藤原実方、試楽の挿頭に呉竹の枝を用ゐる事
平安時代のファッションリーダー?
古事談[三〇]「藤原実方、試楽の挿頭に呉竹の枝を用ゐる事」
やはり、最初はこの話から。
「試楽」とは、公事 や賀茂神社・石清水八幡宮の祭の舞の予行演習のことです。清涼殿と呼ばれる天皇の居所の前庭で行われました。
実方は遅刻したので、先に配られた冠に挿す花を受け取っていなかったのです。それで、彼はお庭の呉竹を折って、冠に挿しました。そののち、皆それを真似するようになったそうです。
藤原実方は何度か祭の舞人に選ばれているようですね。
のちの舞人たちが真似をするとは、この時の実方は、よほどかっこよかったんでしょう。
・・・と言いたいところですが、実は実方より二世代前に源高明が記した儀式書『西宮記』に、試楽の時に冠に挿すのは小竹だと書いてあるそうなのです。
「小竹」を小さな竹、笹、篠竹とすれば、実方の時代には、誰もがやっていたことになってしまう。
じゃあ、誰がそんなこと・・・?
似たようなエピソードを一つ。
藤原朝光という、実方より少し年上の美男子がいるのですが、『大鏡』によると、武官装束で身につける携える矢の筈(はず)に水晶を付けたのは、この朝光が初めだと。
矢羽根が付いているところに朝日が当たるとキラキラするのです。かっこいい。
美男子には、そういうエピソードを付けたくなるのでしょうか?
八條忠基『有職装束大全』平凡社2018年より
橋の下の舞人の霊の正体は実方?
『枕草子』を書いた清少納言はお祭りや舞を観るのが大好きなようで。
『枕草子』「なほめでたきこと、臨時の祭ばかりのことにかあらむ・・・」
この段にこのような文があります。
頭中将といひける人の、年ごとに舞人にて、めでたきものに思ひしみけるに、亡くなりて上の社の橋の下にあなるを聞けば、ゆゆしう、ものをさしも思ひ入れじとおもへど、なほこのめでたき事をこそ、さらにえおもひ棄つまじけれ。
〔頭中将といわれた人が、毎年、舞人に選ばれていて、この喜ばしいことに思いは深かったが、亡くなってからは、上賀茂神社の橋の下に(亡霊として)いると聞けば、気味が悪いし、私は物事に少しも執着するまいと思うけど、やっぱり臨時の祭のように素晴らしいものを、もう思わないようになんてできないわ。〕
この「頭中将」とは誰なのか。
「頭中将」ではなく「藤中将」であり、つまり藤原氏の中将ではないかという説もあるようです。
手元の本の脚注には
未詳。能因本「良少将」、前田本「在五中将」。當時賀茂の橋下に實方の靈ありとの傳説はある。(池田亀鑑校訂『枕草子』岩波書店)
「良少将」とは遍照、俗名良岑宗貞(よしみねのむねさだ)、最終官位が少将だったので、良岑氏の少将、良少将です。
在五中将は在原業平ですね。
結局誰なのかは、はっきりわかっていないようです。
また、藤原実方は陸奥国司の任期中に客死して、都恋しさに雀になり、宮中の米を食べたという伝説があります。
多くの人が、陸奥の実方が晴れ晴れしい頃を懐かしみ、未練をのこして亡くなったと考えたのでしょうか。
ちなみに、上賀茂神社の摂社である岩本社と橋本社には、在原業平と衣通姫が祀られているそうですが、『徒然草』には在原業平と藤原実方が祀られているとあるそうです。
二人とも女性との噂が多く、歌の才があり、東国に行った悲しみの貴公子。
ぜひともお参りしてみたいものです。