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おばあちゃんと絵
絵を描いていると
ふと俯瞰して絵を描いている
自分の姿を見る気がします。
そうすると
その姿と重なって
ダイニングテーブルで
大きな絵を描いていた
おばあちゃんの姿が
思い浮かびます。
あの頃の私は
自分が本当にやりたいことに
気が付いていなくて
おばあちゃんが
絵を描いていることを
どこかバカにしていたのです。
バカにしていた理由は
今思えばきっと
羨ましかったのだと思います。
絵を描きたい自分が
傷付くのを恐れて
描かない理由を
正当化していたのだと思います。
無意識にずーっと逃げていたんです。
気が付けばずっと
やりたいことを探して
生きてきたと思います。
なんとなく暇な時間を
充実させることだけを
考えていたこともあります。
おそらく20年以上
本当にやりたいことの周りを
グルグルと回って
真ん中を見れなかったんですね。
本当にやりたいことは
大好きすぎて
傷付くのが怖すぎて
「大好き」だということも
自分で自分に感じないようにして
なかなか直視することが
できないことなのでした。
自分では
自分が大好きなことをしている
その表情や雰囲気なんて
見ることはできないから
もしかしたら
それに気付いてくれた人は
サポートしてくれたり
アドバイスしてくれた人たちなのかな?
なんて、今思い返せば思います。
なんでそれを素直に
受け取れなかったのだろう、と
自分を責めたくもなりますが
その時はそうすることしか
できなかったんですね。
そのくせ
美術館に行くとか
芸術系のイベントに行くとか
そう言えば
おばあちゃんが
喜んでお金を出してくれると
知っていた自分を思い出して
好きな素振りは見せていたという
なんともズルい子だったなぁと
ふと思い出しました(笑)。
いや、逆に素直だったのかな?
幼稚園から
小学校6年生くらいかな
もう記憶もおぼろげだけど
通っていたお絵描き教室の先生が
私がやめる時に泣いていたんですね。
大きな体で
髭もじゃのおじさんがです。
先生だって
先生をやりながら
アーティストなわけで
きっと色々思うことがあって
子どもが好きなことを
やめてしまう切なさというか
もったいなさというか
そんなものを
感じていたのかもしれません。
ただ寂しかっただけかもしれませんが。
私は先生のことが
大好きでした。
大好きだったと
気が付いたのも
大人になってからですが。
名前も覚えていないし
お教室の場所はもうなくて
知らないお家が建っているし
なんでしょうか・・・
思い出して大切に思うことや
好きだったと分かっても
子供の頃はまだそれに
気が付かないから
なんだか切ないですね。
気が付く人はすごいです(笑)。
でもね、思うんです。
あの時はあれで良くて
この時のための伏線だったのではと
そんな風に思うようになりました。
今は絵を描いて
自分の目を喜ばせて
見た人の目を楽しませることが
自分の使命だと思って努めていますが
絵を描くことは
やっぱり怖いのです。
新しく絵を描き始める時はいつも
うまく描けなかったらどうしよう。
思い通りにならなかったらどうしよう。
そんな不安な気持ちが大きいのです。
絵にルールはないし
完璧もないのにです。
きっと自分に
ガッカリしたくないのでしょう。
自分の絵を見て
何も感じない自分がいたら・・・
何も感じてもらえなかったら・・・
絶望してしまうのではないかと
ビクビクしているのです。
とはいえ出来上がった絵は
どんなにうまくできなくても
思い通りになっていなくても
知らなかったことを知れて
新しい発見があって
愛しい以外のなにものでもないのです。
本当に私たちの
頭と心、そして体や宇宙は
不思議なものですね。
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