大丈夫という言葉の重み
「きっと良くなるよ。大丈夫だよ。」
希望に満ちたこの言葉が、傷ついている人を更に傷つけていることに気が付かない人も多いでしょう。青木さやかさんのインタビューを読んで、この気持ちを思い出しました。
言う方としては、希望を持って欲しい、落ち込まないで欲しいと思っての言葉です。でも、言われた側は、「あなたに起きている事じゃないもんね」っと思ってしまいます。青木さんの言う通り、そう思ってしまった時って、こちらはいっぱいいっぱいだった気がします。
「代わってあげたい」とか、「どうしてだろうね」とか、そういう言葉は要らないんです。それは、あなたの弱音だから。そんなの要らない。弱ってる私に弱音を吐かないでと思いました。今となっては言う側も辛かったんだなと思えますが、あの時はそう思いました。
人生は不公平と、絶望と、苦しみの連続です。人それぞれ、同じ人生などありません。親子でも、まったく違う人間です。双子でも違います。全然違う人生だから、同じ病気になったとしても同じ結末を迎えるとは限らない。
だから、「大丈夫」なんて軽々しく言わないでほしい。大丈夫よりも、側にいてほしい。乗り越えるまで見守っていてほしい。乗り越えたら、また変わらず付き合ってほしい。わがままだけれど、それがその時の私の本心でした。
※ここから先はちょっと話がズレます、嫌な方は飛ばしてください。
私も以前のnoteで「大丈夫」と書いてしまったこと、反省しています。治ってきていると、その時の気持ちも忘れてしまっていました。でも、そのnoteを消すのも違うかなと思い、消さないつもりです。
いつ、だれに、どんな状況で響くか分からない。嫌な思いをさせてしまうかもしれない。でも、死のうと思った時に読んだあの一文のように、何かのきっかけになれたらというおこがましい思いからnoteを書いているので、一応消さないでおこうかと思います。
私のnoteは「運よく乗り越えられたから何とでも言えるでしょ」と感じる人がほとんどだろうなと思います。でも、死ぬ方法を探していた時に「死ぬ前に一回寝てみた方が良い。」という一文に出会ってしまってから、書こうと思いました。
いつもなら「何言ってんだ」とスルーしていた内容なのに、その時だけ「一回寝てから死ぬ準備をしよう」と思ってしまいました。そして、寝て、起きたらお腹が減ってて、ご飯食べたらほんのちょっとだけ元気になっていました。何してもダメだった心がすこしだけ。
私は本当は死にたくなかった。ただ、死以外の選択の余地が無いくらいに、想像を絶する大きさの絶望や、色んなものに道を塞がれて死を選ぼうと思っていた。そんな時に、そのきっかけとなる文章に出会いました。
何がきっかけになるか分からない世界なので、私の文章がいつか、誰かの心の盾になる日が来ることを願って、これからも書き続けようと思います。