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実方と衣更え

六月一日、今日から衣更えですね。

と言っても、今年は早い梅雨入り、そして、九州はもう夏日の日もあって、早々に夏服も出してしまいました。

平安時代の衣更えは四月一日。

旧暦なので、年によりますが、ちょうど今頃です。

冬は絹を合わせて縫い、中に綿(と言っても木綿はまだありません)入りの袷を着ているのですが、夏は当然薄手の着物になります。

着るものに困らない富裕な人々は、季節によって、カラーコーデもこだわったようです。貴族は、着合わせの決まりなどもあります。面倒かも知れませんが、季節を感じ、それを表現するというのもかっこいいです。

夏の衣更え

藤原実方は夏の衣更えの日に歌を詠んでいます。

(卯月の一日に女に遣わしし)
夏衣うすき頼みに頼ませて厚き衣を更へやしてまし

4月1日に女に持って行かせた

夏衣の薄きに頼んだあの歌に私も頼んで、あなたとの関係が近しくなるように、私も厚い衣から薄い衣に更えようか。

(「夏衣うすきながらぞ頼まるる単衣なるしも身に近ければ(拾遺集恋三詠人知らず)」を踏まえて)

肌身に近い夏の薄衣、なんだかちょっと艶っぽい歌に思えてしまいます。

冬の衣更え

さてこれは、夏から冬に向けての衣更えの日の藤原実方の歌です。

おなじところに、十月ついたちの夜、行きたれば、みちつなの中将、よべよりありける、夏直衣着たりけるを見てなるべし
身に近き名をたのむとも夏衣きのふ着かへてきたらましかば

女のところに十月一日の夜に訪ねたら、道綱の中将(おそらくこの頃は少将)が、昨夜から着ていた夏の直衣を着ていたのを見たので詠んだ。

夏衣が肌に近いと歌に詠まれることに頼んだのかもしれないが、季節外れなのだから、夏の直衣は着替えて来たらいいのに。


道綱と言えば、蜻蛉日記を書いた兼家の妾室の息子です。

相手の女性はおそらく、軍事貴族として説話にも出てきて有名な藤原満仲の娘。

実方は「宇佐使い」と言う宇佐神宮への朝廷の使いに任じられました。これは大変な名誉でしたが、しかし、この頃実方は、何度も歌を送っていた源満仲の娘が相手にしてくれなくなり、とても焦っていました。

焦りは的中したのか、実方が遠い九州の宇佐神宮に行っている間に、彼女は道綱と結ばれてしまいました。

これについては、道綱の母は聞くところとして、斎院選子に仕える女房までが、歌に詠んでいます。(この女房は道綱と懇意でしたが)

実方は昨夜どこで道綱を見たのでしょう。

昨夜も道綱が満仲の屋敷にいるのを見たから、今夜こそはと出直した可能性もあります。冬の直衣を着るべきなのに、まだ夏の直衣のままだった。つまり、ずっといたのかと思うと、歌を詠まずにはいられなかったのでしょうか。

あるいは宮中の宿直に着ていたものを着替えずに満仲の娘のところに行っていたことに、あきれたというか、胸中に収めきれないものがあったのでしょうか。

源満仲と言えば、彼も東国に縁のある軍事貴族。その息子頼光は、道綱と腹違いの弟藤原道長に東国の馬や高価なのものを献上しており、道長と深い関係にありました。そして、頼光の娘は道綱の後妻になっています。

小一条流と東国の関係も考えると、実方と道綱、ただの恋敵だったのでしょうか。

なんだかこの二人、すごく仲が悪そうな感じになってしまいました。けれども、この二人友人でもあるのです。うーん、複雑。


《参考》

『新日本古典文学大系 平安私家集』岩波書店

東坂寛風『美男貴族藤原実方と千歳山の謎』文芸社

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