見出し画像

最近、文章というものが書けなくなった。という自覚がある。

胸の底の蓋の下の下、そのあたりで泥のような感情が暴れている気がして、note、はてなブログ、それらの記事作成画面を開いてはみるのだが、結局何も書けなかったり、書けても「なんだこれ」とばからしくなって、下書きさえ残さず消してしまったり。


少し前に、8年濃く親しく付き合った親友と絶縁した。今働いている職場に入職する前日のことだ。


わたしは、相手がしてくれたことと、相手にしてしまったことを常に心に留めて生きると決めていたし、そうしてきたつもりだったけれど、それは綺麗事だったことを知った。いや、綺麗事だからだめだったんじゃない。綺麗事を実践できる強さがわたしには無かったのだ。

今回彼女から最近のわたしについて強く責め立てられた(今のところ、ほかに表現が思いつかない)とき、たしかに、今回はわたしが悪いと分かったし、ごめん、申し訳ない、間違っていた、と思った。

しかし、これまでわたしがぐっとこらえてきたことや、わたしがいないところで言っていたこと(又聞きなので、本人に言うことではないなと思ってずっと黙っていた)、言われてすごく傷ついた言葉がたくさんあったこと。

それだってお互いさまなのだとは思うけれども、いろんな記憶がその瞬間に不満となってあふれ出した。

ずっと仲良くしたかったし、仲良くしていくのだと思っていたけれど、だめになった。

何日も泣いた。でも、挽回する気力がもう無かった。今でも毎日彼女のことをぼんやりと考えている。

ただ寄り添ってほしいときに正しいだけの正論を言う。
苦しみをTwitterに書き連ねるとそれを勝手に自分への牽制だと思い込む。

しんどいところはあったけれど、それ以上にわたしは彼女のことがとても好きだった。上記の通り、言えないこともあったけれど、何もかもを明け渡してぶつけるだけが人間関係じゃないだろう。とにかく、好きだった、少しくらい会えなくても大丈夫だと思えるくらい。

このあいだTwitterの友人への贈り物を選ぶために行った雑貨屋で、彼女の好きそうなコースターを見つけて一瞬揺れた。冬に京都で買ったまま、お互い忙しくて会えなかったために渡せていないほうじ茶の葉、彼女のぶんもまだ残っている。郵送したら迷惑だよなあと思いつつ、前に渡したら喜んでいた、あのときの顔を思い出すと迷った。

でも今朝、Twitterがブロ解から改めてブロックされていたことを知って、諦めに似たかたちで、心がすっと落ち着いた。万が一にもわたしのツイートが流れてきたら不愉快ということなのだから、贈り物なんてうれしいわけがない。わたしの名前も文字も見たくないだろう。

そこまで嫌わせてしまったのだった。

「日頃から気遣いに欠けてるところがあると思う」という言葉に、そのときのわたしは怒って「あなたもね」と返したが、怒ったのは傷ついたからで、傷ついたのは、「あなたが知らないだけで、わたしは気を遣っていたことがたくさんあるよ」と思ってしまったからでもあるし、その反面自分の至らないところに気づいて悩んでもいたから、図星だったところもある。

とにかく、その言葉はすっかりわたしの心に刺さって、毎日ことあるごとに、呪文のように頭と胸いっぱいに広がって不安になる。

「次仲良くなる人には気をつけてあげてね」は、彼女が嫌いになった人に使う言葉だ。

ちなみに、これから新しく誰かに心を開く気は、もう、無い。


幼馴染とも最近疎遠だ。彼女は忙しいのもあるし、何ヶ月か前に「変わった」と言われた。何が変わったのかと訊いても教えてもらえなかった。教える必要がないからだ。大切なものはすべてわたしが壊してしまう。

ソウルメイトは仕事がとても忙しいのと、わたしに恋人ができたこともあって、いっしょに過ごすことがなくなった。

恋人とはおそらく良好ではある。喧嘩というか、すれ違ったり揉めたりはするが、そのたびに話して仲直りをする。心を許せるたったふたりの親友ですら上手に愛せず、傷つけてこんなことになってしまうわたしであるからという思いがあって、最近は余計に、いつか別れるのなら今別れた方が彼も後悔しないのではと考えるけれど、でも先のことなんて分からないし、今お互いに好きならそれでいいのでは、、なんて思ったりもして、すごく苦しい。

Twitterの友人たちは変わらずやさしい。わたしのマシな部分ばかりを見ているから好きでいてくれるのだと分かっていても、皆さんのやさしさに救われて涙をこぼす瞬間が何度もある。

肝心の仕事は、未経験の医療職に飛び込んだのだから覚悟してはいたが、とにかく大変だ。通勤時間が長い(=朝が早く、帰る時間は遅くなる)ことも、引越しを考えてはいるので今だけの問題かもしれないが、ちょっぴり痛い。早いもので、明日で入職して3週間になる。

つらいことがあったときは仕事に忙殺されて忘れるべきなんて嘘だと思う。つらいこと(仕事)が増えただけだ。

心も生活もどうしようもなく苦しくて、わたしのこちら側とあちら側を隔てる、薄い薄い氷を割ってしまいたくなるときもあるけれど、たとえば泣き虫な恋人とか、Twitterの友人たちのあたたかなメッセージや贈り物、1歳になる我が家の猫の温もり、もう会えない大好きなバンドとの幸せな夜、電話越しのわたしの声に笑う姪、そういったものたちが、なんとかわたしを留まらせてくれている、と思う。

それでもどこか満たされないのはなぜなのだろう。

わたしの愛する漫画、鬼滅の刃の作中、善逸のあのモノローグが何度も頭をよぎる。

心の中の幸せを入れる箱に 穴が空いてるんだ


こんなに晴れているのにぼろぼろすぎて泣ける。

気づけば2300字。これだけ書いても何の意味も無い。書いても書いても意味が無い、ただ書いているだけのただの言葉には価値が無い。せめてもっと誰かに届くようなものが書けたらいいのに。

ここまで読んでくれた人がいたらごめんなさい、そしてありがとう。

いいなと思ったら応援しよう!