当医が一緒だから、処方する薬物を投与しやすい。ですか?」

 すると青年は何とも微妙な顔つきをした。予想よりだいぶ下回る回答だったのだろう、話の方向性を立て直すように、慌てて青年は訂正した。

「それは夢を共有する同士で"物理的に同じ体験を味わう"こと、と推測しています。男女関係にあった彼らと、彼女の転落事故で共に落下の衝突を経験した君と。もしかしたら"相性"なども関係しているかもしれませんが」

 相性と聞いただけで、あの経験を思い浮かべた僕は少しだけ、顔を赤くして押し黙ったが青年は構わず推察を続けた。そのうち落ち着きを取り戻した僕は、機関における研究での失敗について、ある一つの可能性を思い立つ。

「あの、共有する夢のマスターである主導権を握っていたのは、元担当医でしょうか?僕は今回のことが全て彼女の主導だと思います。これまでの話を鵜呑みにすれば、あなたの元で患者だった頃から心理分析を独学でマスターし、元担当医を依存させている。それに彼女が人との関係性において、支配下に置かれることは好まない。始めはそうであっても絶対に立場を逆転させる。違いますか?」

 青年は注意深く話に耳を傾け、そして無言のまま静かに肯定した。

「そう考えれるなら、そもそもマスターではない彼が主導した夢の共有が、全て失敗なのも頷けます。とするなら現在、被験者である彼の立場は決しておかしくない。だからと言って夢の共有の主導権を彼女に託すのは、危険ですがね」

 僕は今、青年が言った何気ない一言が、やけに気になった。青年の話を信じるなら、どうやら研究は一旦取りやめになっているらしいが、折りを見て研究を再開する腹積もりがあるらしいことが伺えるからだ。
 するとこれまで言われた青年の言葉が次々に脳裏に蘇ってくる。青年が明かす情報だって、その真贋をこちらが確かめられる術はないのだ。そもそも本当は、とっくに研究は再開していて青年が研究に関わり、施設外にいる僕にどれだけ影響を及ぼすのかを確かめているのではないかとすら思う。いや今、目の前にいる青年すらも、実は彼女の支配下にある一人なのではないか?

「あなたはどうです?・・・あなただって彼女の支配下にある一人かもしれない。それにあなたが話した内容も、どこまで本当なのか僕には判断しがたい。あなたの背後に機関ではない彼女がいるなら、尚更信じることはできない。それに街での動向についても、あなたは話していましたね、必要とあれば、"そういう一面"があると」

 いかにも、とだけ言い青年は腕を前に組み、僕の様子を伺うように黙っている。それは監視しているようでもあり、より警戒を強めているようにも思えた。または下手に手出ししないよう自制するなど、どうとでも取れ、ますます真相は藪の中になった。
 だが仕方ない。四方から狙われながら、足下もおぼつかない藪の中にあるかもしれない真相を、周辺に巧妙に仕掛けられる罠も承知で、僕は自ら飛び込んだのだ。

「とはいえ彼女は完璧な人間ではありません、立ち回りは上手いですが。それから言っておくが私は彼女の支配下にはありませんよ」

「この場では、そう言うしかないでしょうね」

 一抹の不安を紛らす、言い訳のように僕には聞こえた。皮肉めいたことを返すつもりはなかったが、そうとも取れるような発言になってしまう。しかしそんなチンケな子供じみた言い返しなど、何倍も大人である青年には通用しない。

「君自身言っていたでしょう、『彼女は誰かの支配下に置かれることを望まない』と。だとすれば己の力量に敵わない相手なら、関わりを避けるのが賢明では?現に彼女は私にそうしていたし彼を、その身代わりにしたんです」









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