自分を愛することの難しさ
自分を大事にするって、どういうことなのか。自分を愛するって、どういうことなのか。
怠けること?わがままをいう事?本能の赴くままに生きること?
捉え方によってはどれも正解だし、不正解。
結局正解なんてない世界で、毎日これは正しいのか、そうじゃないのか悩みながら生きている。今日も生きられれば世界は続くし、死んでしまえば世界はそこで終わる。
呪術廻戦で、「不平等な現実のみ平等に与えられている」というシーンがある。世界は不平等だし、不公平。平等にあるのは、いつかは死ぬということだけ。
いつか死ぬ、その時までに自分は自分を愛することができるだろうか。自分を大切にすることはできるだろうか。
怠けること、少し高い美味しいものを食べること、時間を気にせずたくさん寝ること、色々と自分を甘やかすことはできる。でも、自分をちゃんと認めることはできているだろうか。
自分を認めてあげないと、どんなに甘やかしても罪悪感が積もる。結局自分を大事にしているようで、自分を追い詰めている。
私は最近、生まれたのに一度も心臓が動くことなく消えていった命を目の当たりにした。自分はいつのまにか生まれていて、ここまで育っていたので、こんな現実があることはフィクションの世界のような気がしていた。
この世に生まれるのは、大変難しい。でも、今これを読んでいる人と私はそこを乗り越えて生きている。
仕事ができない、勉強ができない、気が利かない、うまく立ち回れない、色々自分を否定する言葉は世の中にあふれている。でも、今生きている。生きているってことは、自然に淘汰されていないということ。それは、自然の摂理が、生きろと言っていることと同義ではないだろうか。
誰が何と言おうと、自然が生きていろと言っている。だから、今生きている。誰にも認められないと悲しむならば、深呼吸をしてみればいい。息が吸えるってことは生きているってことで、生きているってことは生きていていいってことなんじゃないかと、思う。
誰も認めてくれなくても、自然が認めてくれている自分を、少し認めてあげてもいいんじゃないか。生きてるだけでえらいじゃんかって。認めてあげても、悪いことじゃないんじゃないか。
そうすれば、少しずつ、自分を本当の意味で大事にできるし、愛してあげられる気がする。せっかく生まれたんだから。自然が生きてていいよって認めてくれたのだから。少し胸張って生きてみるのもいいんじゃないか。