【みらいけんアドベント参加】12月11日ー「つづけること」と「やりきること」
こんにちは。中学校の国語の先生をしております。公の場で私的な内容を記事にする場合は実名を公開しておりません。みらいけんにいらした際に「中学校の国語の先生」と名乗る女がいたら、それはおそらく私ですのでよろしくお願いします。
この1年私は一体何をしていたのか・・・
さて、お題としていただきました「2022年を振り返っての変化や成長を感じたことと、2023年に向けて挑戦してみたいこと」を拝見したときに、真っ先に思い浮かんだのが、「はて、私はこの1年何か成長したのだろうか?」ということでした。「成長」というと、今までできなかったことができるようになるとか、いままでやってきたことがさらに大きくなるとか、「拡大」のイメージが伴いますが、私はこの1年間「拡大」とは正反対とも言える生活をしていたからです。
というのも、私は昨年男の子を出産し、約1年間産休、育休を取得。今年の4月から仕事に復帰しましたが、朝7時前には職場に行き、19時を過ぎると「あ、そろそろ帰らなきゃ」と思っていたこれまでとは異なり、7時15分に子どもを保育園に送り届けてから出勤し、17時を過ぎると「まずい!帰らねば!!!」と焦る毎日。仕事や趣味や自分のやりたいことに割くことのできる時間が激減しました。
それならばと、子どもと共に19時半には就寝し、朝2時過ぎに起きて家事や趣味や持ち帰り仕事をするように生活を切り替えましたが、それでも息子が予定より早く起きてきてしまったり、体調を崩して登園できなくなったり、それを任せた夫の調子が悪くなったりと、「やろうと思ってたこと全然できませんでしたけど~」という言葉を何度「しかたあるまい」で飲み込んだことか。
ちなみにこの記事も「日程いつくらいがいいですか?」の質問に「2週間くらいの余裕が欲しいです」と返答をし、その通りにしてもらったにもかかわらず、息子の体調不良と夫の体調不良とが繰り返され、結局残り3日でやっと着手する余裕ができました。
こんな調子で生活しているので、頂く仕事は先読み必須。「先に言ってもらえればできますよ~」が合言葉のようになってしまいました。とは言え、現場はいつでも2週間先の仕事がふってくるわけではなく、急に対応しないといけないことももちろんありますが。
「成長」の実感がなかったとしても・・・
こんな生活をしていながらも、振り返ってみると、「目の前のことだけやっていたら1年終わったわ」みたいな感覚は感じていないことに気付きました。それはなぜだろう、と考えたところ、それなりに自分の中で達成感を感じていることがちらほらあるからだということに思いいたりました。
【私がこの1年やってきて達成感を感じていることたち】
・人生で初めて大河ドラマ完走しそう(あと2回)
・カーシェア利用を始めて、月に1回は家族でおでかけしてる(運転楽しい)
・Audible聴きまくった結果、紙読書と合わせて年度100冊を久しぶりに達成しそう(「今年」ではないです。「今年度」です。)
・パルシステムの献立利用して、夫が夕飯を毎日作れるシステムの構築(献立決めと材料調達の簡便化!)
