ナクンコってどんな子?って感じの自己紹介です。
こんにちは!ナクンコです。
今回は私について大まかに自己紹介していこうと思います!
よろしくお願いいたします。
予備校に通って受験に専念するために上京したのにまさかのコロナでバイトが見つからない!
危機感から何もわからないまま『稼げる自分』になるために0からマーケティングを学びイラストレーターに転身した。
皆さまの支えもあってちょっとずつ前進中…。
ナクンコのステータス変遷
四国の田舎に三姉妹の末っ子として生まれました。
姉たちとは結構年が離れてて親類から特に可愛がられていたらしい。
まっじで何にも思い出せなくなった。
家族に以前の話を聞いても「それ誰の話ですか???」レベルで趣味趣向の大半が変移してるらしいが実感もない。
人生で一番最初に思い出せる記憶であり、一番トラウマの多い時代。
お絵描きなんてしてなかったし、希望も見いだせない。子供ながらにどブラックな日々を送っていたと思う。
余談【不本意なあだ名】
クラスの中で一番小さく演劇の関係でおかっぱにしてたのもあって『ちびまる子』って呼ばれてた。
(母の「ちびまる子、可愛くていいじゃん」の一言に心底怒ったのを覚えています…明らかな悪意を持ってつけられたあだ名のどこがいいんだよ!チッ!!!!!)
人見知りだったのにいつの間にか友人ができてた()
落書きは前からしてたけど、小6からはがっつり描き始めて、友人たちと中二病丸出しの創作ノートを作ったり、某ボカロPのシリーズの考察したりしてた。
(この頃からヲタクになり始め、、更に自分もちょっとずつハマっていくことに…。)
眼鏡は小4くらいから…だったはず…?
卒業後は持ち上がるかたちで中学に進学。
髪を切るのが面倒でのばしっぱなし&雑にまとめっぱなし←
片頭痛に悩まされて眉間にしわを寄せる癖がついてたし、正直めっちゃ老けてた。
可もなく不可もなく、比較的平和な3年間。
絵は普通に描いてた寧ろ隙あらば描いてた。ポスターは入賞してポケットティッシュに入れられたりしたからちょっと調子乗ってた感すらある←
その後、高校入試で美術系の学校に合格。
卒業後、小学からの友人たちと進学した。
本当に楽しかった。
絵を描く機会も時間も多くなって1日だって休みたくなかった。
何より尊敬できる先輩と出会えたのが大きかった。(この先輩が色んな意味でやばかった。)
余談【漫画部員 M先輩のヤバい行動】
・部内に大量のボードゲームを持ち込み、暗くなるまでボドゲ大会。
・もともと部に備え付けてあったヨボヨボPCに手を加え有料のイラストソフト(CLIPSTUDIO)を導入。
・時々大量の菓子を買い込み部員にばらまく。
・お腹が減っても作業ができるようにと箸・お椀などの食器やケトルを持参。
・冬場には毛布とヒーターを持ってくる。
(もっと言うと夏場には小型冷蔵庫を備え付けようとしていた、全力で止めた。)
なお、全て自費&私物&貰い物で完結する。
本人の武勇伝を聞く限りこれらの行動が序の口であったことを後に知る。
そんな人なのに成績優秀で座学も実技も先生に一目置かれるというのだから侮れない…。
因みにここで導入されたイラストソフトCLIPSTUDIOで主に制作してます。
先輩本当にありがとうございました。
_______その後、3月に先輩は卒業。お別れ会と称して一緒に遊んだ翌日の朝に先輩が亡くなったことを知る。
2年になってからクラス替え。
できるだけ明るく振舞おうとしてストレスマッハ、自分が愛せず、過剰なまでの自己否定へ。
結果:鬱と胃に穴のダブルコンボで休学。
マジで死んでた。
絵はほとんど描いてなかった。(描いてたとしても全く納得いかず途中で破り捨ててるから残ってない。)
以前公開していた「高2の頃に胃を壊した私の話。」にこの頃の詳細を載せていたのですが、私個人がまだまだ傷を受け入れ切っていないことが判明したので下げました…。
また改めて書き起こせるようになったら、修正して再び公開しようと思います。
治療が終わってから9月?10月…?確かそのあたりから母の仕事場でバイトをして資金集めをしてました。
て言ってもほとんど一人で行動してたし、休みがちになるのは変わらなかった。変わったのは、成績が向上したこと自分のしたいことができるようになったことでした。
休学中にためた資金を受験にあててた。
その後3月に受験、一次に受かるも二次落ちし予備校生へ。
布団ごもりしてました←
もうね、応募しても音信不通、良くて面接中止。
元々雇われにくい労働条件と期間だった自覚はあって、だからこそ早く見つけなきゃって焦ってたから片っ端から応募してた。
もうこんな私じゃ将来芸術家として作品作ってもだれも見向きもしてくれないんじゃ???
と不安を覚え。
自分を売り込む力⇒マーケティングだ!という安直な発想のもと勉強を開始、同時に強制力としてTwitterでSNSデビューした。
(因みにマーケテイングは自分を売り込む力などではなかったことを勉強し始めてから知った。)
その後、100人企画でアイコンの無料作成を特典にしてからイラストのご依頼を受けるように!?
いっぱい悩んで色んな人に相談しました。(詳細は私のnote「発信内容の変更について」にて。)
その結果、正式に受注を開始しイラストレーターへ!
最後に。
結構いろいろありましたが、なんだかんだ今を楽しく生きています。
それはここまで支えてくださった皆様のおかげだし。
イラストレーターとしてご依頼してくださった皆様そして、この自己紹介を読んでくださったあなたのおかげだったりもするんです。
私を見つけて知ってくださったり、楽しくお話ししたり…私のイラストがそんな皆様のお役に立てればと思います。
本当にありがとうございました!
これからも頑張っていきますので、どうぞよろしくお願いいたします!
ではまた。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?