まほうのじかん
私の幸せな4時
私が目覚める時間は3時30分〜4時の間。
どんなに寝る時間が短くてもそれくらいには起きてしまう。個人的に「まほうのじかん」と呼んでいるこの時間に私は必ずユンギさんと向き合う時間を作っている。
1時間ほどのミンユンギとの時間は題名の通りに幸せだけの時間かというと実は違う。
ミンユンギという人に出会ったのは2019年1月。
私がリアルタイムで知れる彼は2019年からの彼で、他は全て過去。2019年までは彼らと対面できるイベントもあったけれど、当時360日、朝から晩まで働いていた私には会いに行くという選択がなかった。
画面の中のユンギさんをただ眺めてTwitterで大好きだ、愛してるだ、としか騒げなかった。
もっと昔から好きになっていたらと思う。人に勧められた時に、韓国だからと思わず、好きになっていれば、と。
ふとした瞬間その記憶が蘇ってくる。
あの時、DOPEの時点で出会いたかった、とか。仕事を全てほっぽってでも会いにいけばよかった、と。
そろそろ3年になるこの愛情は拗らせて明後日の方向に見事ホームランしてる。もっと長かったらもっと拗らせていたかもしれない。
朝4時のまほうのじかんは、気持ち悪いかもしれないけど、私とユンギさんの2人の時間。たくさんの好きと愛してると、出会いたかった後悔と、音楽への愛情を知って胸が熱くなって、苦しくなる、けど。やっぱり幸せの時間。
それはユンギさんを知れて、ユンギさんと同じ時間を生きてることを感じれる時間だから。私はこんな素敵な人に出会えて愛せてるんだなって思える時間だから。
彼が音楽に向き合う姿勢も、肩を壊しているのにそのままデビューし、活動してきたという事実を受け止めて、手術したのは未来を見据えてのことだという事実に泣く、そんな時間。
人に言ったら重たいな、と笑われたこともあるけど、私にとって1日の始まりはこれがないと、と思ってる。大事な時間。
重たいに重たいを重ねたユンギのペンだから、まぁこれくらい重たくても大丈夫だ、と妙な自信がある。
もちろん考えれば考えるほど、画像を見たり動画を見たり、音楽を聴いたり、ユンギのWeverse magazineやその他インタビューを読めば読むほど、音楽への想いを感じて苦しくなり拗らせる。
手が爪が荒れている時期は「どれくらい悩んだのか」とか、この時期はどうだったのか考えれば考えるほどどうしてこの時期にいられなかった、推せなかった?と思う。
苦しいのに、その時間に「ミンユンギタイム」(友人命名)をする意味は?と言われて少し考えた。
苦しい時間も、幸せな時間も、なんてことない時間も、知っていたい、という想いだから。全てを知ることなんてできない。アイドルとして提供されたものと、ブイライブやインタビュー、そんなところで少しの心のうちと音楽への愛情を感じることしかできない。あとは全て「ユンギさんは以前こう言ってたからこうなんだろう」と推測をたてるだけ。私の中の理想を作り上げてるだけかも知れないけど、毎日することで都合の悪いことも考えられるようになって、対話をしているような、そんな気分。
もちろん、ただいいことだけを摂取する方法もあるけど、私は人が聞くとちょっと気持ち悪い「ミンユンギと向き合う、対話する時間」を「まほうのじかん」にしている。
そうやって知って、さらに愛しさ募っていく、私の推し方はそんな推し方。向き合い方。愛し方。
決して素敵な推し方ではないけれど、私の中ではすごくすごく大切な推し方かなって。
少しの間すごく荒れてて、私の推し方でいいのかって思うこともあったんだけど、やっぱり一番大切なのはこの気持ちで、大好きで愛してて、尊敬してる私の心が大事なわけで。
この時間を大切にしたいと思う。
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