・編み物のお仕事で帽子4枚、ベスト2枚を納品(うち1枚はいまだ編み直し中)
・仕事を再開しても、息子との時間を大切にすることができた
こうして挙げてみると、「達成感を感じていること」のなんとささやかなことか。そして、仕事のことが一切でてこないことに気付きました。でもそれは、「中学校の国語の先生」という仕事は、自分が充実していないと生徒に対して何も生み出せない、という性質があるからなのかなと思います。大河ドラマは「平家物語」の授業の時に使いましたし、読書100冊は、読書感想文指導の時に役立ちました。プライベートな時間を使って仕事に関係ないインプットをたくさんすることが、生徒を前にしたときのアウトプットにつながります。だから、仕事に関しても特に不満や不安を感じずに1年過ごすことができたのかなと思います。
「つづけること」と「やりきること」
では、私がどんなことに達成感を感じているのかをまとめると、「つづけることができた」「やりきることができた」のふたつに尽きるのではないかと考えました。
例えば、「夫が毎日夕飯を作れるシステムの構築」。料理をあまりやったことのない人が毎日ご飯を作るというのは大変な負担です。それなりに料理をしてきた自分にとっても、「毎日」というのは正直面倒。そこで、生協を利用することにし、週に1回、その週に必要な夕食の数を確認して献立を決定し、材料を注文するという部分を私が担当。実際に「これを作ってくれ」という指令に基づいて料理をするのを夫担当というシステムにしました。その結果できるだけ少ない負担で毎日の夕飯を用意することができ、さらに、献立がなくても夫が作れるものが増えたという素敵なおまけ付き。
このように何かを「つづけること」ができていると、それに対する負荷が減って、他のことをする時間やエネルギーが生まれるし、何より「うまく回っている」ということに対する満足感も得られる。そういった点で、私にとっては「つづけることができる」というのは生きていく上で大切なことなんだなと思いました。
そしてもうひとつが「やりきること」。
仕事と子育ての両立、それに加えて自分の趣味も…となるとどう考えても超マルチタスクになります。でも、マルチタスクをこなす基本はひとつひとつのタスクを「シングルタスク」として取り組むこと。(…と昔みらいけんの「心理学講座」で教えてもらって以来意識しています。)
子どもの予防接種の書類を書こう、と思ったら、(あー、保育園の準備しなきゃ、育児日記書かなきゃ、食洗器片づけなきゃ、授業の準備しなきゃ)とか思うのをやめて、まず予防接種の書類を書ききってから次のことを考える。「今、これをやる」と決めたら、それ以外のことを考えない。自分が決めたことと誠実に向き合う。そうしないと、「今、これをやる」と決めたことをやりきれないし、なんだか気持ちがふわふわして焦りばっかりになってしまう気がします。
そして、そのような誠実な向き合い方ができないものは早々に諦めました。例えば、フィンランド語や英語等の外国語の勉強はほとんどできていません。年間購読している日本教育新聞と教職研修の雑誌もほぼ目を通していません。両方ともやろうと思えばできなくはないけれど、私の「誠実さ」の器の中にはちょっと入れられなかった。ごめんなさい。
自分で決めたことを自分でやる、ただそれだけ
こうして振り返ってみると、この1年は、「今、これをやる」と決めたことをやってきただけなんだな、ということを実感しました。それが、最初に言ったような「目の前のことだけやっていたら1年終わったわ」みたいな感覚にならないのは、「やらされている」からではなく「自分でやると決めたことをやる」の積み重ねだったからだと思います。
息子に対しても、基本的に彼が何かを要求してきた時には手を止めて対応すると決めています。だから、中断されてもそこまでストレスはたまらない(ちょっとはイライラするときもあります)。同時に、息子が何かを要求してきたとしても、今は自分のやっていることを優先する、ということを決めていることもあります。その時は、息子が泣こうがわめこうが、正直罪悪感は感じません(ごめんね、とは思います)。
「自分でやると決めたことをやる」
ただそれだけを繰り返してきたから、私は成長や変化というものを感じていなかったんだな、と改めて気づきました。みらいけんアドベントのお題をいただいた時には、「何も書くことないかもしれない…」と不安を感じていましたが、頂いたお題で文章を書いていたら、自分の生き方の本質のようなものにたどり着いた気がします。改めて「書くこと」の力を実感するとともに、このような機会をいただけたことに心から感謝しています。
2023年に向けて
さて、お題には、2022年の振り返りとともに「2023年に向けて挑戦してみたいこと」も頂戴しておりました。
基本的には「自分と周りの人を大切にするために自分がやろうと決めたことをやる」というシンプルな生き方を続けていきたいなと思っていますが、2023年にできたらいいな…と思うのは、
・自分の書斎を片付ける
・キャリアを見直す
・ニッターとしての技術を向上させる
・もうちょっと糸紡ぎの技術も向上させる
・自分の書斎を片付ける(絶対!!!!)
という感じでしょうか。
これらができたとしてもできなかったとしても、いつどこで何が起こるかわからない人生、いつどこで何が起こったとしても「私は満足です!」と言えるように日々を過ごしていきたいと思います。
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